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第9章
認知的スキルを改善する
1. 認知の働きと行動の関係
 SSTが認知行動療法であるということは、私たちの寮生への働きかけが「行動を教える」というレベルに止まらず、さらに本人の行動の基盤になっているものの考え方、つまり認知的スキルの改善という課題をも引き受けていることになります。もし、不合理な考え方をしているならば、それにチャレンジし変えていく可能性がSSTにはあるのです。
 たとえば、自分の生活がうまくいかない時、他人のせいにしたり、運命のせいにしてしまう人がいます。寮生がそう考える傾向をもっている時、果たして、それ以外の考え方はないのだろうか、と働きかけることが「認知に働きかける」という意味なのです。以下の物語りは実際の事例をもとに作られました。
 
Aさんの話
 
 Aさんは更生保護施設にきて数日後、経験をかわれて協力雇用主が経営する会社が請け負った工事の建築現場で働き始めました。現場が変わることがあるので、毎日ヘルメットと安全ベルトは寮に持って帰っていました。
 ある土曜日、職場の先輩が「そんな重いもの、ここにおいてけよ。くそ真面目だなあ!」と大きな声で言ったので、Aさんはその日に限って、ヘルメットと安全ベルトを現場の棚において帰りました。
 ところが、日曜日の午前中、寮に勤務先から電話がありました。明日から現場が変わるので、月曜日の朝7時に、B駅の正面で待っているように、とのことです。車で迎えにきてくれるそうです。Aさんはヘルメットと安全ベルトが気にはなりましたが、相手が早口だったのと、電話が苦手だったので、「はい、わかりました」と電話をきってしまいました。
 実際はヘルメットと安全ベルトがなければ仕事にはなりません。Aさんは悩んでしまいました。取りにいっても現場の事務所があくのが7時、駅で迎えの人に会うのが7時、どうしていいのか、わかりません。もう一度電話で勤務先の人と話そうと思いましたが、相手の電話番号がわかりませんし、日曜日なのでどうしようもないと考えてしまいました。
 Aさんは、結局、次の日B駅に行きました。ところが、行ってみると入り口が西と南の二つにあって、指示された正面玄関とはどちらをさすのか、Aさんにはわからないのです。Aさんは、ヘルメットも安全ベルトも持たないことで落ち着かず、西口と南口の間を行ったり、来たりしていて、結局、迎えの人と会うことができませんでした。30分以上も駅のなかをイライラと歩きまわってしまったAさんは疲れ果ててつくづく思いました。「なんてオレは運が悪いのだろう。何をやってもうまくいかない。どうせ、オレには悪いことしか、おきないのさ」
 
 Aさんの「自分は運が悪い」という考えが、認知療法でいう「認知」です。実際は、読者もお気付きのように、Aさんが自分の行動の取り方を変えると、自分で自分の運命を変えることはできたのです。たとえば、先輩の強い言葉に対しても「自分はヘルメットと安全ベルトを持って帰る」といえば、Aさの心配は一つ消えていたでしょう。また、たとえその二つを置いて帰ったとしても、電話でその事実を説明して相談できれば、事態は変わっていたと思われます。さらに電話でB駅の正面について確かめるとよかったでしょう。
 うっかりしたがもう一度電話しようと思ったAさんは電話番号がわかりませんでしたが、事務所の人は協力雇用主の携帯の電話番号を知っていました。職員に協力を求めるというスキルがあれば、事態はここでも違っていたでしょう。
 これは駅での行動にも言えます。駅の人に通常、どちらが正面とされているのか、聞いてみると正面がわかったかも知れません。駅に到着して正面がわからないと思った時、すぐ寮に電話していれば、職員がAさんを迎えにきてくれる協力雇用主の携帯電話に連絡がとれたでしょう。しかし、Aさんは電話は苦手だと自分のことを諦めきっていました。
 自分には悪いことしかおきない、と考えている間は、事態の改善はあまり望まれません。ほんとうに運が悪いだけなのか、この時点でこう行動できたらどうだろうか、と一つひとつ寮生と一緒に考えてみる、そして、Aさんがこのような事態を二度とおこさないために、何かの行動練習をしたいと思えるように働きかけます。もし、Aさんの気持ちが動くと、なんらかの具体的な行動練習に移れます。たとえば、電話で自分の状況を説明し、相手に相談する、というスキルを学ぶのはその一例です。
 Aさんの事例を教材にして、別の寮生にどのような行動練習のニーズを思いつくか、個人でもグループでも考えを述べてもらうのもいいかもしれません。一度、更新会でこの事例を使い、活発な意見交換があり、いろいろな練習ができました。一人の寮生は「オレも職員に相談しようっと」と練習が終わったらすぐ、事務所にきていました。その時、練習で観察した通り、「ちょっと、いま、いいですか?」と職員の都合を聞いていましたので、職員室でその様子を直接目にすることができた私たちはとても嬉しかったことを思い出します。
 
 社会生活がうまくいかない人びとについて調査研究した結果、その一つの原因は解決しなくてはならない問題が発生したとき、次のような行動の特色が見られたということです。
(1)限られた解決策しか思いつかない
(2)反社会的な解決策を思いつく
(3)ある行動の結果について、不確実な予想をたてる
 
 問題を解決する方法を考えつくのは、認知の働きですので、SSTでは、問題解決法という効果的な一連の認知スキルの改善法をうみだしました。どのような手順を踏んで、問題の解決を考えるのか、その展開順序を説明します。
 
1)「問題」をはっきりさせます
 
例:「Aさんは、勤め先で同僚から酒に誘われる、というのが問題でしたね」といいます。
 
2)思いつく限りの解決法をあげてみます
 
 (これをブレインストームの技法といいます。ブレインストームとは、頭のなかに嵐が吹いているような状態という感じでしょうか)それを黒板に書いてみます。
 「どんな考えでもいいのです。思いつい考えを発表してください」と一緒に考えます。出てきた案は行動の選択肢ということができます。
 もし他の人があげられた解決法について「そんなのは駄目だよ」とか「誰がそれをやるんだ」などと意見を言いだしたら「今はまだ、解決できる方法の案だけを聞いている段階ですので」とそのような発言をとめて下さい。意見を言い合うのは次の段階なので、その時まで待ってもらい、どんなアイデアでもみな、取り上げてリストに書き上げます。どの人の意見も尊重されるという態度を貫きます。
 
3)一つひとつの解決策の、メリットとデメリットを考えます
 
 (それぞれの案の長所と問題点、といってもいいし、プラスとマイナスといってもいいでしょう。)それを解決策の横に書き出します。
 
4)出来上がった表を眺めて、自分にとって最上と思われる策をきめます
 
5)必要な行動をリハーサルとして練習しておきます
 
 Aさんの問題を「問題解決法」で取り上げた例です。
 
問題 勤め先で同僚に夕方、お酒に誘われる
解決策 長所 短所
1. 今日は予定があると言う その日は逃れることができる 別の日にまた誘われる
2. いま体調が悪いと言う 1〜2週間は逃れることができる 仕事の能率も悪いのではと疑われる
3. 金がなくてと言う 給料日までは逃れることができる 給料日には誘われる
4. 肝臓が弱っていると言う 相手は無理には誘えないという気持ちになる 体を悪くするほど飲んだとは、これまでどんな生活だったのか不審がられる
5. ドクターストップがかかっていると言う 相手はとても誘えないという気持ちになる どこがどう悪いのか、いろいろ聞いてくる可能がある
 
 Aさんは、5の案を選びました。
 「若い時、よく仕事して、よく飲んで。まあ、やりすぎかな。血圧だの糖尿だの、体のあち、こちがうまくなくて。いま、ドクターストップなんだ。すまないな、せっかく、誘ってくれたのに」と望む行動練習がうまくやれました。
 
 問題解決法は普通、グループで行うと解決のためのいろいろな案がたくさん出てきますし、それぞれの案のメリット、デメリット(長所・短所)の分析も活発に行なわれて有効です。その過程で、グループ参加者同士の交流が盛んになり、「われわれ意識」も育ってきます。
 しかし、問題によっては「ひとりSST」でやったほうがいいときがあります。たとえば、寮生同士の借金の申し込みを断る方法などです。その時は職員一人で、いろいろな解決のためのアイデアをたくさん出して寮生を助けなければなりません。日頃からよくある課題を職員間で取り上げて、問題解決法を使う練習をしておくといいでしょう。
 問題解決法を導入するには、本人の心理的な準備が、あればあるほど成功します。つまり、これまでとは違うやり方が自分には必要だという認識です。この点については、個人面接の結果、効果が出てくる人もいるでしょうし、大きな失敗の結果、今度こそは、と考える人もいるでしょうし、SSTグループで、他の人の発言や練習を見ているうちに、別のやり方に気づくという場合もあるでしょう。忍耐強く、あれこれ働きかけて「いまのやり方を変えなくては」という気持ちの芽生えを助けます。
 もし「もっとほかのいいやり方がないだろうか」という発言が出てきた時は、すかさず、その発言を支持し説明します。
 
例:「いままでは、勤め先でお酒に誘われるとついつい一緒に行ってしまったが、もうこれからは何とかしたいです」「さすが!それは大事ですよね。どんな、方法があるのか、みんなに助けてもらって、早速考えましょう」
 
例:「問題解決法というのは、順序よく考えながら、一番いい解決の答えを見つけていくための方法なんです」といって、3.にあげた順序を説明します。
 
 問題解決法のやり方に慣れると、どんな効果があるのでしょうか?次の効果があると考えられます。
 
1)考えると解決策がいろいろあることに気づく
 
2)あらゆる考えにはプラスとマイナスの面があることに気づく
 
3)いろいろな案のなかから、一番いい考えを選ぶことができる
 
4)ストレスを生み出す問題を解決し、不安、緊張などを減らす
 
5)当事者が自分の問題を自分で考えたので、解決策を受け入れやすい
 
6)自分の問題の解決に他の人にも協力してもらったので、人との親しい関係が深まる
 
7)将来の問題解決にも適用できる方法を学ぶことができたので自信がつく
 
1)過去の問題でなく、現在の問題に焦点を合わせること
 
2)一度に一つの問題だけを取り上げること
 
3)解決策を提案しているときは発言の途中に批判しないこと
 
4)人の意見にみんなが耳を傾け、攻撃的、批判的にならないように助けること
 
 自分が自分を教えることができると考えると力が湧いてきます。以下は認知療法でいう自己教示法を使い、練習したことが実行できるように、自分で自分に言い聞かせる言葉です。筆者は「実行応援歌」という名称で呼んでいますが、別にメロディーがついているわけではありません。いざ、という時に役に立つよ、と教えてあげて下さい。
 
日頃から、ストレスに対処する方法を練習しておきます
自分で自分を励ます「実行応援歌」ですから暗記しておきます
いざ、というとき、次の言葉を心のなかでいって実行します
 







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