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Essay
「おせあにっくぐれいす」の船旅
岩男 秀彦
マリックスライン(株)取締役社長
鹿児島県旅客船協会 会 長
 
 日本のクルージングの幕開けとして、颯爽とデビューした「おせあにっくぐれいす」が、経営上どうしても採算に乗らないという理由で外国へ売船されてしまった。一九九七年のことである。その日本での最後のクルージングには、リピーターを含めて約六〇〇名がキャンセル待ちであったという。
 一九八九年四月、全長一〇三m、五〇五〇総トン、船客一二〇名、設備とクルーのサービスは超一級としてデビューしたのであった。
 かねてから船会社に勤める者として、クルージングを経験することは大切なことだと、かなり勝手な理由をつけてエーゲ海クルージングを経験したが、その時は全く一人でのツアー参加であり、不自由で面白味に欠け、時間と費用をかけたクルージングにしては甚だ効率の悪いものであった。家内に、機会があれば次は二人でクルージングに参加しようと話していたが、好運にも、かねて高級感あふれる豪華客船と耳にしていた「おせあにっくぐれいす」による「日本海・北海道周遊クルーズ」に参加出来たのである。日程的にも三泊四日、しかも国内周遊とあって、安、近、短のこの上ないクルージングで、一九九六年七月、新潟港からの乗船である。夏とはいえ夕方の新潟はセーターの一枚も欲しい位の肌寒さであった。クルーの暖かいウェルカムを受け、船上の人となる。ドラの音とともに滑る様に船は岸壁を離れて行く。キャビンはファーストクラスのみの一クラス制で、横並び一線の同じ乗客仲間である。デッキに出る。夏の日本海はやさしく穏かである。吸い込まれそうな紺碧の海、その海は永遠の広がりを持つかの様にどこまでも広く、白い航跡が崩れるのを遮る波もなくどこまでも続いていく。
 陽の沈む頃、キャプテンに迎えられてディナーが始まる。流石にパレスホテルのケータリングだけあって極めて美味である。選び抜かれた赤白のワインが、見知らぬ乗客同士を恰も日知であるかの様に結び、談笑を盛り上げてくれる。まさに至福のひと時である。心地よい酔いを暫しデッキで醒まし、隅々まで神経の行き届いた清潔で快適なキャビンに戻る。やがて、かすかなエンジンの音と揺れが眠りを誘う。
 翌朝七時、日本海に突き出た男鹿(おが)半島船川(ふながわ)港へ入港。初めて訪れる北国の町を散策し、小さい魚屋の店先で、サザエのつぼ焼を潮の香とともに味わう。夕方四時、北へ進路をとり、一路天売島(てうりとう)へと向う。夜八時頃から急に船の揺れが激しくなった。仕事で自社船に乗っている時は、かなりの揺れでも別に驚かないのに、どうしてこんなに揺れが気になるのか。仕事では気が張りつめているからであろうか。家内はと見れば、ディナーでの芳醇なワインのせいか、クルージングが実現した満足感からか心地よさそうに眠っている。こちらはベッドに横たわることなく、揺れの静まるのを待つ。やがて北海道を右にする頃になるとその揺れも止み、やっと眠りにつく事が出来た。後でわかった事だが、津軽海峡の横を航行する時は潮流が強く、いつもこの様に揺れるとのことであった。
 
 
 翌朝デッキに立つと、冷たい風が頬にあたり、北の海に来たことを教えてくれる。午後、海鳥が群舞する周囲十二kmの天売島の小さな港へ入港する。テンダーボートで上陸し、素朴な島の乙女の早変りガイドさんによる周遊船で島を一巡して上陸する。
 
 
 この天売島は、一九三八年国の天然記念物に指定され、一九九〇年わが国最北の国定公園となっている。約二千万年前の海底隆起によって誕生した島で、人を寄せつけない荒々しい西海岸は、オロロン鳥をはじめとする貴重な海鳥がコロニー(集団営巣地)を作っているとの説明に驚き、オオセグロカモメ・ウミウ・ケイマフリ・ウトウなど夥しい数の海鳥の乱舞は「見事」の一語につきよう。約一七〇種の海鳥が飛来し、六〜七月の繁殖期には島全体が海鳥で覆われ、日中約五万羽、夕方には数十万羽にもなるとの事であった。野鳥の会の会員である家内は、唯々感動するばかり。立ち尽くして眺めていた。
 目の前には紺碧の海に浮かぶ焼尻(やぎしり)島、東に天塩(てしお)山系、そして遥か北には利尻(りしり)島を望むことが出来、その大パノラマは今でも脳裡に焼き付いている。外敵から守るに最適の場所、生息するに足る充分な餌、そして渡り鳥飛来のコース上にある天売島は、鳥にとって楽園である。と同時に人間にとってもかけがえのない神からの贈り物である。多くの観光客が訪れることはよしとするも、決して鳥たちの楽園を消すことのない様に、環境保全に万全を期さなければと感じたのである。早変りガイドさんの、「さあ帰りましょ」の声に、後髪を引かれる思いで船上の人となる。この地を再び訪れる事が出来るだろうか。なんとしても訪れたいと惜別の情にかられての帰途となった。
 いよいよクルージング最後のコースとなりエンジン全開。進路は小樽へと一直線。最後の豪華なディナーも終ると、殆どの乗客はキャビンに戻らず、談笑し、過ぎ去る天売島に別れを告げ、旅の思いをいっぱい抱いての時を過ごしたのであった。
 翌朝九時小樽港入港。乗客、クルー共々「おせあにっくぐれいす」での再会を誓いあっての別れとなったのである。(この「おせあにっくぐれいす」が近く日本を去って異国へ行く事など全く知るよしも無かったのである。)
 クルージングは、自己の再発見、時間からの開放、見知らぬ人との出会い。そして別れ、自然との触合い、すべてを満足させてくれるものであり、何にも変え難い贅沢や歓びがある。私達に多くの歓びや感動そして癒しを与えてくれた「おせあにっくぐれいす」が、経営の厳しさには如何ともしがたく、遠く活路を求めて異国の地に去って行く事を知った時は、何とも言えない淋しく悲しい思いでいっぱいであった。経営にかかわる身として理屈では理解出来ても、情としては忍び難いものがある。
 大型船(例えば飛鳥など)による長期クルーズと、「おせあにっくぐれいす」の様な日本のどの港にも寄港でき、中国、ミクロネシア、サハリンなど大型船では寄港しにくい港にも寄港できる五千トンクラスの短期クルーズの両方があったらと願うのは無理な事なのだろうか。
 今は遠く異国で活躍している「おせあにっくぐれいす」は、たとえその名前は変っていても、貴婦人の如く美しく上品な姿は変ることなく、きっと多くの人々に感動を与え、愛されていることであろう。願わくば、何時の日か、あの「おせあにっくぐれいす」との再会が果せる様にと心密かに祈るのである。
 







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