日本財団 図書館


日本財団助成事業報告書
記録映像を利用した佐渡での出前授業
―身近な和船の伝統文化を見直していく児童・生徒を目指して―
(財)新潟県文化振興財団(新潟県立歴史博物館)
担当 田中 和徳
I はじめに
 今、日本の各地で伝統技術や文化が消えようとしている。例えば和船の製造技術は、伝統的に親方から弟子に受け継がれてきたものの、製造のためのマニュアルや図面はなく、弟子の不在は技術の消滅に直結している。新潟県佐渡の「たらい舟」もこの例外ではない。幸い製造技術を後世に残すために米国のダグラス・ブルックス氏が丹念に調査・記録を行い、自ら製作技術をも会得している。このたび、ブルックス氏とのかかわりを通して、地域の伝統文化の継承について、日本人として考えさせられる点が多かった。幸い、日本財団の助成により、氏の活動等を盛り込み、地域の伝統文化復活をテーマとしたビデオ制作に携わることができた。市民への啓発を大きな目的として制作をしながらも、地元の小中学生がこのビデオを視聴して身近な文化を見つめ直す契機となるように博物館の出前授業を企図してみた。
 この出前授業においては、博物館の文化振興的側面に側面に鑑み、授業者の意図することを児童生徒に投げかけることに重点をおいた。すなわち、児童生徒自身が地域の伝統文化を継承する担い手であることに気付いてもらうために、地元の「たらい舟の文化」のすばらしさを再認識できるような支援を考え実施した。この出前授業の意図や実践の概要、ダグラス・ブルックス氏招聘にかかわる経過と成果、映像の概要を記し、日本財団助成事業の報告としたい。
 
II 博物館・学校教育双方からみた「たらい舟」出前授業の位置づけ
1 博物館教育の立場から
a)博物館の機能的側面から
 博物館には、文化財の保護や資料保存という、文化行政的機能を備え持つ。当館は「県民文化の高揚を図り、県民の生活向上と文化の発展に寄与する。」を目的とした新潟県文化振興財団に属している。佐渡では、1999年に最後のたらい舟職人藤井孝一さんが亡くなった現在、たらい舟にかかわる文化及び技術の保存・伝承に向けて、地元小木町や地元研究者・民間財団等が努力を行っている。また、米国人船舶複製技師ダグラス・ブルックス氏は、生前の藤井さんに弟子入りし、技術の記録を行い、その修得に励んでいる。当館では、日本財団の支援を受け、たらい舟の文化の伝承に努力している人々に焦点を当てた映像製作を行い、県民への啓発を試みた。また、ダグラス・ブルックス氏の活動を支援することにより、最後のたらい舟職人の有していた技術復活に対する支援を行った。また、製作したビデオを用いて、地元子供達に対しては、たらい舟の文化に対する見直しを迫り、地元の伝統文化に対する誇りを持たせることにより、何らかの形で将来につながるように意図して、出前授業を試みた。
 
b)博物館と学校との連携
 当館は歴史系の博物館であり、学校での利用は社会科・総合での学習の一環での利用、または、修学旅行や遠足での利用が多い。特に前者の場合は、各学校の教科の指導計画に位置づけられたものであり、事前に担当教師と綿密に打ち合わせた上で、学芸員(研究員)による支援を行っている。そのような意味ではフォーマルな学習への支援ということになる。それに対して、最近の博物館では、学校での授業とは異なる、博物館ならではの個々に選択できる学習プログラムやインタラクティブ(ハンズ・オン)な展示装置により、自由で楽しい学びの場(インフォーマルな学習環境)を提供しようという考え方が主流となってきている1)。
 
c)博物館のアウトリーチ活動として
 博物館における出前授業は、新しい利用者開拓のための動機付けを行うアウトリーチ活動であり、地域社会に開かれた博物館として人々の生涯学習を支援するものである2)。出前授業も、今回の実践のように博物館側の教育普及活動の一つとして意図的に行う場合や、学校側の要請により教師と一体となって授業内容を構成する場合、または、あらかじめ博物館で用意した出前授業用のプログラムを選択する場合等が考えられよう。いずれのケースにせよ、出前授業の大きな目的は、博物館の研究成果を広く普及するものであり、かつ、リピーターや新規の利用者の開拓など博物館のファンを増やすための広報的なものでもある。
 
1) ティム・コールトン, 染川ら訳(2000)『ハンズ・オンとこれからの博物館』, 東海大学出版会, pp31−63
2) 大堀哲(1999):博物館の出前講座. 『生涯学習と博物館活動』. 雄山閣出版, pp117−122。
2) 川那部浩哉編(2000)『博物館を楽しむ』. 岩波書店, p142
長島雄一(2000)「出前授業」で新たな博物館ファンを獲得. 『学ぶ心を育てる博物館』. ミュゼ, pp36−49
 
2 学校教育の立場から
a)伝統文化の学習という視点から
 平成元年版学習指導要領においては、心豊かな人間育成を図るために「我が国の文化と伝統の尊重と国際理解の推進」を掲げ、国際社会での信頼を得るために、諸外国の文化や身近な地域と我が国の文化や伝統への理解と尊重する態度を育むこととし、文部省による伝統文化教育推進事業が行われた。佐島(1992)は、伝統・文化学習の教育的意義の一つとして、地域への所属感を持たせ、地域をよりよくしようとする意欲や態度を形成することができるとしている3)。高山(1998)はグローバルな視野から諸民族の文化をとらえ、その中で日本文化の個性を見いだす立場から、学習の実践においては、総合的な学習の展開、地域性や風土性に着目して歴史的事象と地理的事象を統一的にとらえる教材が必要としている4)。
 
b)地理教育の立場から
○地形と漁業の学習という視点から
 たらい舟による漁業の展開は、小木半島の地形に大きく関係する。本地域は海成段丘が卓越する隆起海岸で、1802(享和2)年の地震によって地盤が隆起し、浅瀬の海岸となった。玄武岩質の溶岩からなる黒い岩礁の軟弱部分は浸食されて小さな入り江となっており破澗(あぶるま)、小回りのきくたらい舟による漁が発達してきた。また、独特の磯ネギ漁は、木の性質を生かした漁具を巧みに操る名人技ともいえる漁業形態である。
 
○身近な地域の学習という視点から
 昭和43年(小学校)、44年(中学校)の学習指導要領において、郷土学習から身近な地域の学習に変わった。特に戦前の官製による郷土教育が郷土愛や愛国心の涵養を目的とする心情的側面が強調されすぎ、正しい社会認識が欠如した学習となっていた。その反省も踏まえ客観的科学的な方法概念が重視されるようになっている。
 
c)学社融合という視点から
 文部省の生涯学習審議会は平成8年「地域における生涯学習機会の充実方策について」の答申を行った。そこでは、学校だけでは成し得なかった、より豊かな子どもたちの教育を可能とするために、学校教育と社会教育が一体となることを提案している。具体的には、「学校が地域の青少年教育施設や図書館・博物館などの社会教育・文化・スポーツ施設を効果的に利用することができるよう、それぞれの施設が、学校との連携・協力を図りつつ、学校教育の中で活用しやすいプログラムや教材を開発し、施設の特色を活かした事業を積極的に展開していくことが重要である。」としている。
 
3) 佐島群巳(1992)歴史教育における「伝統・文化」学習の意義. 学校教育研究所年報第36号, pp.36−47
4) 高山博之(1998)歴史教育における「文化と伝統」についての一考察. 人間研究34, pp.5−14
 
3 「復活!! たらい舟」出前授業の意図
 今回の出前授業は、身近な地域の文化である「たらい舟」文化の学習を方法概念としてとらえながら、最終的には目的概念としてとらえることにより、地域の発展に貢献しようという態度や郷土愛を育成することをねらった。その理由は、単純であり、次の通りである。消えようとしている地域の伝統文化に対して、地元の児童生徒が正対し、自分なりに今後どのようにかかわったらよいか考えてもらいたかったからである。方法概念としてとらえた場合、他人事の議論になる可能性を危惧したからである。
 学校サイドから見れば、学社融合による外部講師を招聘した学習あるいは学習指導要領に明示される博物館を効果的に利用した学習という点から、最近では両者の距離が近接しつつあるといえる。しかしながら、児童生徒に提供する教育サービスという視点からみた場合は、両者のスタンスは隔たりがあることも現実ではあろう(フォーマル、インフォーマル)。今回、筆者は、博物館において、地域の伝統文化復活をテーマとしたビデオ制作に携わることができた。市民への啓発を大きな目的としながらも、スポットを当てたたらい舟の文化が、新潟県において佐渡の小木半島にしかみられない地域の伝統文化であることから、地元の小中学生に対する出前授業を通して、研究成果の普及を試みた。
 地域の伝統文化の学習については、学習指導要領の改訂に伴い、小学校・中学校ともに、より重点化されてきている。見学や調査活動、博物館や郷土資料館などの活用を通して、地域の生活に根ざした文化を地域の地理的条件や地域の歴史、民俗学の視点から、具体的に学んでいけるようにするものである。これらを受けて学校では、地域の古老や知識人などのサポートを得ながら地域の伝統文化を学んでいる。
 地域の伝統文化を学ぶにあたり、いくつかの壁を乗り越えなければならない。一つは教職員側の問題で、地方に多く存在する短いサイクルでの転勤と新教育課程実施に伴う事務量の増大等により、地域素材の教材化に困難が生ずる点、そして児童・生徒側の問題であるが、地域の伝統文化が、あまりに身近な存在であるがために見過ごす傾向がある点である。これら両者の問題を克服するために、学校外部の人物の活用が重要になってこよう。特に、あまりにも当たり前に存在していた身近な伝統文化を、地域以外の遠方の人物が評価している点に注目させれば、自然と従前とは異なった見方で正対することができるのではなかろうか。
 以上のような意図で出前授業を構成した。
 
III たらい舟について
1 佐渡小木町のたらい舟について
 佐渡小木町西部は、1802(享和2)年の地震によって地盤が隆起し浅瀬の海岸となった。玄武岩の溶岩からなる黒い岩礁の軟弱部分は浸食され小規模の入り江を成し、地元では破澗と呼んでいる。そのため、小回りのきくたらい舟が重宝された。
 たらい舟といえば、佐渡島の観光を象徴するものの一つである。たらい舟は、現在でも佐渡の小木町西部で磯ネギ漁●)を行うときの大切な舟として使用されているが、このことは、意外と知られておらず、その名人技である独特の漁法についても同様であった。たらい舟の使用者の減少と高齢化が進んでいる中でたらい舟を製作する職人が、皆無という状況がここ数年続いていた。
 船舶複製技師で和船研究者のブルックス氏は、日本各地の和船作りを調査する中で、徒弟制度の崩壊とともに和船作りの技術や方法までが消えようとしている日本の現実に憂い、将来の復元に備えて、緊急に技術の詳細な記録と図面作りに取り組んでいる。氏は、10年ほど前から数回佐渡に渡り、たらい舟職人たちとの交流を求めたが、言語面の困難さ等から、思うような交流が行えなかった。最後のたらい舟職人といわれた佐渡羽茂町の故藤井孝一氏とは3回目の訪問で初めて、見込みのある者と認められ、たらい舟作りをやらせてもらえた、という。氏の課題は適切に締まるタガ組みであり、これは記録化できない職人の長年の勘と技に支えられている。今回の氏の来日の目的は、技術伝承(佐渡新穂村の若手大工、樋口隆氏への技術伝承)とタガ組みへの挑戦であった。
 一方、小木町は、佐渡で唯一たらい舟作りを経験している本間勘次郎氏を中心に、2001年の夏より毎日曜日「たらい舟職人養成講座」を継続してきた。本間氏とともに多くの人たちが、たらい舟復活に賭けて、知恵を出し合いながら製作していた。小木町の事業が終了した現在も受講生たちが自主的に製作に取り組んでいる。
 新潟県立歴史博物館では、2002年4月12日から約1ヶ月間、企画展「復活!! たらい舟 −消えゆく技術の継承−」を開催した。本企画展は、佐渡のたらい舟にかかわる文化を紹介しつつ、消えつつあったたらい舟作りの技術を復活しようと奮闘する人々に焦点を当てることにより、私たちの身近にある伝統的文化を見つめ、再評価しようと試みた。また、企画展の前半では、日本財団より助成を受け、ブルックス氏を招聘し、たらい舟の公開製作を実施し、現状に対する啓発を行った。







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