Break Time
ブレイクタイム
初めての佐賀勤務
昨年4月、佐賀陸運支局勤務の辞令を受けた。私の出身地である基山町は佐賀県の東端に位置し福岡県内に飛び出した形になっているため佐賀市よりも福岡市の方がなじみやすくまた便利でもあったため、昭和37年2月15日福岡県陸運事務所に採用されても違和感はなく勤務していた。しかしながら、39年北九州市への転勤から殆どを県外で過ごすようになり出身地を聞かれることが多くなったが、佐賀県出身といえども鳥栖市と基山町以外全く知らないことに気付き再三佐賀勤務を要望した結果、入省40年目にして最終勤務地として希望が叶えられた。基山町には老いた両親が在住しているため現在も再三訪れているが佐賀県でも人口の増加が著しい街として日々姿を変えている。昔の遊び場が次々と大型団地に変貌しているのは寂しいが、立派な道路が縦横に走り瀟酒な商店街が出来ている一方で、今年もゴールデンウィークには賑わうであろう5万本のツツジで有名な大興善寺(だいこうぜんじ)、中学時代に部活で調査した、草スキーが楽しい基山(きざん)に築かれた歴史に残る一番古い朝鮮式山城として特別史跡に指定されている基肄城(きいじょう)跡、優美なたたずまいの瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)には五重の塔や昭和33年に奉納され当時西日本一といわれた高さ3メートルの大梵鐘等、昔と変わらない自然に溶け込んだ景観は今でも懐かしく迎えてくれる。基山町の観光といえば大興善寺のツツジは有名であるが、秋の紅葉はまた素晴らしいもので是非おすすめしたい。山歩きの好きな方は標高405メートルの基山や瀧光徳寺をゆっくり散策されたら如何でしょうか。鳥栖市については基山に隣接し国鉄の鹿児島本線と長崎本線の分岐点、国道3号線と34号線の分岐点として交通の要衝にあり、また、日本専売公社のたばこ工場が駅前にあり繁栄を極めていたが専売公社の移転、国鉄機関区の廃止等から一時の繁栄はなくなったものの九州自動車道と長崎自動車道・大分自動車道のジャンクションを有する地理的条件の良さから物流団地や商工業が発達し姿を変えて往時をしのぐ発展をしている。また清冽な水と暑さを知らない御手洗の滝キャンプ場はお勧めである。この地の鳥栖高校を卒業したため定年後は交通の利便がよくこのような自然環境に恵まれ友も多い基山に在住したいと思っていたが諸般の事情から当面古賀市に住むこととなったのはいささか残念である。佐賀市に勤務してみると、過去の勤務が福岡市を除けば大分市と長崎市が多くいずれも海と山に囲まれ窮屈なところであったが、北東部に天山―背振山系が望めるものの広大な佐賀平野の悠然たる広がりを通勤の電車の窓から眺めるのも素晴らしい。初夏ともなれば一面が田圃の水に輝き2〜3日もすると苗の緑に覆われる。日に日にすくすくとたくましく育つ稲を見るのもつかの間で、初秋になれば一面黄金色に輝く稲穂の波から、一転して刈り取られた後の肥沃な土が顔を出す。初冬になれば麦の植え付けが始まりまた緑の世界へと変貌する。何気ない風景ではあるが季節の移ろいを実感する。1年という期間でまだ殆ど県内を見ていないが、過去に職場のレクリエーションで行った竹崎の蟹や玄界灘のおいしい魚を食べた呼子など結婚以来30年間わがままを聞いてくれた妻と共に是非もう一度行ってみたいと思っている。
前 九州運輸局佐賀陸運支局長
矢野 正弘
大興善寺のツツジ
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