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2003/06/15 読売新聞朝刊
[地球を読む]イラクからパレスチナへ 米政策の究極目標
岡崎久彦
 
 イラク戦後の米国の中東政策の輪郭がはっきりと見えてきた。
 それは五月九日の米サウスカロライナにおけるブッシュ大統領の演説に明らかである。
 「中東の苦悩はアメリカの都市に惨害をもたらした。中東における自由と平和の推進はこの苦悩を取り除き、米国の安全を増す。中東の自由を推進するのは、それが米国の建国の精神であると同時に、米国の国益に資するからである。(中東に民主化が可能かという疑念に対して)ドイツ、日本、東欧、ロシアの自由は、それが実現される寸前まで、不可能と思われていたが、歴史がそれに答えを出している。自由は実現されてきた。なぜなら、自由と正義はすべての人類の心の中にある欲求だからである」
 発想の端緒は9・11のテロにあるが、米国の中東政策の中心は今や自由の達成にある。
 この姿勢はすでにイラク開戦の約二十日前、ニュー・ブッシュ・ドクトリンと呼ばれる二月二十六日の演説の時に固まっている。
 「我々は歴史的転換点に立っている。その歴史の一部は他人の手(9・11テロ)によって書かれたが、それ以外は我々によって書かれる。米国の国益は安全の確保にあり、米国の信条は自由にある。この両方が自由なイラクという一つの目的に向かっている。モロッコからバーレーンまで、そしてそれを越えて(イランの意か)アラブの知識人達は改革を欲している。新しいイラクは、自由の劇的な道標となろう」
 この政策は三月十七日の対イラク最後通牒(つうちょう)に明確な形で表れている。四十八時間の期限つきで米国がイラクに迫ったものは大量破壊兵器の廃棄でもなく、テロ支援中止でもなく、サダム・フセイン父子の追放であった。
 右の二つの演説で注目すべきは、イラクの解放と並んでパレスチナ問題の解決を優先課題として言及し、ついで中東全体の自由化民主化の目標を掲げていることである。これは「バグダッドを通ってエルサレム(パレスチナ問題)に行く」という米国保守派(いわゆる「ネオコン」)の戦略思想を米国の政策の中枢に据えたものである。
◎イラク戦の是非も左右
◆反米の“根”絶つ
 現にイラク戦の米国の勝利を背景に、パレスチナでは穏健派のアッバス自治政府首相が、アラファト議長の反対にもかかわらず議会多数で任命され、米国主導のパレスチナ問題解決の日程を無条件受諾し、イスラエルのタカ派政権も、これを受諾する苦渋の決断をした。そして六月四日のブッシュ大統領も交えた三首脳会談でこれを宣言した。
 これで年内にイスラエルも承認する民主的パレスチナ国家が生誕することになる。過激派の抵抗は強く、前途は多難であり、国境の画定等にはまだその後二年の交渉を必要とするが、これは半世紀以上も解決できなかったこの問題に歴史的進展の可能性が見えてきたことを意味する。
 それは米国のイラク政策成功の成否にもかかわってくる。
 米国の対イラク戦争は成功だったかどうか未確定である。イラクに自由、民主、親米政権が成立すれば完全成功、逆に反米、反イスラエル、汎(はん)アラブ勢力が主導権を握れば、戦争したこと自体が完全な失敗となる。
 ところでアラブの反米感情の根源はパレスチナ問題にある。アラブ側に言わせれば、千年来アラブの土地だった所に、ユダヤ人が米英の力を背景に建国し、アラブ人を追い出したのである。
 この問題が解決されると、イスラエルの生存権否認、対イスラエル・対米英テロを正当化するアラブ過激派のよって立つ所が失われる。その場合にこそ米国の掲げる自由と民主の旗にアラブが挑戦できなくなる。
 こうして、今やパレスチナ問題の解決とイラク占領政策、中東政策の成功とは渾然(こんぜん)一体となり、米国の政策目標となっているのである。
◆米駐留は長期化
 この目標を達成するためには、米国のイラク駐留は長くならざるを得ないであろう。
 サダムの居場所も大量破壊兵器の隠し場所も依然としてわからない。日本ぐらいの広い国の地下のどこかに隠されているとすれば、情報提供者がなければなかなかわからない。当然何百人かは知っているはずなのに密告者が一人も出ていないということは、まだサダムとバース党の呪縛(じゅばく)があるからと推測される。米国がすぐ去ってしまうと思えば、この呪縛が取り除かれることもなく、当面の治安も、今後の政権の民主化もおぼつかなくなる。
 パレスチナ問題でもそうであろう。すぐ傍らに強力な米国の存在があるという事実が、アッバス政権の支えとなり、反対する過激派の抑制にも効果があろう。またシリアにイスラエルの生存権を認めさせ、テロ支援をやめさせるためにも、更にまたイランのシーア派工作をやめさせるためにも、米国の駐留は大きな効果を発揮している。
◆迷いなく支持を
 米国はもはや騎虎の勢いである。もし失敗して引き揚げれば、米国が回復するには、ベトナム戦後のように、二十年はかかり、その間全世界は混迷しよう。
 さて、日本としては、同盟国米国がこのように引くに引けない情況にあることを理解すべきである。パレスチナとイスラエルの平和共存を目標とする米国の政策と米軍のイラク長期駐留の必要を理解し、これを迷いなく支持すべきである。イラク新法の重要な意義もここにある。
 米国の長期駐留が国際的批判なしで済むとは思われない。ユニラテラリズム(一国主義)反対のような、実質に乏しい抽象的観念的批判はさして意に介する必要はないかもしれない。しかし、アラブの一部からの反発は十分予想される。それは過去半世紀の左翼、反米、汎アラブ主義の最後の必死の抵抗の形をとり、アル・カーイダ、バース党の残党もそれに加わることとなろう。他面イラク、パレスチナの変容が中東全体に及ぼす地殻的変動を恐れる中東の既存政権からの隠微な抵抗もあろう。
 日本としてはこういう抵抗に対して、「アラブの心を知れ」とか「中東全域を不安定化させる」とか、軽薄な一知半解の議論に迎合しないことである。
 ここに、米外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」本年一月号巻頭のフアド博士(米ジョンズ・ホプキンス大学)の論文を紹介する。
 ――米国はアラブの心を掴(つか)めとか、戦争の正当性の支持を得るとか、甘い期待を持つべきではない。アラブには自分で責任をとる気もない甘え、ひがみ、猜疑(さいぎ)心による陰謀説などの傾向があり、心あるアラブはこうしたアラブの後進性、政治的頽廃(たいはい)から脱却したいと願って、米国の介入に期待している。
 ――力が物を言う。米国の力は進歩と後進性との間の微妙なバランスを変える。力を使えば、世界はその恩恵を受けつつも、それを非難するが、これは大国の宿命として甘受すべきである。(英文は本日のデイリー・ヨミウリに掲載しています)
 
<一国主義>
 国際協調より、自国の国益や安全保障を優先させる超大国、米国に見られる政策や思想。テロ支援国家などへの先制攻撃の正当化、地球温暖化を防止する京都議定書からの離脱など、ブッシュ現政権の対外政策を説明するのに使われる。
◇岡崎久彦(おかざき ひさひこ)
1930年生まれ。
東京大学法学部中退。英ケンブリッジ大学大学院修了。
東大在学中に外交官試験合格、外務省入省。情報調査局長、サウジアラビア大使、タイ大使を歴任。
現在、岡崎研究所所長。
 
 
 
 
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