2003/04/01 毎日新聞夕刊
[特集ワイド]イラク戦争 世界が失うもの−−京都大学大学院・中西寛教授に聞く
◆日本
◇イスラム社会の反発は避けられない、自立の立場を説明できず政治的に低く見られる
国際的な批判を浴びつつブッシュ米政権が始めたイラク戦争は、米英の楽観的な予想に反して長期化の様相を呈してきた。米国の戦争を支持した日本は、どんな道を歩もうとしているのか。安全保障を中心とした国際政治の専門家である京都大学大学院法学研究科の中西寛教授(40)に聞いた。
(矢崎公二)
――イラク戦争をどうとらえていますか。
戦争に至る過程で国際社会が大きく対立したのは、イラク認識をめぐってではありません。フセイン政権が大量破壊兵器を保有している疑いがあること、国民の支持を得ていない圧政であるということ、その二つの点については国際社会はほぼ合意していた。世界が割れたのは、フセイン政権の脅威をなくすための手段として、3月の時点で軍事力を用いることが妥当かどうかという意見の対立です。つまり今回のイラク戦争はフセイン政権をめぐる問題が出発点ではありますが、むしろ国際社会が国際秩序をどう運営していくのか、特に先進国が持つ軍事力の使い方はどうあるべきかという議論だったのです。
――どういうことですか?
フランス、ロシアなどが武力行使に反対したのは、平和主義の立場から戦争は絶対にしてはいけないという考えからではありません。テロや大量破壊兵器の脅威は抑止や自衛といった従来の軍事的な手段では対応できず、その脅威の源泉を排除する必要があるので、ハイテク兵器を駆使して一般市民の被害を最小限に抑えながら先制的に軍事力を行使すべきだというのが米国のいわゆるブッシュ・ドクトリンです。反対国はこのドクトリンのリスクが高すぎることを懸念したのです。
――結局、米国は国連新決議なしで開戦に踏み切りました。この判断をどう見ますか?
国連憲章違反という指摘がされていますが、必ずしもそうではありません。合法性と政治的正当性の二つの問題を検討すると、米国の判断は基本的には支持しうるものと思います。まず合法性の問題については、国連の一致した支持が得られなかったことは事実ですが、米国が強調しているように湾岸戦争を終えるに当たってフセイン政権と結ばれた休戦条件が実現されていないということは、国際社会のほぼ一致した見方です。
政治的な正当性については、米国が示した“先制的な自衛”は、自衛権の範囲を拡張し過ぎていると思いますが、9・11事件後、テロと結びつく大量破壊兵器の危険を考えるとき、抑止では十分対応できない、あるいは一度攻撃を受けてから自衛の攻撃をするという通常の自衛権では、自国の安全を保障できないという主張には一定の正当性はあります。少なくとも米国内では正当な手続きによって議会が承認し、世論も高い支持を与えている。安全保障に関する国際法の判断では、国連であれ、国際司法裁判所であれ、はっきりと有権解釈をする組織はなく、結局は主要国の判断で結論が決まってしまうのが実際です。
――その米国を日本は支持しました。その評価は?
米国の攻撃にいかがわしい点はあるが一応、正当性があることと、日本が米国の親密な同盟国であること、その両面から考えて、日本がイラク攻撃を政治的に支持した判断は、妥当であったとは思います。ただ、開戦まで日本政府が示した対応は十分と言えるものではなかった。小泉純一郎首相は、国際秩序を保つうえで米国が軍事力行使に踏み出そうとしていることが持つ意味について本質的な問題に踏み込まなかった。政府はもっと議論を喚起し、問題の本質を明らかにし、国会でも積極的に討論すべきであったろうし、反対意見とも対話して米国支持の理由について丁寧に説明すべきであったと思います。
しかも、米国支持の理由として「日米同盟」と「北朝鮮問題」を引き合いに出したことは、もっぱら自国の利益を優先し、国際政治に責任を持つ主要国の一つとして役割を果たしていない印象を国内外に与えてしまった。支持にいたる政治的説得の手続きが、国内的にも国際的にも不十分だったということです。
――「国連主義」より「日米同盟」を重視したとの指摘があります。
国連主義とか、国際協調という言葉を小泉首相は不用意に使い過ぎたと思います。そもそも、国連主義と日米同盟の対比は、間違った二項対立です。国際協調は結果であって、日米同盟を取るか、国連を取るかという問題ではない。
では、国際政治運営の課題は何か。それは、米国の強大な力と他の主要国のバランスを両立させ、いかに国際秩序を築いていくかです。イラク戦争でその二つの柱は大きく揺らいでいますが、再び新しいバランスを回復して、二つの柱を両立するように努めることが大事です。
◇信頼を共有できる友好国を作ることも必要だ
――米国支持で日本が失ったものは何ですか?
米国支持によるコスト(負担)は当然あります。米国を支持すればイスラム社会からの反発や批判は避けられないでしょうし、日本が自国の立場をきちんと説明できなかったことは「結局、頼りにならない国だ」と政治的に低く見られるという結果を持ちました。
戦局はかなり複雑になってきました。戦争が長引き、状況次第では米国の日本への要求は厳しいものになる。資金や復興援助だけではなく、軍事的関与を要求されるということも絶対にないとは言えない。苦しくなった米国が日本に“真の友人”としての協力を求めてきた時には、日本にとって真の試練となるでしょう。
――北朝鮮問題への影響は?
大量破壊兵器を持つ動機を与えてしまうのではないかという不安があります。米国という強大国家に対応して自衛するためには、国際法を破っても核兵器を持つ必要があるという誘因になってしまう恐れがある。ただ、米国の強力な力と国際社会の結束が示されれば、北朝鮮は譲歩してくる可能性もある。東アジアほど米国の軍事力と各国の連携で、問題を平和的に解決する努力が必要な地域はないといっていいでしょう。
――日本はイラク戦争を契機にどこへ向かうのでしょうか。
日本は軍事力を対外的に行使しないことを宣言していますから、国際秩序を運営するうえでできることは限られている。しかし、国際政治の主要国としてものを言える立場にあるし、言うべき立場にもあります。日の当たらないところで汗を流す実務外交にたけているとしても、今回のように世界が二分している時には、目立った外交をすることも重要です。
日本の経済力は80年代の隆盛時には戻らないでしょうし、高齢化社会が到来し社会は成熟している。その意味では、日本外交は経済力や若々しさに頼ることは困難になりつつありますし、もちろん軍事力に頼ることもできない。となると、知恵と見識と外交技術で頑張るしかない。
戦争によって先進国と途上国の間が分裂し、米国を中心とする西洋諸国とイスラム社会との文明の衝突が起きて、国際社会が決定的に分裂するという事態はなんとしても避けなければならない。米国に加えもうひとつ以上の信頼を共有できる友好国を作ることも必要でしょう。イラク戦争や北朝鮮問題は厳しい試練ですが、それを乗り越えていく努力が日本にとって外交的に成熟していく経験となることを期待しています。
◇中西寛(なかにし ひろし)
1962年生まれ。
京都大学法学部卒業。京都大学大学院修了。
京都大学助教授を経て、京都大学教授。
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