2003/05/06 読売新聞夕刊
[「イラク戦争後の世界」座談会](上)米一極集中が決定的に
山崎正和 五百旗頭真 池内恵
イラク戦争はブッシュ米大統領が戦闘終結を宣言するに至った。しかし、大義として掲げられた民主化への道のりは不透明だ。新たな世界秩序はいかにあるべきか。劇作家で東亜大学学長の山崎正和氏(69)、神戸大教授で日本政治外交史が専門の五百旗頭(いおきべ)真氏(59)、イスラム政治思想史に詳しいアジア経済研究所研究員の池内恵(さとし)氏(29)の三氏に、「イラク戦争後の世界を考える」をテーマに語り合ってもらった。(司会は、浅海保・編集局次長兼文化部長)
――イラク戦争についてどう評価するか。
山崎: 二十世紀前半の多極体制から、冷戦時代の二極体制、そしてアメリカ一極へと歴史は進み、イラク戦争は、この流れを決定的にした。軍事革命の成功により、今やどんな国も米に追いつくのに二十年の差が生じている。経済力も群を抜き、文化の面でも大衆的な影響力は世界を席巻している。反米感情が高いとされたフセイン政権下のバグダッドの街でも、「アメリカを倒せ」と叫ぶ若者が自室の壁にハリウッド女優のポスターを張り、照れくさそうに笑いながら、テレビ取材に応じていた。
何より人権、自由、民主主義という価値が世界標準になり、アメリカは道義的にも、ザ・超大国になった。ただ、アメリカも世界も、この新事態をどう迎えるべきか、とまどっているのが現状ではないか。
五百旗頭: 一極化の流れを9・11事件が加速した。とんでもない集団殺戮(さつりく)のテロが派手に成功しすぎて、アメリカの猛反撃を招いた。アメリカは、自国の安全保障が問題になると、他を捨ててまっしぐらに進む。今回も真珠湾で日本にやられた時と同じで、正義感に満ちて「我々は世界に対してしっかりとした使命感をもたなければ駄目だ」と思い、無法者の息の根を止めるまで猛然と反撃する。
冷戦後のアメリカは、歴史上はじめて対抗者のない一極体制を手にした。古典的な力の論理でいえば、行き過ぎが起こって当然だ。米国がどう振る舞うかが今後の世界の空気を左右するだろう。
池内: 9・11は、アメリカの世論を変え、反テロ戦争にまつわるイデオロギーを形作り、湾岸戦争後のイラクを中心とする中東地域の暫定的な安定を劇的に変えるきっかけを与えた。
湾岸戦争では多国籍軍が勝利したが、フセイン政権は存続し、大量破壊兵器は目に見える形で破棄されず、捕虜も帰さなかった。それどころか、フセインは「湾岸戦争は、アメリカの侵略を撃退した戦争だった」と国内宣伝していた。
それが放置されたのは、アラブ地域に一定の安定が達成されてしまったためだ。具体的には、アラブ周辺諸国の目から見ると、軍事的脅威だったイラクが、多国籍軍によって制裁を加えられ、封じ込められたことで脅威は減った。そして、封じ込められながらも完全には武装解除されないフセイン政権の存在は、イスラエルとイランへの抑止力になる。これが地域的秩序にとって、ちょうどいい状態だった。
しかも、フランス、ロシア、中国など制裁決議を中心となって通したはずの国が、石油権益を巡ってイラクとつながり、事実上は制裁が緩和された状況が続いていた。
◆敵視だけでないアラブ
五百旗頭: 湾岸戦争後の中東の「秩序」を破壊し、アメリカが力を示した戦争を、アラブ社会はどう見ているのか。
池内: フセインの銅像が倒された四月九日以前と以後では違う。周辺諸国には当初、「イラクがアメリカに一矢報いてくれるんじゃないか」という期待があったが、あっさり裏切られた。あの日の光景を見た諸国を「沈黙が支配した」と言われている。アラブ世界は、アメリカの介入のゆくえを注視している。
五百旗頭: どれぐらい許容度があるのか。アメリカが「いい旦那(だんな)」だったらいいよというのか。それとも、いいことしようが、悪いことしようが、絶対に反米か。
池内: 一貫して反米、ではない。まさにアメリカが「いい旦那」であってほしい。イラク人にとっては、食糧と安全の供給、そして経済発展をもたらしてくれるか否かが最大の関心事だ。
五百旗頭: 割と合理的な感覚をもっているわけだ。
山崎: 歴史的に見て、アメリカがアラブに敵視されたのはふしぎだ。
池内: パレスチナ問題が原因の一つだが、アラブは敵視ばかりしてはいない。マクドナルドはあこがれの的だし、技術力に関しては崇拝している。イラク人はアメリカのミサイルなら正確だと思っているから、誤爆を誤爆と認めず、アメリカに民間施設を攻撃する意図があったと考えるほどだ。ただ、彼らは対等のパートナーであることを求めていて、属国扱いされれば反発する。
――アジアでは、一極体制は、どう展開するのか。
山崎: 世界の工場を目指す中国は、少なくとも向こう十年ぐらいは、年間8%ぐらいの成長をしないと尻もちをつく。だから、当面はアメリカと仲良くせざるを得ない。
五百旗頭: 中国は一方で折にふれ、対米けん制は続けるだろうが、反米にならない分別はある。一極体制に中国が協力して北朝鮮に圧力をかける構図が浮上した。
◆新秩序利用して繁栄を
――一極体制は、米国の帝国化を招くとの見方もあるが。
山崎: かつての古代ペルシャ、ハプスブルク帝国でも、帝国内部では多様な民族が平和に共存していた。しかも、米国が主張する人権、民主主義、自由市場といった原理は、誰にとっても損をせずに受け入れられるものではないか。過激なイスラム原理主義者でも「先祖の墓を作るのと病院建設と、どちらがいいか」と聞いたとしたら、間違いなく後者を選ぶだろう。個人主義はすでに普遍化している。一極体制は世界平和を作り出すと思う。
池内: 長いスパンで見ると、米一極集中は、世界に繁栄をもたらすだろう。しかし、アラブ世界の近代化は失敗の連続で、過去三十年ほどを見ても、アラブ諸国の経済成長は石油価格上昇を差し引けば、ほとんどゼロに等しい。このため中産階級が一部でしか育たず、宗教の力が強く、近代化に逆行する動きもある。アラブ人とイスラム教の密接な関係からも、絶えずかく乱要因を提供し続けるのではないか。
五百旗頭: アメリカにはかつての帝国のような、領土拡張や植民地化の野心はない。ただ、9・11以後のアメリカは、自国の安全保障のためにも世界秩序に関与する意志が強く、世界の警察機能を果たし続けるだろう。それを帝国と言うなら帝国だ。しかしローマ帝国がローマ法をもって支配したように、アメリカも大小を問わずすべての国が参加できる経済システムをはじめとした装置を世界に提供してきた。
装置や原理は、帝国支配の手段であるが、その制約でもある。絶えず戦争する訳でもない。「アメリカ帝国」のすごみを過大評価することもないし、恐れるほどのこともない。無秩序ではなく秩序なのだからうまく利用すればよい。
山崎: 戦後アメリカが発明した文化的なツールは、「エスニシティー」という観念だ。旧来あった「民族」から政治的、領土的欲求を抜いた言葉だ。アメリカ社会では、かつてなら戦争していた民族同士も、エスニシティーに化けて暮らしている。その点で、世界はアメリカ化していると言われるが、その前にアメリカが世界化しているのだ。
イラン・イラク戦争の時、ニューヨークでタクシーに乗ったら、行きはイラク人運転手で、帰りはイラン人だった。本国では殺し合っている民族が、同じ街で客商売している。このアメリカの面白さにこそ、二十一世紀の処方せんがある。
◇山崎正和(やまざき まさかず)
1934年生まれ。
京都大学大学院修了。文学博士。
大阪大学教授を経て、東亜大学学長。
劇作家、評論家。
◇五百旗頭 真(いおきべ まこと)
1943年生まれ。
京都大学大学院修了。
広島大学政経学部助教授、米ハーバード大学客員研究員を経て、神戸大学法学部教授。
◇池内恵(いけうち さとし)
1973年生まれ。
東京大学文学部卒業。東京大学大学院修了。
アジア経済研究所研究員。
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