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地域文化情報発信拠点、観光拠点としての奄美パークですが、現在何を発信しているのですか。 |
・奄美を見る拠点
○奄美を、いろんな所を見て触れて感じてほしい。まず、外から来た観光客の方には、奄美を見る窓口としてパークは存在しておりまして、いろんな民族資料館的なものとか、奄美を舞台に壮絶な芸術人生を送った田中一村(たなかいっそん)の生きた姿とか、いろいろ感じていただけるんですけれどね。
例えば、瀬戸内町から移築した民家がありまして、そこにおじいさんが座っているんです。お人形なんです。ボタンを押すとケンムン(奄美に伝わるいたずらっ子の妖怪)の話を、奄美の方言と標準語でしてくれたりする。これ、人気あるんですよ。「あま爺」なんて、名前つけてもらってますけれど。この「あま爺」は夜になったら立って歩いているなんて冗談をいいますけれど、しょせん人形なんですね。パークに来られた後、街中に繰り出して、本物の「あま爺」や「あま婆」と話して、触れて感じて交流して、そこに人間関係が生まれる。そうするためのひとつの窓口という役割がまずありますよね。
・アイデンティティをさぐる拠点
○でも、もっと大事なのは、実は奄美の地元の方々が自分自身を見つめる場というのがなかったと、こんなに素晴らしい宝が山ほどあるのに、日常生活の中では、意外に宝を見ないというのがあるのです。地元の人たちというのは、自分達がどんなに素敵かということを全然気付いてない。
そういう意味で地元の方々が自分達を見つめ直す、ひとつの場としてあればいいなと、それも生きた場でなければいけない。施設として停まってるんじゃなくて、常に動いている。だから、ここのステージでもしょっちゅう8月踊りとか、島唄のライブとか、機織りの講座とか、いろんなことをやってるんです。そうやって、生きた場として奄美とは何ぞやということを見つめる場になったらいいなと。これは、いってみればアイデンティティという問題なんです。「私って誰、ここはどこ」、存在の根源の部分ですね。文化の背骨の部分。こういうのって難しいと思うんですね。アイデンティティというのは、永遠の課題ですから。それをわかって生きてる人というのも、あまりいないんですが。そういう文化のアイデンティティというのを、どうつかまえていくのかという意味での拠点になりますよね。
・外への発信拠点、外からの受信拠点
○それから、触れ合った人が情報として外に向かって発信しますね。そういう発信も鹿児島県とか九州地域とか日本とかだけじゃなくて、やっぱり地球規模に広げていきたい。
私、本職は大学の研究者ですから、国際学会を主催したり、いろんな機会があるんですね。で、たまたまウチの大学(千葉商科大学)を会場にして環境共生に関する国際学会を先週末3日間開いたんです。そこに参加した海外からの研究者をエクスカーション(小旅行)で昨日から、ここ(奄美)に連れてきたんですね。そうすると、その研究者達が国許に帰った時に、少なくとも奄美という想い出は持って帰ってくれるわけです。そうすると、そこから何か新しいものが生まれるかもしれないじゃないですか。日本というと、どうしても外からはステレオタイプで、富士山、芸者とか、いまだにそうですよ。研究者の中でも「新幹線、どこからどこまで走ってるの、東京から北京まで」と聞く人がいる程度の認識ですからね。
やっぱりね、情報が出ていないと思うんです。インターネットに載せれば情報発信か、ニュースに載せれば情報発信か、これは違うと思うんですね。その人の心に刻み付けないとその意味での本物ではないと思っているんです。
たまたま、国立シンガポール大学で環境共生を専門にやっている教授が、こっちに連れてきた中におりまして。シンガポールで年に1回、アースフェスティバルというのがあるんですね。昨日、島唄を聞かしたりなんかしたんですがするとその人はその企画に関わってるんでね、島唄を是非来年のアースフェスティバルに呼びたいと言うんです。だから、「ひとつ成功したかな」と私は思ってるんですけれども。
そういうことをどんどんひろげていって、少しずつ少しずつ世界に向けて奄美を発信しております。
それから逆に世界から受信していく。独り善がりは非常に危険ですから。世界にいろんな文化、情報ありますよね、大切なものが。そういうものを受けとめていく場でもありたいと思います。そこに相互交流が出来ますから。そうすると、新しい時代の波みたいなものが生まれていくのかなと。
・奄美時間
○2001年の4月に辞令をいただきまして、9月30日にここはオープンしたんですね。当初、割とタッタカタといくのかなと思っていたら、奄美時間というのがあるんですよ。これは非常に自然のゆったりとした時間で動いているわけです。7時からと決まっていても、必ず30分、1時間遅れて来る、それが奄美時間なんですね。でも、それだけではなくて、秒針の刻み方が違うと思うんですね。ゆったりとしたペースに合わせないと、追い越しちゃったら意味ないなと。最初はそれが体得できなくて、あせったんですね。「これはダメだな」と思って、今はゆっくり、少しずつ進むんです。そうすると少しずつの方が面白い成果が出てくるんです。意外に手ごたえがある。「あ、これかな」とようやく少しぺースがわかってきたような気がしてるんです。
本当に山積なんですよ、やらなきゃいけないことが。今時だから、インターネットで、やりとりとかいくらでも出来るんですね。でも、やっぱり、最終的な意思決定というのは、ここでやらないとダメなんですね。しかも、太陽のことを「ティダ」って奄美の言葉でいうんですが、このティダの下で考えて初めて浮かぶアイデアというのがやっぱりあるんですね。だから、最終的には皆の目を見て、このティダの下でですね、策定する作業を繰り返しているというのが、今なんですけれど。
私は当初から、お一人お一人に、ここは私のパークと思って入っていただきたいと思って、ここをスタートしたんですけれども、実際に愛し方がわからない方もいるわけですね。で、今度ボランティア制度を発足しようということで、「奄美パーク応援隊」というのを4月から立ち上げようと、今企画中で講習会をやってるところなんです。
◎ここは空気が違いますね。
○そうでしょう。東京から直行便があるんですけどね、乗る、降りる時で大体10何度気温が違う。空気の密度が違います。
◎東京よりも北九州からの方が遠いですよ
○だからですね、直行便作ってくださいってお願いしているんですよ。東京と大阪はあるんですよ、福岡も昔あったそうです。なくなっちゃったんですね、採算がとれないのかな。
・交通ネットワークの必要性
○私ね、今日是非申し上げたいのは交通ネットワークが必要だということなんです。だって気持ちがあってもネットワークがなければ行けないわけですから、手段がないわけですからね。
さっき申しました種子・屋久島の素晴らしい魅力、奄美の素晴らしい魅力の両方を見ようと思っても、種子・屋久島と奄美の間に直行便は何にもないんですよ、飛行機も船も何にも。これはね、本当にダメです。例えば、世界から人が来た時に屋久島を見て、奄美を見る。両方を直行で行けるから見比べて、こんなに違うのかというような所がわかるじゃないですか。それなのに、両方に行こうと思ったら、いちいち鹿児島まで戻らなきゃいけない。しかも飛行機代は高いし、大変じゃないですか。だから、交通ネットワークというのは、大変なネックになっておりますね。
いろんな構想があって、例えば経済圏という事で確立していこう、観光圏という事で確立していこう、それがなかなか実現しないのは何故かというのは、移動の手段ですね、ネットワークがないからです。最終的には感動、出会い、ふれあい、感性というものを価値観にしていこうとしたら、インターネットじゃダメなんですね。画面でクリックして出たものを見るだけじゃあ。行かなきゃいけないでしょ。迎えなきゃいけないでしょ。それがないんです。
◎確かに、奄美大島から屋久島にいこうとしたら飛行機はないですね。船で行ったら1泊しなきゃいけません。
○でもね、船は船そのものを愉しめれば、船に乗ること自体が目的になるというような位置付けもできるし、何でも早く安く遠くにというんじゃなくて、ゆっくりのんびりの路線があってもいいし。そこは柔軟に考えていけばいいと思うんですけれど。そういう整備がなかったじゃないですか。なんでもいいから、まっすぐに道路ひいてA地点とB地点を早く行こうと。
そうじゃないと思いますね。くねくねと曲がってて結構だし、自然を破壊しないようにいかに工夫できるか。そこで、移動そのものも目的にできるような交通インフラの作り方ですよね。それは効率万能主義で動く都市部とは、全く違う発想が必要なんです。
ちゃんと地域の目でみた、地域にあった政策の細かさがとても大事だというふうに私は常に思ってるんですけどね。
◎奄美のやり方で奄美を発展させたいと思ってらっしゃるのですか。
○そう、どこかよその方程式をそのまま持ってきたら、ただの自然破壊で終わりますから。何でも道路通せばいいというんじゃないですから。
ただ、移動はとても大事ですから、何らかの形で快適に移動できなきゃいけないと思いますけれど。快適の中身がね、クロウサギも何も踏み潰していくのが、早ければ快適なのか。そうじゃなくて、回り道を、紆余曲折して、道路がデコボコでも自然と共生しながら、でも行きたい所はある程度の行きたい時間でいくというようなことが、いくらでも考えられると思うんですね。陸海空、自在に組み合わせてですね、だから、そういうことを考えるのが大事で、そういうことを考える場としても、このパークを使っていただければと思うんですね。
・モビリティネットワーク
○豊かな自然、それを保全しながら大切に保ちながら、なおかつたくさんの方たちに分かち合っていただく。それだけの知恵もノウハウもインフラもね、いくらでも出来るんですね。持ってるんです、素材は。だから、早くそれを発動して、今のうちに子や孫の時代にちゃんと引き継がれる体制をね、作っておかないといけないと思うんですよね。やっぱり、美田を残さずというんじゃなくて、もっと美しい状態で継がなきゃいけないし、私は環境というのは、子や孫の代に引き継ぐんじゃなくて、子や孫の代から一時お借りしている、お返しするんだと、そういうものだと思っているんですね。だから、それにあうような施策というのはとれるはずなんです。まずね、それにはネットワークですよ。こういう施設もね、奄美パークだけじゃなくて、島内でいえば、住用村のマングローブですとかね、名瀬にも海洋館とかありますし、そこをもっと有機的にネットワークして情報交流とか人の交流とか、動きを作っていく。それから、もう少し全体的な交通インフラですよね。これは単純に道を作る、海路を開くということだけじゃなくて、移動インフラといいましょうか、モビリティですよね、モビリティを高めていくという、足で歩いても自転車でもいいわけですから、モビリティのネットワークを作っていかなきゃいけない。これらが大きな課題ですね。
(取材 池本朋子)
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