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2003/03/31 産経新聞朝刊
【主張】イラク戦争 国連幻想から覚醒のとき
 
 イラク戦争に際して、国連の中枢である安全保障理事会の安全保障面での機能不全が露呈した。「安保理は死んだ」という声すら聞かれる。イラク戦後復興のあり方をめぐっても、米欧間の対立は根深く、安保理の機能回復は危うい。
 日本は一九五六年(昭和三十一年)に国連に加盟し、国際社会の一員に復帰して以来、国連中心主義を外交の三本柱の一つに掲げてきた。他の二本はいうまでもなく日米同盟堅持とアジア地域重視である。だが、国連安保理の権威失墜、力の限界が明白になったいま、日本の国連外交、国連中心主義も見直しのときを迎えている。
 国連加盟は戦後日本の悲願だったためか、日本には国連を現実以上に理想化し、美化し、正義の府とみる幻想がいまだに根強い。米英によるイラク攻撃は国連安保理の武力容認の新決議を得なかったから正当性がない−という議論も多分にこの国連幻想、国連信仰に基づいている。
 しかし、今回のイラク問題をめぐる国連での攻防は、国連が正義の府などではなく、国益、思惑を第一にした各国の激しい駆け引きの場であることを再認識させた。
 今回、日本は、イラク問題の最終場面で国連中心の国際協調主義と日米同盟の両立をはかることができなくなる場面に遭遇し、日米同盟を選択した。当然であった。北朝鮮の核脅威など日本の将来にわたる安全保障を、国連安保理に委ねることはできなかったからである。
 国連での安保理改革論議はことし十年目を迎える。だが、日本の常任理事国入りはおろか、日独伊などの敗戦国に対し安保理の許可がなくても武力行使を認める(国連憲章五十三条)などのいわゆる「旧敵国条項」の削除もいまだにできないでいる。
 イラク戦争を機に、国連改革論議が再び高まることを期待するが、日本としては国連への重視の姿勢を維持しつつ、幻想は抱かずに、国連の利用できる機能は活用していくという現実的な「国連活用主義」の視点を持つことが重要だ。その前に、集団的自衛権の行使容認、有事関連法案の成立など、国際社会での責任ある主権国家としての要件を整えることが急務なのはいうまでもない。
 
 
 
 
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