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‘03剣詩舞の研究(四) 一般の部
石川健次郎
 
剣舞「乃木將軍を挽す」
詩舞「平泉懐古」
 
剣舞「乃木将軍(のぎしょうぐん)を挽(ばん)す」の研究
杉浦重剛(すぎうらしげたけ)作
 
(前奏)
赤城(せきじょう)の熱血(ねっけつ)余瀝(よれき)を存(そん)し
松下(しょうか)の遺風(いふう)不言(ふげん)に伝う(つとう)
心事(しんじ)明明(めいめい)還(また)白白(はくはく)
神州(しんしゅう)の正気(せいき)君(きみ)に頼って(よって)尊し(とうとし)
(後奏)
 
 
御大葬の日の乃木将軍夫妻
 
 
〈詩文解釈〉
 作者の杉浦重剛(一八五五〜一九二四)は明治から大正期にかけて活躍した教育者で、その識見は当時の社会に大きな影響を及ぼした。彼はまた及木将軍に対する深い理解者であり、将軍が大正元年九月十三日夜、明治天皇の御大葬に殉じて自刃したことを悼んで、この詩を詠んだ。
 ところで、この作品の内容は語句のそれぞれに註釈を必要とする程深い意味を持っているので、今回の詩文解釈は“句”ごとに区切って述べることにする。
 まず起句は、播州赤穂城(赤城)の藩士、四十七士が江戸麻布の長州侯屋敷にお預けとなって切腹したが、及木将軍もこの長州侯の上屋敷で誕生した因縁から、将軍は四十七士の激しい忠誠心に強い影響力を与えられたと述べている。
 承句は、乃木が十六歳のとき、伯父玉木文之進のもとで教えをうけたが、文之進は吉田松陰の叔父であり師でもあった関係から、松陰に直接教えをうけたわけではないが、彼の「松下村塾」の勤皇思想は自然に伝えられたと述べている。
 転句では、将軍の心に深く根ざした、西南の役で敵に軍旗を奪われたことや、旅順攻略で日本軍の将兵数万の死傷者を出したことなどに、その罪は万死に値すると考えていただけに、明治天皇の崩御によって殉死を遂げたのは、誠に純粋で明白であると述べている。
 そして結句では、我が神国日本にみなぎる気力は乃木将軍の殉死によってその尊さが世に知らされたのであると述べている。
 以上作者の詩文構成を要約すると、起・承句では乃木将軍の人間形成にかかわる四十七士の忠誠心と、松下村塾の勤皇の思想を述べ、転・結句では作者の鋭い観察力で将軍の殉死とその尊さを称賛している。
 
〈構成振付のポイント〉
 剣舞構成のために、例によって舞踊台本的に詩文の置き替えを試みよう。
(起句)武人乃木将軍は四十七士のように、常に忍耐力と気迫の溢れた激しさを持った武士として、最初に登場して礼法に適(かな)った刀の扱いから、討入りの激しさを表わす刀法を演じ、全体の山場を見せる。
(承句)松下村塾の教えを受けた乃木は、その忠君愛国の思想を刀と扇の抽象表現によって形を見せ、武士の心得として不惜身命の気構えを非常事態に則した刀法で演ずる。
(転句)舞台の四方一っぱいに、扇を構えて旋回し、将軍の真情を述べる姿を見せた後に、扇のたっぱいの型で自分に何んの曇りもなく天皇に殉ずることを決意する。
(結句)伝えられる史実とは異なるが、自決は武人らしく切腹の作法を端正に見せ、型の最後で小刀(扇)を納め、正面に一礼してから刀を捧げ持ちして上手に退場する。
 
 
明治天皇(肖像画)
 
 
〈衣装・持ち道具〉
 男性は黒紋付に袴の礼装、女性も黒か又は紫など男性に準じたものにしたい。持ち道具は刀以外に扇による舞や見立てとして切腹の小刀、書物などに共通するものとして白無地白骨の扇を用意する。







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