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岐阜県
 
(1)横山 實
●造船できる。
年齢:大正7年生まれ
経験: 昭和2年頃14歳で、江南市草井の船大工馬場源蔵に奉公した。弟子期間は15年。以降70年やっている。
船種: 石船(石取り・長10m、幅1.3m)
鵜船(鵜飼・長10m、幅1.3m)
漁船(漁・長10m、幅1.3m)
伝馬船(今渡、大垣などで使用した小型船・軽四(車)に乗るように4mほどに造る。
材料: クサマキ・犬山市の材木屋。山師が売りにくる。釘・一宮市光明寺の竹内
直近造船:現在、造船中
調査者:久保 禎子
 
(2)那須 清一
●造船できる。但し、現在8隻の予約がある。
年齢:昭和6年生まれ
経験: 昭和20年終戦の年に15歳で父親・那須俊治郎について習った。自前の船は昭和30年頃25歳頃造った。現在まで56年の経験。
船種: ヨツノリ(漁など多様な用途・長10尺〜4間半、幅2尺5寸〜2尺8寸)
漁船(リョウセン・漁・長2間半〜5間半、幅2尺6寸〜2尺8寸)
石船(イシブネ・石取り・長5間1尺〜5間半、幅2尺8寸)
上下(ジョウゲ・荷運搬・長7間、幅3尺5寸)
 ☆この船は俊治郎の時代で終わり。
鵜飼船(ウカイブネ・鵜飼・長5間5尺5寸、幅3尺5分)
材料:マキ・岐阜の原木市場
直近造船:現在、造船中 釘は一宮市大字光明寺の竹内
調査者:久保 禎子
 
(3)豊田 忠道
●造船できる
年齢:65歳(2001年)
経験:船大工7代目。
船種:長良鵜飼の観覧船
材料:高野槙
直近造船:2001年(『月刊ぎふ』ゆ月号による)
調査者:未調査
 
三重県
 
(1)矢田 照雄
●造船できる 釘があればベコやチョロなら造れる。
年齢:昭和2年生まれ
経歴: 小学生の8〜9歳頃から父・新八について習った。よく殴られたものだ。終戦直前に富田にできた戦時船を造る合併会杜に入り、その分工場にしてもらった。
戦後はバッチ網の手船をもっぱら造り、1ケ月に1隻の割りで造った。木造は50年くらい。FRPはすぐ止めた。
船種: バッチ網の手船(バッチ網漁・伊勢湾台風前シキ36尺、幅6尺5寸・モーター伊勢湾台風後シキ38尺、幅8尺)
☆今一色、香良洲、白塚なども造ったが、磯津が圧倒的に多い。
ベコ(シキ、カジキ、タナ・貝カニ取り・シキ16尺、幅3尺6〜8寸)
チョロ(シキ広い、タナ、カジキなし・貝カニ取り・シキはベコより少し長い)
☆若松が多かった。
材料: 船材は員弁。栃原の山のは伊勢木材で買い、大湊から船で運んで製材した。
釘は四日市(稲葉)の中川鍛冶屋
 
調査者:石原 義剛
 
(2)児山 末吉
●造船できない
年齢:大正4年生まれ
経歴: 小学校卒業後13歳で、昭和3〜4年頃、答志からきた船大工山下友吉とその息子元吉に習った。
昭和11年21歳で大湊の市川造船所へ入った。当時、徒弟学校があったが職人上がりはいれてくれなかったので、先生に別に教えてもらった。昭和14年から兵隊。20年に帰って一時、市川で戦闘艦を造った。
終戦後は大淀に小屋を造って造船をはじめた。
FRPには昭和45年頃代わった。
最近は船模型を造っている。
船種: アミ船(地曳網の網船・全長42〜48尺、肩幅7〜8尺、全長は肩幅の6倍)
手船(地曳網の手船)
材料: 朝熊(伊勢)の杉。宮川木材(伊勢・論出)で買って、川から海をイカダで運んだ。
釘は伊勢・竹鼻の小島安太郎
調査者:石原 義剛
 
(3)出口 元夫
●造船は個人としてはできない
年齢:大正13年生まれ
経歴: 尋常小学校卒業後祖父・出口捨吉の弟子となり、父・兵三郎にも教わった。父は上の学校へ行けといったので大湊の造船学校へ行き、さらに工学院大学造船科へ20歳までいった。出口造船所は現在も専務である息子が継いで活躍している。FRPへは早く、昭和39〜40年頃転換した。
船種: 戦時標準船(戦中の運搬船・150〜200トン)
漁船(漁用・昭和26、7年まで、たくさん注文がありあらゆる漁船を造船)
ダンベ(砂利運搬船・漁船のあと、30〜100トンを造船)
備考:出口造船には「天保元年(1830年)の船の板図面が残っている」
調査者:石原 義剛
 
(4)森本 円雄
●造船できる
年齢:大正12年生まれ
経歴: 昭和12年3月、15歳で鳥羽市桃取の三浦森蔵に弟子入り、19歳で徴兵になるまでと、帰還して21から23歳まで勤めた。当時、20歳までの勤めだと衣類が親持ちだったが、25歳までだと親方持ちだったので、25歳まで勤めた。
船種: アグリ船(本船、手あい船、運搬船などアグリ網船団の船)
チョロ(釣りほか磯漁・長6mくらい)
ベカ(農作業・4〜5m)
材料:二見町松下の杉
直近造船: 平成8年と10年に鳥羽市観光協会の「サッパ」船を4隻造船した。
平成15年1月、自分用のベカを造った。
 
(拡大画面:130KB)
調査者:石原 義剛
 
(5)城山 明喜
●造船できる
年齢:昭和23年生まれ
経歴: 16歳の時、伊勢工業高校の造船科へ入ったが、鉄船のことばかりなので、半年で止めて、答志の船大工・勢力東洋地に4年半勤めた。年期明けに、親方は羽織り袴をくれた。「大工の腕があれば、日本中どこでもメシが食える」と父はいい、道具箱一式をくれた。父親の勘市(昭和3年生まれ)が義弟・河村小三郎とやっていた協生造船に2ケ月ほどいたが、甘えがでこと思って募集のハガキを見て山口へ行った。そこで35馬力エンジンのつけ替えを25台続けてやった。
木造船は前後10〜12年くらいか。
船種: ホンガタ(答志の漁船・長10m以上、肩幅6.5〜7尺・デッキ張り・3ケ月で仕上げ、年3隻)
☆カジキの上に「マルアオリ」を付ける技術は、愛知県福田町の鈴木 登と同じ。
チョロ(当時もうなかった)
テンマ(本浦の渡し舟)
材料: 杉は二見の松下・山口製材
釘は伊勢・神杜 鳥羽・玉屋(シキはメッキでは緩むので黒)
直近造船:平成8年と10年の鳥羽市観光協会の「サッパ」を森本とともに造った。
調査者:石原 義剛







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