表紙説明
名詩の周辺
甲斐の客中(荻生徂徠)
山梨・甲府市
作者、荻生徂徠は江戸中期の儒学者。江戸の生まれで父、方庵は将軍綱吉の侍医を務めていました。徂徠は五歳で文字を知り、七歳から師について学び、九歳で詩を作っています。一時、父に従い上総国(千葉県)に赴きましたが、二十五歳で江戸に帰り、芝増上寺の門前に住みました。またその縁で、増上寺の山主の推挙を受け、柳沢吉保に仕えますが、次第に名声はあがり、将軍綱吉もしばしば吉保の邸で徂徠の講義を聴いたと伝えられています。
ところでこの詩は、作者が甲斐(山梨県)に遊び、その名産「葡萄酒」を飲み、名峰「富士」を眺めて、その感懐を詠った詩です。徂徠が仕えていた柳沢吉保は将軍綱吉の寵臣で宝永九年(一七○四)から甲府十五万石の藩主となりますが、作者もそのため甲府に赴くことが多かったようです。当時の甲府城(別名・舞鶴城)は今は無く、現在は石垣と内堀が残るのみです。その後一部が復元され、「舞鶴公園」として一般に公開されています。
(甲府城跡・舞鶴公園=山梨県甲府市丸ノ内。JR中央本線甲府駅から南東に徒歩五分)
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平成十五年度全国剣詩舞コンクール指定吟題が次のとおり決まりました
平成十五年度全国剣詩舞及び群舞コンクール指定吟題
☆剣舞 |
『幼年・少年の部』 |
1 |
泉岳寺 |
坂井虎山 |
2 |
日本刀 |
大鳥圭介 |
3 |
豪雄義経 |
松口月城 |
『青年・一般一部の部』 |
1 |
乃木将軍を挽す |
杉浦重剛 |
2 |
逸題 |
山内容堂 |
3 |
涼州詞 |
王之渙 |
4 |
偶成 |
雲井龍雄 |
5 |
和歌・もののふの |
菊池武時 |
『群舞』 |
1 |
本能寺 |
頼山陽 |
2 |
無題(和歌入り) |
村上仏山 |
3 |
蜀相 |
杜甫 |
☆詩舞 |
『幼年・少年の部』 |
1 |
富嶽 |
乃木希典 |
2 |
胡隠君を尋ぬ |
高啓 |
3 |
和歌・白鳥は |
若山牧水 |
『青年・一般の部」 |
1 |
平泉懐古 |
大槻磐渓 |
2 |
西宮秋怨 |
王昌齢 |
3 |
芳野に遊ぶ |
頼杏坪 |
4 |
江雪 |
柳完元 |
5 |
和歌・天離る |
柿本人麻呂 |
『群舞』 |
1 |
琵琶湖上の作 |
室鳩巣 |
2 |
獄中感有り |
西郷南洲 |
3 |
笛を吹く |
杜甫 |
OPINION
明日への提言
本誌「明日への提言」の執筆を河田神泉副会長にバトンタッチいたします
笹川鎮江
十月は私の誕生月です。大正十二年九月一日の関東大震災のあと、一時、寄留していた東京、代々木で生まれ、ほどなくして、焼け跡に新しい家が建ちましたので麹町にもどってまいりました。たいへんな時に生まれましたから、親たちの苦労はたいへんなことであったと思います。
満七十九歳、数え年では八十歳ということでしょうか、当財団の理事の定年は満八十歳となっていますから、何とか定年まではお勤めを果たすことが出来たと胸をなでおろしております。
私の病気入院が長引き、何かと皆さまにご迷惑をおかけしておりますが、いましばらくは、この状態が続くと考えられますので、九月はじめ、財団常任理事会の皆さまと相談いたし、病気回復まで河田神泉副会長に会長職務代行をお願いすることにいたしました。
本欄の執筆も、平成七年十月号から、笹川良一財団創始会長の後を引き継いで丸七年、いつの間にか八十五回目を数えることになりましたが、これも、河田神泉副会長にバトンタッチすることにいたしましたのでよろしくお願いいたします。
お陰さまで本誌購読者増強キャンペーンの効果が次第に表れ、毎月、一〇〇の単位で購読者が増えているとうかがい、たいへんうれしく思っております。
本誌購読者の皆さまに御礼申し上げますとともに、引き続き末長い、ご愛読をお願いいたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
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