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2003/03/16 産経新聞朝刊
【正論】イラク危機の解決、根源的な三つの問いは
帝京大学教授 志方俊之
◆やめる選択肢はない
 対イラク戦争の開戦は秒読み段階に入った。国連安保理では常任理事国の意見が「開戦」と「査察の継続」との真っ二つに分かれ、最後の駆け引きが行われている。
 米英両国もここまで待ったのだから、開戦に踏み切る前に、少しでも政治的・外交的な努力をした跡だけは残したいところだろう。
 開戦をしばらく待てば、激しくなる砂嵐、その後に来る夏の暑さ、現地で待たされる部隊の士気の沈滞、嵩(かさ)む一方の駐留費用など軍事的経済的な面での困難は増える。
 いま、米英両国は「待つことによって得られる政治外交的なメリット」と、「待つことによって増える軍事的デメリット」の兼合いを考えている。
 しかし、ここで注意すべきことは、米国には「開戦する」選択肢と「待つ」選択肢はあっても、「やめる」選択肢はないということだ。
 「待つ」ことの軍事的デメリットは致命的なものではなく、それが原因で米英両軍を中核とする連合軍がイラク軍に敗北を喫することはない。しかし、ブッシュ政権にとって「やめる」ことの政治的デメリットは致命的で計り知れないものがあるからだ。
 ブッシュ政権に限らず、米国はこと自国の安全保障については国連に縛られることを嫌ってきた。米国の国連平和維持活動への参加が低調だったことをみれば分かる。
 米国は国連に捉われたくはないが、国連を使って事を進めることが便利なときは国連の枠組みの中で行動してきた。朝鮮半島では、いまも在韓米軍が国連旗を掲げている。
 冷戦後、国連の安全保障機能が息を吹き返したように見えたが、国連憲章にすら定義されていなかったPKOの分野に限ったことで、大国同士は本質的な部分では当たらず障(さわ)らずで衝突を避けてきた。
 今回のイラク危機を前にして国連が制度疲労を起こして機能不全に陥っていることが白日の下に晒された。半世紀も前に大戦直後の国際秩序維持のために創り出された国際機構が、半世紀も経った対テロの時代にそのまま機能する筈はない。これに対し、半世紀にわたって培われてきた日米同盟の方がよほど確かなのである。
◆許容範囲は決められるか
 国連に代わって新しい時代に適合する国際機構、あるいは国連の抜本的な機構改革を考えるに当たって、国際社会には次の三つの問いが突きつけられている。
 コソボ紛争のとき、コソボ地区に住んでいた数千人のアルバニア系の住民が、ユーゴ(当時)軍に追われて命を奪われるという非人道的行為が行われた。このとき国連は非人道的行為をやめさせるべく動いたが、実際にユーゴに力を行使したのは米英両軍を中核とするNATO軍だった。
 米英両軍はコソボ地区のユーゴ軍を空爆しただけでなく、ユーゴスラビアの首都ベオグラードを空爆した。この空爆でどのくらいのユーゴ軍と市民が死亡したかは定かではない。第一の問いは、「非人道的な行為をやめさせるためにどの程度の非人道的行為なら許されるのか」というものだ。このとき国連はNATOに解決を丸投げして問題を「先送り」した。
 第二の問いは、同時多発テロ後の厳戒態勢の維持のときに突きつけられた。航空機の乗客の所持品検査はことのほか厳しく念入で、裸同然になるまで衣服を脱がされ、不用意に反抗的な態度をとったり何となく鋭い容貎であったり場違いな服装をしていると、それだけで執拗に質問されたり微罪で逮捕されたりした。
 安全の維持のためにはやむを得ないことだが「民主主義社会を守るためには、どの程度までなら民主主義を無視してよいのか」というものだ。
◆先制攻撃はだめか
 同時多発テロでは一瞬のうちに約三千人が犠牲となった。いずれ、テロ・グループが大量破壊兵器を持つようになってテロを行えば、犠牲者の数は三万人、三十万人にもなるだろう。
 これまで、国と国が問題を解決するとき、大国は「受けて立つ」のが守るべきルールだった。しかし、相手が大量破壊兵器を使えば、その第一撃によって「耐えられないほど大規模な被害」が発生し得る。そうなれば、受けて立つなどと鷹揚に構えていることが難しい。今回の湾岸危機の底流には「大規模テロを防ぐために、どの程度の先制攻撃なら許されるのか」という根源的な問いがあり、いま国際社会に突きつけられているのだ。わが国も米英を支持するに当たって、これら三つの問いに対する見解を用意しておく必要がある。
(しかた としゆき)
◇志方俊之(しかた としゆき)
1936年生まれ。
防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。
陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。
 
 
 
 
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