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採藻
―海藻と人とのかかわり―
 日本列島周辺海域は、北赤道海流に由来する暖流系水(主として黒潮系)と寒流系水(主として親潮系)が混合する海洋環境と変化に富んだ海岸地形に恵まれて約1,400種の多様な海藻が生育します(吉田、1998)。そして、この恵まれた海藻資源の下で日本人が古代から海藻を食し、また利用してきたに違いありません。最近、縄文、弥生、両時代の遺跡調査から、海藻と海草に付着する葉上性微小貝類の化石が発掘され、縄文人や弥生人が海藻や海草を利用したことが間接的に示唆されています(黒住、1999;加納、2001)。そして、特に農耕技術が発達していなかった採集経済の時代において、海藻と人とのかかわりは現在よりも密接であったでありましょう。
 
図−1. 紅藻アサクサノリ
 
 海辺に生活の営みをもった人々は、打ち上げられたトサカノリやテングサやホンダワラを拾い、潮が引いた岩浜でノリ(図−1.)やフノリやヒジキを摘んだでありましょう。また、波静かな内湾の渚に寄せるアオサを拾い、淡水と海水が混じり合う河口域ではアオノリを採集したかもしれません。それは、主に塩分補給のために、また食料として多様な藻類を採集したにちがいありません。その後、海藻は漁業の対象となり、魚や貝や海藻を専門に採る海人が現れ、より深くまで獲物を求め、効率良く漁獲するための技術や道具を開発したでありましょう。そのアイデアとテクニックが現在の漁業者に伝えられています。その中には、船の上から深いところに生育するワカメ(図−2.)やテングサ類(図−3.)を刈り取るワカメカマやテングサガマなどの採集道具の発明があり、深いところに潜水して効率良く採集する技術の開発がありました。そして、潮の満ち引きや気象と海況の関係、いつ採集したらよいかという海藻の生活史に関することなど経験に基づく情報の集積がありました。特にノリの採藻は、江戸時代享保期(1716〜35)以降、採集から養殖へと発展していきました。
 
図−2. 褐藻ワカメ
 
図−3. 乾燥した紅藻テングサ類と寒天脱色したマクサと色つき棒寒天、糸寒天
 
 それでは、採藻の対象となった海藻としてどのようなものがあり、日本人は、海藻とどのようなかかわりをもってきたのか時代を追って概観してみましょう。
 古来、日本人は藻類を「のり」「め」「も」として見分けてきました。すなわち、一般に小さくてぬるぬるしたものを「のり」(ノリやトサカノリなど)、膜状で幅が広く長いものを「め」(ワカメ、ヒロメ、コンブなど)、枝を密生し花のような形の枝をもつものを「も」(ホンダワラ類、海草のアマモなど)としてきました。文献から当時のことが推定できる奈良時代に遡ってみてみると、「大宝律令賦役令(701)」や「養老律令(720)」(井上、1976)には、7種の海藻、紫菜(ムラサキノリ)、海藻(ワカメ)、滑海藻(アラメ)、海松(ミル)、凝海菜(コルモハ)、海藻根(マナカシ)、未滑海藻(カジメ)、雑海菜が税の一つ「調」として徴収されたことが記述され、その後、平安時代の「延喜式(10世紀)」(黒板、1986;1986a;1987)には、鶏冠菜(トサカノリ)、角俣菜(ツノマタ)、海蘿(フノリ)、青乃利(アオノリ)、於胡菜(オゴノリ)、神馬菜(ホンダワラ)、小凝菜(イギス)、比呂米(ヒロメ)を加えた14種が記述されています。すなわち8世紀以前より、食糧として、税の対象として、代替え貨幣として海藻は重要なものであったようです。また、室町時代から江戸時代初期に各地の特産品を記述した「毛吹草(1638)」(松江、1978)には、若和布(ワカメ)、海松(ミル)、石花採(テングサ)、海蘿(フノリ)、甘苔(アマノリ)など約20種を認め、マツノリ、シラモ、ウミゾウメン、キョウノヒモなど新しい名前が登場して、海藻がより細かく区別され、用途の多様化が進んだことを示唆しています。
 このように、奈良時代に特産品として貢納されていた海藻は、鎌倉時代から室町時代にかけて日本列島全域に流通し、藻を食べる習慣が支配階級から各階層へ流布したようです。そして、江戸時代になるとその傾向は強くなり、海藻の種類の選別も進み、コンブ、ノリ、テングサ、フノリなどを売買する商人が現れ、海藻の乾物を流通させるシステムが生まれたようです。
 そして、江戸時代の享保年間(1716〜35)に東京湾品川沖ではじめられたノリ養殖は発展し、フリボウ、スイコ・ガータを使って浅瀬の海底に穴をあけ、ソダ(樹枝)や竹枝を植え立てて、ノリの胞子を付着させて育成させる養殖技術が開発されました。それをヒビ建て方式と呼びます。また胞子の付着材をヒビと呼びました。その後、網ヒビ養殖が開発されて現在に至っています。摘み取ったノリは、かつてはノリタタキダイに載せてノリボウチョウや刃を柄に直角に付けたヒコウキボウチョウで刻み、「投げ付け」や「アヒル付け」といった方法で四角形のノリワクの中で漉き(すき)、漉いたノリスは固定式の台簾乾しや移動式の大阪乾しでおこない、その際、縮みを防ぎ光沢を出すために裏乾しをおこないました。このように海苔の加工技術が発達し、現在では、海苔付けと乾燥を同時に行う全自動海苔付け機が使われています。海苔(ノリ)とは、分類学上、紅藻類ウシケノリ目ウシケノリ科アマノリ属に含まれる海藻の総称であり、房総半島沿岸に8種が生育します(Miyata and Kikuchi、1997)。このように、江戸湾(現在の東京湾)の河口域で冬、11月〜2月頃行なわれる発達したノリの養殖は、漁民の経験から生まれ、1950年代にノリの生活史が研究されて解明された結果、ノリの増養殖技術が確立したのです。そして、その技術は日本列島の太平洋岸の内湾域から韓国、中国へと伝えられていきました。
 それでは、現在、どのような種類の海藻が採藻されているのでしょうか。日本列島を見渡してみると、1都1道1府32県の漁業者は、合わせて66種の海藻(紅藻49種、褐藻11種、緑藻6種)と海草2種を採捕できる第一種共同漁業権をもっています。日本で一番多くの種類を採藻しているのは、青森県、三重県、山口県の23種、次いで和歌山県21種、兵庫県20種、熊本県19種、そして千葉県、愛媛県17種の順であります。最も少ないのは、広島県の2種です。但し実際は、第一種共同漁業権をもっていても採藻しない種があるようです。
 千葉県、房総半島について見てみましょう。房総はかつて辺境の地であり、平城宮跡出土の木簡には海藻(ワカメ)を税として納めた産地として記述された下総、延喜主計式に凝海藻(テングサ)を納めたとある上総、そして安房と呼ばれたところでした。房総半島は、日本列島のほぼ中心にあり太平洋に突き出した島嶼的な地形であり、半島沖を北上する黒潮(暖流)と銚子沖まで南下する親潮(寒流)が混じり合い、加えて岩浜海岸、砂浜海岸、東京湾内湾、干潟など、総延長559kmに及ぶ多様な海岸線からなり、海藻459種(緑藻61種、褐藻101種、紅藻297種)が報告されています(千葉県史料研究財団編、1998)。すなわち、温帯性の海藻群落に亜熱帯性種と亜寒帯性種が混じる極めて種の多様性が高い海藻相を示す地域であります。このような環境の下、千葉県の漁業者は、17種(紅藻ユイキリ、テングサ、オニクサ、フノリ、コトジツノマタ、オオバツノマタ、ツノマタ、オゴノリ、トサカノリ、褐藻ハバノリ、ワカメ、カジメ、ヒジキ、ホンダワラ、緑藻アオノリ)について第一種共同漁業権をもっています。また、他の多くの種類を採集しています。そして、ノリやアオノリ養殖を行っています。アオノリ養殖は夷隅川、一宮川、南白亀川の河口で秋から冬(11月〜1月頃)に行われ、網ヒビに自然採苗し、生長を待って採集し、板ノリ状に乾燥したものを販売しています。お正月にハバノリと一緒に雑煮にかけて食べるようです。
 それでは、採藻した海藻をどのように使っているのでしょうか。千葉県漁業協同組合連合会の協力を得て、管轄海域をもつ52の漁業協同組合から推薦された104人を対象としたアンケート調査(1995年)の結果は、食べる以外の使い方に肥料や糊料の原材料として藻体を直接使用する場合と、洗髪剤のように海藻の抽出成分を使う場合があること、神饌のように神事、仏事そして祝事等のハレの日に使う海藻と海草が伝承されていることが明らかになりました。すなわち千葉県、房総半島における海藻の使い方は、食べる(食材型)、生活の道具として使う(生活資材型)、宗教的行事及び祝事に使う(宗教的資材型)の3つの基本型からなり、人とのかかわりかたに注目して海藻を区分すると、(1)主に食材となる海藻(緑藻アオノリ、ヒトエグサ、アナアオサ、褐藻ヒロメ、紅藻トサカノリ、テングサ類)、(2)食材と生活資材となる海藻(アラメ、カジメ、フクロフノリ、ハナフノリ)、(3)食材と神事の神饌など宗教的な道具となる海藻(ヒジキ、ワカメ、マクサ(テングサ類)、(4)生活資材となる海藻(ツノマタ類:糊料の原料 カジメやタンバノリ、ヒヂリメン、フダラク、ツルツルなど:肥料)、(5)生活資材と祝事の道具となる海藻(ホンダワラ類:肥料と正月の飾り)、(6)千年以上続くような宗教行事で必須の道具となっている海藻(ヒジキ、スガモ:お祭りの重要な飾り道具)のように6型に分類することができ、房総の海辺に暮らす人々の、毎日の生活の中に海藻があるということがわかります。
 採藻、すなわち、海藻や海草を採るという営みは、育てて採るという養殖技術が発達した一方で、海辺で海藻を手で拾い、摘み、船上から道具を使って海藻や海草を刈り、アマ(海女)やオトアマ(男士)が潜水して採るという形で今も変わりなくおこなわれています。
 房総の人々は、日本人は、1,300年以上にわたり、日常の生活文化としての「藻の文化」を創造してきたといえるのです。
(宮田 昌彦)
 
コラム
アサクサノリは今(絶滅危惧種)
 アサクサノリPorphyra tenera Kjellmanは、日本沿岸に生育する28種の紅藻アマノリ類の中で最もよく知られ、その商品はだれもがよく知っている「浅草海苔」と呼ばれました。
 江戸時代(18世紀初頭)に東京湾の品川沖に起源し、房総でも天保13年(1842)に小糸川河口の人見村(現在の君津市)で始められたノリ養殖の方法は、そだヒビから簾ヒビ、網ヒビへと移り変わり、浮き流し法の開発によって養殖場は内湾の干潟から外海へと拡大していきました。そして1950年代にアサクサノリの生活史が解明されてノリの胞子採りが天然採苗から人工採苗へと変わると、養殖対象種は干潟を中心に生育するアサクサノリから生産性の高いスサビノリ系の養殖品種ナラワスサビノリに変わり、アサクサノリは忘れ去られてしまいました。
 そして、今、東京湾をはじめとして、消えゆく日本全国の干潟で野生のアサクサノリを見つけることは大変困難な状況にあり、アサクサノリは今、絶滅危惧種としてあります。
(宮田 昌彦)
 
紅藻アサクサノリ







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