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「国際都市福岡」
国土交通省 九州運輸局長
谷口 克己
 
 福岡に赴任して一年九ケ月余りになるが、韓国や中国などアジアの国々とのつながりの深さを感じることが多い。
 住まいは、早良区西新近くの祖原にある。元寇文永の役で激戦の場となった祖原山がすぐ近くだ。百道浜も三十分くらいなので、よく散歩に出かける。文永の役の後、北条時宗が築いた防塁の跡が西南学院の傍に残っている。百道浜の防波堤まで歩くと、江戸時代に金印が発見された志賀島や能古島、糸島半島に囲まれた博多湾が広がっている。福岡空港に着陸する航空機が、沖の方からひっきりなしに福岡市街に向かっていくのに少し驚く。
 
 海岸から少し陸の方に入り、昔の海岸線近くを東に歩くと、真福寺、金龍寺などの寺が連なる。かつては、これらの寺も外敵への備えとなったという。大濠公園を過ぎ、福岡城城址まで歩くと、市営球技場の傍に鴻臚館跡がある。鴻臚館は、「大君ノ遠ノ朝廷」といわれた大宰府の外港博多に、異国からの使節の接待、宿泊用に建てられた迎賓館である。時代の変化のなかで公的貿易の拠点の役割を続けるが、十一世紀後半になり、貿易の中心が私的な港博多津に移って、歴史的な役割を終える。その後千年もの間、歴史の舞台から姿を消していたこの史跡が見つかったのは昭和六十二年と最近のことだ。
 
 鴻臚館時代の後には、国際的な港町博多の時代が、江戸幕府によって対外貿易が禁止されるまで続いた。博多では、様々な人々が活躍した。鎌倉時代には、NHKの大河ドラマ「北条時宗」にも登場した謝国明のような宋人商人の活躍もみられた。博多駅の近くにある承天寺は、謝国明の援助により建立されたものだという。博多の国際都市としての繁栄が、こうした外国人に活躍の場を与えたのだろう。
 長浜のあたりを抜け海岸に出ると、博多埠頭にたどり着く。壱岐、対馬などに向かう高速船、フェリーの旅客ターミナルがある。近年、このあたりの整備が進み、シーサイドプレイスとしての賑わいを見せている。
 博多埠頭の東側の対岸には国際ターミナルが見える。釜山に向かうJR九州のビートルやカメリアラインのフェリーが発着している。十年余り前にスタートしたこれらの航路は日韓を結ぶ太いパイプに育っている。私も釜山で開催された日韓海峡観光会議に出席するため、ビートルに乗る機会があった。福岡から海路三時間弱のところに人口四百万の大都市がある。海から釜山港に近づくと、新しいコンテナバースの整備が進められているのが目につく。韓国の海の窓口が規模の大きいのに圧倒させられる。
 昨年二月には韓国船社も高速船コビーをこの航路に就航させた。博多、釜山間の船客は、昨年はワールドカップの開催もあり、前の年を十万人以上上回る四十八万人余りとなっている。競争の激化によりツアー価格も下がり、海上航路は益々福岡と釜山を結ぶ身近な交通手段となっている。
 博多から釜山までの海路の途中、青々とした対馬が横たわる。室町時代から江戸時代に、李氏朝鮮と日本の間を往来した朝鮮通信使は、漢城を出立し、釜山から海上に出て、この対馬を経て、新宮沖の相島に至り、江戸に向かった。対馬には検査登録事務所があるので、一度、視察のために訪れる機会があった。対馬の北端からは釜山が見える。対馬と釜山の間には韓国の船会社による航路が開設され、対馬に韓国資本のホテルの建設も進められていた。海峡を隔てたつながりの緊密化を痛感する。
 この二月には福岡と上海との間に週五便の航空便がスタートした。福岡と上海は、東京・福岡間と同じくらいの距離しかない。
 中国は、今、大変な経済の躍進を続けている。このところの経済成長率は、年率七パーセントにも及ぶという。上海や広東省などの沿海部の発展は目覚しく、中国は世界の工場と呼ばれるようになってきた。この中国に、九州からも進出する企業が増えている。安価な労働力を求めた工場の移転だけでなく、これらをバックアップする物流関係の企業も進出している。このため、ビジネス面での人の交流が拡大しつつある。
 一昨年中国から日本への団体観光旅行が解禁されたことから、九州に来る中国人旅行者の数も徐々に増えている。九州各県の中国人旅行客の誘致にも力が入っており、これからは観光面の交流も拡大していくだろう。
 中国や韓国などアジアの各国とのつながりが拡大し、福岡がかつての国際的港町博多のように様々な国々の方々が活躍する国際都市に発展していくことを期待したい。
 







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