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2003/03/21 産経新聞朝刊
【イラク戦争】フセイン大統領 国際情勢を誤算 「イラクで死ぬ」道へ
 
 【カイロ=村上大介】世界二位の原油埋蔵量を誇る豊かなイラクを絶え間ない戦乱に巻き込んできた独裁者、サダム・フセイン大統領が最後の時を迎えようとしている。政敵を容赦なく粛清し、国民を監視する恐怖政治で権力維持に執着してきたフセイン大統領。しかし、米国の攻撃から生き残る可能性は極めて少ないとみられ、国外退去の最後通告を拒否して「イラクで死ぬ」(同大統領)道を選んだようだ。
◆絶えぬ戦火招いた指導者
 フセイン大統領は一九六八年に、現在の支配政党バース党がクーデターで政権を掌握するとともに血縁のバクル大統領に引き立てられ政権ナンバー2に就任。一九七九年のバクル大統領引退に伴い、大統領に就任し、名実ともに最高権力者となったが、すでに七〇年代から実質的な権力者の地位を固めていた。
 社会主義とアラブ民族主義の融合を掲げたバース党だが、フセイン大統領の政権掌握以降、同党はさらに独裁傾向を強め、ついには個人崇拝の道具へと成り下がった。さらに大統領は、秘密警察などの治安機関を駆使した国民監視と極端な一族支配で、欧米の研究者や反体制派からは「恐怖の共和国」と表現される支配体制を構築した。
 バース党支配以前からクーデターや暗殺など権謀術数が渦巻いたイラクで権力者として君臨するには、たぐいまれな生存本能と現実感覚が必要とされたはずだが、フセイン大統領は大統領就任からわずか一年二カ月後の一九八〇年、イスラム革命(七九年)が起きた隣国イランに侵攻。国内多数派のイスラム教シーア派住民への革命波及を警戒しただけでなく、同じくイランを警戒する米国とも接近し、アラブ世界に対しては一気に「盟主」の地位を確立するという計算があったことは間違いないだろう。
 確かに一時的には米国との“蜜月”を迎え、シリアをのぞくアラブ各国はイラクを支援したが、戦争は八年間の長期におよび泥沼化し、イラクは多額の負債を抱える債務国に転落した。九〇年八月のクウェート侵攻は、大統領の誤算に拍車をかけた。最大の債権国であるクウェートと債務返済の対立を一気に解消する狙いも「米国は黙認する」との読みがはずれ、ぶざまなクウェート撤退を強いられただけでなく、国民をその後、十二年に及ぶ国連経済制裁で苦しめる結果となった。
 ただ、パレスチナ問題を大義に掲げ、イスラエルを後押しする米国との「対決」を演出しては瀬戸際戦術で生き延びるフセイン大統領の姿勢は、アラブ民衆から「英雄」と支持を集めた。しかし、これも米国が多数の米兵の犠牲覚悟でイラク進攻にまで踏み込むことはないとの前提に立ったアラブ世界や国民向けのショーだったといえる。
 イラクの政権交代を公言するブッシュ米政権の圧力で国連査察を無条件で受け入れ、過去と比較にならないほどの“協力姿勢”を示したが、それでも査察の引き延ばし戦術で最後まで米国の攻撃のタイミングをはずす駆け引きを続けた。
 フセイン大統領の二十四年に及ぶ治世のほとんどが戦火に彩られ、その根底には国際情勢に対する大統領の「誤算」に続く「誤算」がある。アラブ・イスラム世界は米国のイラク攻撃に対し、同胞イスラム教徒として強い拒絶反応を示すことになろう。しかし、「イラクで死ぬ」ことを選んだフセイン大統領が将来、「アラブの英雄」として人々に記憶される保証はもはやないだろう。
 
 
 
 
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