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船大工存在確認調査データ 県別
◆北海道
(1)平石 健悦
●造船可能:イソマワリ(イソブネ)磯漁、昆布漁用小型漁船
年齢:昭和5年生まれ
経歴: 昭和20年頃15歳で、叔父仁八の手伝いを始まりに、18、9歳頃から本格的に修業、一時鍛冶屋の弟子も。昭和29年、北洋漁業の再開にともないカニ船団の船大工となり昭和37年まで8年やった。その後、プラスチックが入る昭和52、3年まで函館で木造船を造った。函館市入船港の盛時の造船業の様子を知る。
わたり大工で恵山などへも行った。どこへでも飛んで行くので『飛行機大工』といった。
船種:イソマワリ(イソブネ)、シマイッパギ、チャッカなど
材料:木・杉、ヒバ 釘・地元の鍛冶屋 接着・ウルシと麦粉
直近造船: 平成13年に「みちのく北方漁船博物館」に「ムダマハギ」型漁船を造船。詳細な調査報告書が上記博物館にある。
●写真と図面は「みちのく北方漁船博物館」提供
調査者:石原 義剛
 
(拡大画面:43KB)
 
(2)後藤 賢一
●造船できない
年齢:昭和3年生まれ
経歴: 昭和18年頃16歳で、師匠山田一雄につき16年ほどいた。
船大工の経験は50年ほど。直近の木造船は昭和40年。
船種: 戦時型(150トン型・焼玉エンジン)
手繰船(6.5〜7.5トン型・焼玉→ディーゼル)
流し網、イカ釣船(12〜35トン・焼玉→ディーゼル)
カニ用川崎船(ヤンマーエンジン)
磯船、伝馬船(櫓)など25〜30隻くらい。
材料:船材−花宮木材、藤山木材 釘、金物−佐々木船具
調査者:山田 佑平
 
(3)鈴木 金秋
●造船できない
年齢:昭和7年生まれ
経歴: 昭和22年頃数え年16歳で服部造船に弟子入り、弟子期間は7年くらい。(最初は木船の修理のみ)63歳までやった。
船種:イカ釣船(15〜16トン)を弟子時代には1年に4隻くらいづつ造った。
材料:会社で入手した。
調査者:山田 佑平
 
(4)猪股 宏
●条件付で造船できる。(一緒にやる人がいれば)
年齢:昭和7年生まれ
経歴: 昭和22年頃14歳で、日魯造船に見習いで入り徒弟5年。
船大工経験は55年くらい。
船種:会社勤めなので、(いろいろ造った)。
材料:会社
調査者:山田 佑平
 
(5)竹内喜一郎
●条件付で造船できる。(力仕事ないかぎり)
年齢:大正13年生まれ
経歴: 昭和14年頃30歳で日魯造船で見習い3年半、軍隊へ1年。その後、日魯で40年、木造船および鋼船。鋼船の船員室や艙内工事など。
船種: 日魯造船付属でカムチャッカでの使用船、土海船(魚を運ぶ・長さ37m)
起船(魚取り・長さ40m)
三伴船(荷物運搬・58m)
磯船(連絡用・はっきりおぼえていないが8mくらい)
材料:日魯造船付属製材所、釘も同じ
調査者:山田 佑平
 
(6)赤沢 和也
有限会杜アカザワ漁船工機 代表者
●会杜として造船出来る
年齢:昭和4年生まれ
経歴:先代を次いで造船会杜をやっている。
船種: イソブネから60トンクラスのプラスチック船まで造る。当地ではイソブネを「ヒロメブネ」という。少し大きめで「トカイ」「ドケ」「ドカイ」という船もあった。
直近造船:平成14年「ムダマハギ」の「縄文船(渡海船)」を再現し、津軽海峡を横断した。
 
 
調査者:石原 義剛
 
(7)金沢 京作
●造船はできない
年齢:大正15年生まれ
経歴: 15歳で船大工だった父、京次郎の弟子の多賀谷大工に弟子入り。大戦中は豊浦の噴火湾造船で戦時型船を造ったが、24ケ月で終戦。23年前の昭和54年この地に落ち着いたが、数年で木造船はやめた。40年くらいの経験。
船種: イソブネ・サンパハギ(磯漁用・16〜19尺・幅3.6〜3.8尺・車櫂)
多い年は正月から7月20目まで22隻も「たたいた」(造った)ことがある。
チャッカ(イカ釣船)
材料: 木は地元の大野か大船の杉。ムダマハギは日高のシナ、カツラ、センノキなどを使った。釘は地元
直近造船:20年くらい前(この船が1隻近くに残っていた)
調査者:石原 義剛
 
(8)玉村 栄吾
報告者:山田 佑平
 
(9)笹谷鉄五郎
報告者:山田 佑平







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