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'03剣詩舞の研究(五)一般の部
石川健次郎
 
剣舞「逸題」
詩舞「西宮秋怨」
 
剣舞「逸題(いつだい)」の研究
山内容堂(やまのうちようどう)作
(前奏)
風(かぜ)は妖雲(よううん)を捲(まいて)日(ひ)斜め(ななめ)ならんと欲す(ほっす)
多難(たなん)意(い)に関(かん)して家(いえ)を思わず(おもわず)
誰(たれ)か知(し)らん此(こ)の裏(うら)余裕(よゆう)有る(ある)を
馬(うま)を郊原(こうげん)に立(た)てて菜花(さいか)を看る(みる)
(後奏)
 
〈詩文解釈〉
 作者の山内容堂(一八二七〜一八七二)の本名は山内豊信(とよしげ)で第十五代土佐藩主。幕末・維新期の大名として土佐藩内の商品流通を統制したり、洋式軍備を採用し、また門閥政治を否定して、広く人材の登用を計ったりして藩政改革を積極的に行った。
 また容堂は日頃から皇室の衰退を憂い、王政復古の志をもっていたが、安政五年に将軍継嗣問題がおこると幕府の意向に逆らい、そのため蟄居謹慎を命じられたりしたが、後に坂本龍馬等の建議を入れ、大政奉還を将軍徳川慶喜に建白した。
 王政復古後は新政府で学校制度を確立するなどの任に当たったが、その後いっさいの公職から離れ、詩歌を嗜み(たしなみ)、骨董(こっとう)品を収集したり、好きな酒を楽しむといった悠々自適な生活を送った。
 親交のあった勝海舟は、山内容堂について「彼は生まれつき気性が大きく、心のさっぱりした真に英雄としての素質を持っていた。普段の議論でも我々には考えのつかない問題を取り上げたが、一方、詩作、書、画などは本職以上の腕前を持っていた」と述べている。
 
 
黒船来航図
 
 
 さて本題に戻って詩文の意味を説明しよう。『日本の国情は、例えば風が妖しい雲をよび、日が陰るが如く、まことに前途は困難なことが多くて家のことなど顧みる暇がない。しかし、この様なことは自分自身は前々から熟慮してきたことだから、今さら何も慌てる事はなかった。だからこそ自分は心にゆとりを持ち、或るときは馬に乗って野原を散策し、花を愛でて居られるのである』と云うもの。
 当時の日本は外国の艦船が武力を背景にして開港を迫るなど、まさに太平の眠りを打ち破られる緊迫した事態の真ただ中であった。
 
 
唐代宮女、執扇の図(壁画)
 
 
〈構成振付のポイント〉
 作者の山内容堂はこの詩で一体何を言いたかったのであろうか。詩文の表面的な解釈だと「暗雲がただよう緊迫した国情を思えば、自分の家のことなど顧みるいとまがない。しかし自分は時局を見通すゆとりがあるので、こうして花を眺めているとは誰も知らないであろう」と、何となく上からものを言っている様なところがなくもない。しかし、これでは剣舞にならないから、武人として国を守る気概と、藩主即ち政治家としての見識を述べた此の詩文から、剣舞の表現を考えなければならない。
 構成としては、まず起句の実景描写は、海外からの巨大な挑戦を暗示する動作を考える。承句はそれを受けて必死の防戦を刀法で表現する。転句は前段とはがらりと変って、作者の一人称的立場から、今迄とは対称的な自己の立場を作り出し、勝海舟も述べているように作者の気性の大きさや、余裕のある行動を示す。結句は実景描写に戻って、馬上又は馬から下りて花を愛でるか、又は花を採るといった表情を見せる。 振付としては、起句は前奏とともに抽象的な動きで圧迫感を出す。台風とか嵐などの風の表現に、波が怒濤(どとう)の如く押しよせてくるようなタッチを加えた振りを素手、又は扇を使って表わす。承句は剣の見せどころにする。詩文からすると、やや混乱ぎみな防戦を取り入れるとよい。転句からは作者の領域だから、納刀した後に室内で書を読むとか茶を点てる(たてる)等の余裕ある行動を見せ、結句は詩文に従った振りを見せればよい。ただし馬の扱いは、この作品で特に重要ではないので、振の流れで処理すればよく、むしろ花を見る心に前段の詩文と通じるものが出れば素晴らしい。
 
〈衣装・持ち道具〉
 後半は作者のイメージになるため、武人といっても大名の品格が欲しい。従って紋付(色紋付でも可)がふさわしく、袴と調和させたい。前半はたすきを用いてもよいが、後半は不要。扇は雲型、霞模様などのタッチの強いものがよい。







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