2003/03/21 読売新聞朝刊
イラク戦争開始 絶体絶命、サダム王朝 一族独裁と粛清の24年
米軍による攻撃に、徹底抗戦を宣言したイラク大統領サダム・フセイン。その二十四年に及ぶ治世は、近親者や親族らを要職に配し、「サダム王朝」とも称される独裁体制を確立する過程であると同時に、自分に刃向かう者や地位を脅かす者を容赦なく粛清する恐怖政治の連続でもあった。(国際部 佐藤秀憲、文中敬称略)
サダムは一九三七年四月二十八日、バグダッド北西の地方都市ティクリート近郊の寒村に生まれた。出生前に実父を亡くし継父イブラヒムに育てられたが、暴力を振るわれることも珍しくなく、貧しさから満足に学校にさえ通わせてもらえなかった。こうした体験が、サダムのゆがんだ人格形成に少なからぬ影響を与えたことは想像に難くない。
十歳のころ、母方のおじであるハイララ・タルファに引き取られ、少年期を過ごす。ハイララとの出会いは、その生涯で決定的に重要な意味を持つ。ハイララを通じ、熱心なバース党活動家だったバクルに出会い、五七年、同党に入党、権力の階段を駆け上るきっかけをつかんだからだ。ハイララの娘サジダは、後にサダムの第一夫人となる。
バクルが六八年、クーデターで全権を掌握、大統領に就任すると、バクルの後押しを受け、最高意思決定機関・革命指導評議会(RCC)副議長に就任、事実上、ナンバー2の実力者にのし上がる。異例の抜てきは、サダムが治安・諜報(ちょうほう)機関の創設・整備を通じ、バース党独裁体制の基礎を確立、バクルにとって欠かせない存在になったことが大きい。七九年、バクル引退に伴い大統領に就任するのは、四十二歳の時だ。
サダム王朝を支えたのは、主にサダムの実父の家系アル・マジド家と継父の家系イブラヒム家に連なる人脈だ。サダムは、バルザンとワトバン、サバウィ三兄弟、いとこのアリ・ハッサン・アル・マジド、娘婿のフセイン・カメルらを、国防相や内相、治安機関責任者などに任命し、独裁体制を強化する。
だが、王朝支配が強まるほど、一族内の権力抗争も苛烈(かれつ)さを増した。
八九年には、イブラヒム家に身を寄せていたサダムと兄弟同様の仲だった、いとこのアドナンがヘリコプター事故で死亡する事件が起きるが、これはアドナンの台頭に危機感を強めたサダムが暗殺を命じたとの見方が支配的。娘婿のカメル兄弟がヨルダンに亡命後、帰国して殺害された事件も、サダムの長男ウダイ、二男クサイへの権力集中が引き金になったと言われる。
二十日始まった米軍攻撃の目標は、サダム王朝の解体だ。数々の暗殺や陰謀を権謀術数で乗り越えてきたサダムは、今度こそ絶体絶命の危機に立たされた。
■フセイン大統領を巡る動き■
<権力者への道>
1932. |
10. |
イラク王国独立 |
1937. |
4.28 |
フセイン氏、イラク北部ティクリートに生まれる |
1957. |
|
フセイン氏、バース党に入党 |
1958. |
7. |
カセム准将率いるイラクの自由将校団が王制打倒、共和制革命。ファイサル2世国王一家処刑 |
1959. |
|
カセム首相暗殺未遂。フセイン氏は実行メンバーに加わり、エジプトへ逃亡 |
1963. |
2. |
バース党系将校団のクーデターでカセム首相処刑。フセイン氏は直後にイラク帰国。アレフ大統領就任 |
|
11. |
アレフ大統領がバース党を政権から追放 |
1964. |
9. |
バース党がクーデターに失敗。フセイン氏投獄 |
1968. |
7. |
バース党と軍のクーデターでバクル将軍が大統領就任 |
1969. |
11. |
フセイン氏、政権ナンバー2の革命指導評議会副議長に |
1979. |
7. |
バクル大統領引退。副大統領だったフセイン氏が大統領に |
<戦争と一族支配強化>
1980. |
9. |
イラン・イラク戦争開戦 |
1981. |
6. |
バグダッド近郊に建設中のオシラク原子炉をイスラエル軍機が破壊 |
1984. |
11. |
米国がイラクと国交回復 |
1988. |
3. |
イラン軍が占領したイラク北部ハラブジャに対し、イラク軍が毒ガス攻撃。クルド人住民約5000人が死亡 |
|
8. |
イラン・イラク戦争停戦発効 |
1989. |
5. |
フセイン大統領のいとこ・ハイララ国防相が不審死 |
1990. |
8. |
イラクがクウェートに侵攻 |
1991. |
1. |
多国籍軍空爆で湾岸戦争開戦 |
|
2. |
クウェート解放、米国が勝利宣言 |
|
3-4. |
クルド人やイスラム教シーア派住民が武装ほう起。イラク軍が鎮圧 |
1993. |
6. |
ブッシュ元米大統領暗殺未遂事件への報復として、米軍がバグダッドの情報機関施設を巡航ミサイルで攻撃 |
1995. |
5? |
フセイン大統領の長男ウダイ氏、ワトバン内相(フセイン大統領の異父弟)に発砲、負傷させる |
|
8. |
フセイン大統領の娘婿カメル兄弟がヨルダンに亡命 |
|
10. |
国民投票でフセイン大統領信任。支持率99.96% |
1996. |
2. |
大統領の赦免決定を受け帰国したカメル兄弟が、親族に襲撃され死亡 |
|
9. |
米軍がイラク国内の防空施設を巡航ミサイルで攻撃。南部飛行禁止区域を北緯33度以南に拡大 |
|
12. |
ウダイ氏が暗殺未遂で重傷 |
1998. |
11. |
イブラヒム革命指導評議会副議長の暗殺未遂 |
|
12. |
査察拒否への報復として、米英がバグダッドなどを大規模空爆 |
2000. |
3. |
国民議会選挙でウダイ氏が当選 |
2001. |
5. |
フセイン大統領の二男クサイ氏、バース党中核組織の地域指導部メンバーに |
|
9. |
米同時テロ |
<テロ支援疑惑>
2002. |
1.29 |
ブッシュ米大統領「悪の枢軸」演説 |
|
9.12 |
ブッシュ米大統領が国連総会で演説。イラクの「増殖する危険」と向き合うよう国際社会に要求 |
|
10.15 |
国民投票でフセイン大統領信任。支持率100% |
|
11.8 |
国連安保理が決議1441を全会一致で採択。イラクに大量破壊兵器査察の無条件受け入れを要求 |
|
27 |
国連査察団が4年ぶりに査察再開 |
|
12.7 |
イラクが安保理への申告書で大量破壊兵器はないと明言 |
2003. |
1.27 |
国連査察団が「イラクの協力は不十分」と正式報告指摘 |
|
2.5 |
パウエル米国務長官が国連安保理で報告。イラクによる大量破壊兵器の隠ぺい工作の証拠を提示 |
|
24 |
武力行使を容認する決議案を米英スペインが国連安保理に共同提出。仏独露は査察継続を求める覚書を提出 |
|
3.7 |
米英スペインがイラクの武装解除期限を17日とする新決議修正案を国連安保理に提出 |
図=フセイン大統領一族
写真=サダム・フセイン大統領
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
「読売新聞社の著作物について」
|