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どうなる?針葉樹資源の将来
 
森林経理の使命
 最近、林学の分野は、あらゆる面にわたって大きな変革をとげている。その間にあって、古い体質を代表するかのように思われ、批判の矢面に立ったのは、森林経理学かもしれない。おそらく現在の森林経理は、コンピューターによる情報処理技術を介することなしに理解も実践もできないであろう。かつての法正林思想など、今はかびの生えた無用の遺物ととられているかもしれない。
 法正林理論が、あまりにも形式的で創造性に乏しかったことは否定できない。筆者なども、大学在職中は、この理論の非現実性を痛烈に批判したものである。しかし今にして思えば、いかに単純で形式に偏していようと、この理論には保続収穫の実現に貢献しようという遠大な理念があった。ある地域で、理想とする将来の森林の姿を想定し、伐採収穫を繰り返すことによってその理想形に近づけていくのを森林経理の使命ととらえていたのである。ここで一般の読者のために、法正林について簡単に説明しておきたい。毎年ある地域の森林から、同じ量の木材収穫をあげるために想定された一種の模型を法正林と称している。そこには、一年生から伐採すべき年齢(伐期齢という)までの、各林齢の森林(こういう森林の一団を林分という)が同面積ずつあって、伐期齢に達した林分を伐採することにより毎年等しい材積の収穫が得られる。いうまでもなくこれの実現には種々の前提が伴うので、厳密な意味で法正林といえるものは存在しないといってもよい。
 
人工林の齢級構成
 人工林の現在の齢級分布は過去の人工造林の成果を反映している。その上、成林した森林の伐採の結果をも反映しているのである。なお、ここで齢級というのは、ふつう林齢を五年ごとに区切ってひとまとめにしたものをいう。例えばI齢級といえば林齢一年から五年まで、VII齢級といえば三十一年から三十五年までを指している。
 かりに伐期六〇年の法正な人工林であれば、I齢級からXII齢級までのそれぞれが等面積でそろうはずであるが、もちろん現実にそういう森林はない。しかしかつての林業の理念は、できるだけそれに近いものにしようという点にあった。伐採収穫の計画も、人工造林の予定も、すべてそのことを目指して立案されたのである。
 しかしながら、そういう思想が主導権を失ってからすでに久しい。現在の人工林の齢級構成を見ると、おおむねVII齢級からVIII齢級を頂点とした山型になっている。すなわち、三〇年前から四〇年前の人工造林の意欲が、急速に衰えたことを示しているのである。
 ここで、てもとにある岩手県遠野市の具体例を参照してみよう。民有人工林の林齢構成を見ると、VII齢級がトップで全体の一九%、それにVIII齢級の一七%、IX齢級の一四%が続く。VI齢級以下は極端に少なくなって、最高のVI齢級でも一二%、I齢級に至っては○%にまで落ちこんでいる。民有林の総面積三万ヘクタール弱、人工林約一万六千ヘクタールのうち、何とI齢級はわずか一五ヘクタールにすぎない。
 これでは法正林をあざわらうことはできても、将来の針葉樹資源はどうなるかと聞かれればたちまち答えに窮するであろう。おまけに、右に示した数値から推測できるように、森林の蓄積は高齢の方に著しく偏っている。伐採は進まず造林もされないというのが、このデータの物語る森林の現状なのである。
 ここに示した遠野市の例は、全国的にみてけっして例外ではない。全国の人工林の齢級構成もこれと酷似しているし、人工造林面積の推移を見ても(平成一二年度林業白書)、最近の減少の仕方は信じられぬほど激しい。昭和四〇年度には三七万ヘクタールを超えていたのに、平成一一年度には何とその十分の一以下、三万四千ヘクタール弱にまで減っているのである。拡大造林はおろか、伐採跡地への植林もしかねている結果にほかならない。同じ林業白書によれば、伐採跡地に植林しなかった理由の約四割は、所有の規模を問わず「採算が合わない」である。何という悲しい現実であろうか。
 
将来の森林像
 人工林の危機ともいうべきこの現実に対して、一方では森林施業の多様化、多様な森林の造成が推奨されている。そのため、時には人工林が自然界の異端者扱いされることも起こるのである。人工林よどこへ行くか、というのが今問われている課題といえるであろう。ところがその課題には、必然的に「人工林をないがしろにしてよいのか」という疑問と反省が伴うことも、われわれはけっして忘れてはならない。
 それではどうすればよいのか。結論が直ちに得られるわけではない。しかし、かつての林学が森林の理想形を追求してきたように、わが国の森林の将来像について、木材の需給構造まで見通した上での理念を持つべきであろう。それはけっして型にはまった森林を造るということではない。しかし、このままで推移したとすれば、わが国の針葉樹資源が間もなく枯渇することは必定である。
 周知のとおり、一九九九年の末、フランスとドイツ西部を中心に、かつてないほどの規模の台風害が発生した。激害地の風倒木材積は、年標準伐採量の三倍にも達したという。被害の大きさもさることながら、人間の英知と努力が真に必要なのはその後の森林の回復である。
 先般入手したドイツ・北シュヴァルツヴァルトのノイエンビュルク営林署の回復策には、その点多くの教訓が含まれている。顕著な傾向は針葉樹林面積の減少と広葉樹林面積の増大であるが、用材として多くの広葉樹が用いられるヨーロッパとわが国ではかなり事情が異なる。とはいえ、森林の将来と木材需給の行方を見通した計画の周到さには、ただただ感嘆させられるのである。わが国でも、風害にも劣らぬ森林資源の危機的状況を前にして、一日も早い人工林回復計画の策定と実施が必要であろう。
(1頁写真 管理の行き届いたスギ林)
(2頁写真 多様性に富む広葉樹天然林)
 
●文・写真=北村昌美 text & photograph by Masami Kitamura
1926年兵庫県生まれ 京都大学農学部卒業
山形大学農学部教授・同学部長、ドイツ・フライブルグ大学客員教授等を歴任
現在/山形大学名誉教授 農学博士
専攻/森林経理学・比較森林文化論
著書/「森林と文化」(東洋経済新報社)「森を知ろう、森を楽しもう」(小学館)など







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