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2003/04/17 読売新聞朝刊
[イラク後の世界](5)「原油開放」で激変も(連載)
 
 バグダッド陥落が間近に迫った今月四日、ロンドン市内のホテルで、ある「秘密会議」が開かれた。
 集まったのは、ファダル・チャラビ元イラク石油相など反フセイン体制派の石油業界関係者ら。フセイン政権崩壊後の石油業界の再建策がテーマで、おぜん立てしたのは米国務省だった。
 「イラクは石油輸出国機構(OPEC)にとどまるが、生産量は割当枠に縛られない」「石油産業復興の中心的な役割は国際石油資本(メジャー)が担う」
 会議で確認された基本構想は、いずれも米国の意向が強く反映されていた。
 イラク戦争は、「短期終結」という最善のシナリオをたどったが、日本の株価は大幅に下落、米国の株価も軟調な展開が続いている。「戦争という不確定要素がなくなったことで、かえって実体経済の悪さが再認識された」というわけだ。
 しかし、戦争が長期泥沼化して、世界が同時恐慌入りするという最悪の事態は回避されたのも事実だ。さらに、今後、これまで「封印」されてきたイラク原油が世界市場に開放されれば、世界経済の構図が大きく塗り替えられる可能性がある。
 イラクは原油埋蔵量が千百二十五億バレルとサウジアラビアに次ぐ世界第二位の石油大国だ。だが、湾岸戦争後の国連による経済制裁で、石油輸出は人道物資購入のためだけに限られ、生産量は日量二百五十万バレルと、潜在能力の約40%にとどまっている。
 そのイラク原油が、新政権のもとで世界市場に放出される。これを事実上支配できれば、戦後のイラク復興資金を捻出(ねんしゅつ)できるだけでなく、テロリストとの関連も指摘される産油国が持つ世界経済への影響力を低下させることができる――。世界最大の原油消費国である米国の狙いは、「OPECの盟主であるサウジアラビアから、世界の原油市場での主導権を奪う」(日本のエネルギー関係者)ことにあるのは間違いない。
 だが、イラクの油田開発の契約・交渉を、フセイン政権との間で進めてきたロシア、フランスなどは、「契約はイラク新政権に引き継がれる」と既得権を主張し、アメリカの動きをけん制している。「フセイン政権と結んだ契約が有効かどうかは、新政権が判断する」(ラーソン米国務次官)とする米国とは真っ向から対立している。
 新規の油田開発についても、「国際的なルールに基づく入札でなければならない」(仏石油大手トタルフィナエルフのティエリー・デマレ最高経営責任者)と米国主導で進む原油政策にクギを刺す。「眠った原油」を巡る国際的な駆け引きは、戦争の完全終結を待たずに、激しさを増している。
◆日本、石油戦略作り急務
 イラク原油の実質支配をもくろむ米国の戦略は、巧みな「間接統治」にある。米政府は「原油収入はすべてイラク国民の利益のために使う」(チェイニー副大統領)と繰り返す。これも、国際批判が噴き出すのを避けるためだ。
 油田開発の担い手はあくまでイラク人だが、要所に米国人を配置してにらみを利かせる――。水面下では、開発復興の責任者に、英・オランダ系メジャー、ロイヤル・ダッチ・シェルの米子会社社長を務めたフィリップ・キャロル氏を起用する案が、検討されている。
 米国の狙い通り、親米政権の下で、豊富なイラク原油が市場に放出されれば、原油価格は大幅に下落するとみられている。「原油価格が一バレルあたり十ドル下がれば、米国の実質経済成長率は0.5%押し上げられる」(UFJ総合研究所の五十嵐敬喜調査部長)との試算もある。
 そうなれば、米国依存を強める世界経済にも好影響は及ぶ。とくに、深刻なデフレが続き、輸出頼みの日本経済にとって大きなプラス要因となる。原油価格の下落が、日本の消費者や経営者の心理の改善につながる期待もある。
 ただ、このシナリオ通り事態が進むとは限らない。十五日に初めて開かれた「イラク暫定行政機構」準備会合では、米主導の国家再建に反発して出席を拒否した勢力もあった。イラク国内に残る反米感情が米国のシナリオに影を落とす可能性は否定できない。
 被災した油田を修復し、新規油田の開発にこぎ着けるのも、困難な道のりだ。中東原油に詳しい米ケンブリッジ・エネルギー研究所のダニエル・ヤーギン理事長は、「生産を軌道に乗せるには五年程度、約五十億ドルの投資が必要になる」と指摘する。
 こうした米の動きに対して、OPECは今のところ沈黙を守っているが、イラクの増産を見込んで原油価格が急落すれば、反発を強めるのは必至だ。
 中東諸国は湾岸戦争以降の原油価格の下落で石油収入が落ち込み、経済が悪化、失業問題などが深刻化している。原油価格がさらに落ち込めば、経済的にも社会的にも混乱が広がりかねない。中東の政情不安は、新たなテロにもつながりかねず、米国にとっても避けなければならない事態だ。
 イラク原油の増産は、資源小国・日本にとっても権益確保の貴重な機会だ。
 日本は原油輸入の90%近くを中東地域に頼っている。しかも、サウジとアラブ首長国連邦(UAE)の二国で50%を占める。こうした偏った調達構造のために、欧米諸国より一バレル当たり一・五―二ドル割高な価格での買い取りを強いられている。もし、イラク油田の権益を確保できれば、エネルギー安全保障上も、産油国との価格交渉上も大きなメリットになる。
 イラクにほとんど足がかりがない日本が、米欧勢に対抗して権益を獲得するのは容易ではないとみられる。だが、「米欧メジャーが相手にしない日量十―三十万バレル程度の小規模油田なら食い込める」(石油元売り大手)との期待は高い。
 そのためにも、日本は、イラクの復興をどのように支援し、その中で、石油権益をどう確保していくのか、明確な戦略作りを急ぐ必要がある。
(経済部 坂本裕寿)
 
 
 
 
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