2003/03/23 産経新聞朝刊
【山口昌子の眼】イラク戦争 バナンとバナーン 米欧の世界観相違鮮明に
ブリュッセルでタクシーに乗ってウトウトしていたら、運転手が大声でげらげら笑ったので目が覚めた。カーラジオからは、「バナーン?」「ノン、バナン」「バナーン?」「ノン、ノン、バナン」というバナナをめぐる二人の男の会話が流れていた。音声でお伝えできないのが残念だが、もともとは同じ単語でも米英人とフランス人では発音が異なるので、お互いに理解できないという笑い話である。イラク戦をめぐる米英とフランスの対立を考えると実に怖い話でもある。
フランスでは今、ブッシュ米大統領の“お手本”の宣伝付きの翻訳本が話題を呼んでいる。米シンクタンク、カーネギー国際平和財団の有力研究員で新保守主義の論客の一人でもあるロバート・ケーガン氏の著作「パワーと弱さ」だ。副題は「新秩序における米欧関係」。「米国と欧州が世界に関して同じ見解を分かち合うと主張する時代は終わった」という刺激的な書き出しで始まる同書は、米欧の世界観の基本的相違を鮮明に指摘している。
ケーガン氏によると、欧州が第一次、第二次大戦で得た教訓は戦争の恐怖を二度と味わいたくないという「平和主義(パシフィズム)の文化」だという。この指摘自体は新しくないが、この「平和主義」という言葉は日本以外では決して良い意味では使われない。敗北主義、現実回避と同意語だからだ。シラク仏大統領が繰り返し、「われわれは平和主義ではない」と強調するのも敗北主義や逃げ腰と誤解されないためである。
しかし、ケーガン氏は、大統領が主張する国際法、つまり国連の枠組みでの紛争解決は「弱者の戦略」であり、平和主義者の発想ということになる。第一次湾岸戦争で約五十万の大軍がイラクを取り囲んだ現実は、冷戦終了後も力の戦略が依然として有効である証左である、というのがケーガン氏の主張である。
ケーガン氏や米国にとって、フランスを代表とする「古い欧州」は国連、欧州連合(EU)という国際機関を軸に集団的安全保障政策を重視し、妥協に走る弱者以外の何者でもない。同氏は、「男がマルス(火星=軍神)からやって来て、女がビーナス(金星=愛と美の女神)から来たように、米国はマルスから来て欧州はビーナスから来た」など、男女同権論者を激怒させるような持論も展開しているが、こうした欧州の弱者的発想は、社会保障の負担金が平等や連帯の掛け声の下で、まじめに働く者には極めて高額という「不均衡」を生んでいる欧州の経済政策にも当てはまるという。
シラク仏大統領は二十一日に閉幕したEU臨時首脳会議後の会見で、加盟国である英仏の差異について、「世界に関する、モラルに関するある種の考え方に基づく差異」と説明したが、この差異は英仏海峡にトンネルを作ったようには縮まらないのだろう。
もっとも、ケーガン氏の本が話題を呼んでいるのは、「米国人の発想を知るには有効である」(フィガロ紙の書評)という参考書的効用のほかに、あるいは耳の痛いフランス人が多いからかもしれない。
(パリ支局長)
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