日本財団 図書館


不登校・引きこもり青少年
自立支援相談員養成講座のお知らせ
 青年の引きこもりや不登校は、当人はもちろん、関係者にとっても極めて深刻な問題です。しかし社会的にはまだ十分に理解や対応が取られていません。私たちがこの活動に取り組んで10数年になりますが、教育の根幹にかかわる重要な問題との感をますます強くしています。この度、日本財団からの支援を頂き、表題のような講座を開くことが出来ました。今回は体験者、支援活動の経験者と、若い研究者を講師にお願いしました。会場の都合で40人規模です。お誘いあわせてお出で下さい。
 これを機会に交流会や相談会が増え、支援の多様な体制ができることを期待しています。
 
目的
不登校・引きこもり経験やサポート・相談などの視線を、実践を踏まえ、幼児期から学齢期・青年期の環境と心理を学び、それぞれの対応とその意味を研修する。
不登校・引きこもり青少年に対する対応の在り方を学び、保護者や教職員が子どもや家族へ働きかける力を高め、青少年自立支援の相談活動や交流会を広める。
 
参加対象
不登校や引きこもりに関心をおもちの方 ●参加費無料ただし、資料・テキスト実費
 
日時と講座テーマ(報告者)
130日(水)PM.6:00〜9:00
「幼児教育を考える」・・・神谷栄司(佛教大学教授)
「小学生の生活から子どもの発達と家庭を診る」・・・坂口真由美(くるみ)
28日(金)PM.6:00〜9:00
「おひさまありがとう・不登校、引きこもり、拒食症を経て」・・・岸真里子(前原市)
「青年の自立と心理・自らの不登校・引きこもり体験を通して」・・・伊田勝憲(名古屋大)
223日(土)PM.6:00〜9:00
「青年の自立と居場所づくり」・・・中山弘之(名古屋大)
「不登校の心とサポート・それぞれの体験から」・・・橋本美佳・石井守(くるみ)
38日(金)PM.6:00〜9:00
「青年の学力問題」・・・石井拓児(名古屋大)
「出来ることと分かること」・・・内山登(くるみ)
323日(土)PM.6:00〜9:00
「交流会と相談活動を活発に―活動を振り返って」・・・福原明知(蒜山教育研究所)
「青少年自立支援の経験と(くるみ)の構想」・・・石井守(くるみ)
 
会場
盲人情報センター 6階ボランティアルーム
西区江戸堀1−13−2(TEL:6445−1456)
地下鉄)四ツ橋線「肥後橋」北2号出口 階段上がってすぐ
地下鉄)御堂筋線「淀屋橋」4番出口 川沿いに西へ徒歩5分
京阪)淀屋橋「淀屋橋」4番出口 川沿いに西へ徒歩5分
お問い合わせ:石井子どもと文化研究所くるみ TEL:6443−2188
 
幼児期の育ちを考える
神谷栄司(佛教大学)
 
親になることを「難しく」する時代
 子育ての視点から現代を捉えると、それは、親になることを「難しく」する時代と特徴づけられるように思います。たとえば、ある電話相談の事例を聞いたことがあります。赤ちゃんをお持ちの若い母親が「子どものおしっこが黄色いから心配。おしっこは青いんですよね?」と質問されたそうです。なるほど、紙オムツのCMでは、青色の液体を使って漏れませんよとリアルに写しだされています。その影響による質問なのでしょうが、私は大阪の電話相談員のおふたり、東京の電話相談員の方と場所がまったく違う3人の方から、そうした若い母親のことを聞いたのですから、これはたんに特殊な事例と看過してはいけないもののようです。
 核家族が一般化している現代では、小さな子どもを育てることは、すべてが手探りで始まる以外にはありません。私たちの記憶は3歳になるまではほとんど存在せず、3歳を超えてもまったく断片的にしか残っていません。もし近くにおバアちゃんがいないとすれば、若い母親は何を頼りにしたらいいのでしょうか。はじめての赤ちゃんをお風呂に入れるとき、お湯は何度がいいのかとか、粉ミルクは何度くらいのお湯で溶かしたらいいのかとか、気になりだしたら、すべてを知らないことに愕然とします。粉ミルクのカンに記された説明書きに目を凝らしたり、わざわざお風呂用の温度計を購入したりするのです。もっとも子育てもふたり目ともなれば、そういった細々としたことではなく、もっと大事なことに心を砕くようになるのですが。
 こうした手探りの心配を少しでも柔らげるために、学校教育や社会教育の場で、子育てについて系統的に学習する機会が提供されるべき時代なのかも知れません。
 
3歳未満児の発達と子育て
 子どもは誕生後の1年間(乳児期)は「無言語期」とも呼ばれ、泣き叫びはあるものの本来の意味でのことばがまだない時期にあたります。したがって、子どもの泣き声や表情から彼の「気持ち」を洞察することが求められる時期でもあります。ある年配の女性は自分の孫が誕生してまだ1週間のしか経っていないとき、その子が睡眠中にニコッと笑ったのを見て、「なにか楽しい夢でも見ているんだろうか」とその子に話しかけていました。新生児の睡眠中に見られる微笑みは「生理的微笑」と呼ばれるもので、子どもが心地よい状態のために頬の筋肉が緩んで微笑んだように見えるという生理的現象ですが、この女性のような「思い込み」とも言えるような、子どもの気持ちへの洞察はとても大切なもののように思えます。よく子どもを何人も育てた母親は、子どもの泣き声を聞き分けると言われます。子どもが泣く理由はたいてい、「おなかがすいた」「おしめを替えてほしい」「眠いけど寝られないから寝かせてほしい」というものであることをベテランの母親は経験的に知っていて、見当をつけているのです。ですから、必ずしも聞き分けているわけではありませんが、聞き分けてきると思われるほど子どもの気持ちをよく知っているのです。この時期は子どもと大人の情動の交流がもっとも重要だと言われます。
 1歳になると、子どもはことばを話しはじめます。マンマとかブーブーとかの赤ちゃんことばです。しかし、このことばはまだ独特な性質をおびていて、たとえば、「ワンワン」は犬を指すだけでなく、いろんな動物を指したり、また「ワンワン」と最初に呼んだ犬が白色なら、白いものもみな「ワンワン」と呼んだりします。専門的には「意味の般化」とか「自律言語」と名づけられるこの時期の子どものことばは、いつも一緒に生活している大人だけに理解されることばであり、この時期にも両親の役割は大きなものがあります。「自律言語」や表情や身ぶりで表現される子どもの気持ちを適切に受けとめることができるのは、子どもにとって「身内」の人たちなのです。
 1歳後半のある時期に、子どもは爆発的にしゃべるようになります。もっとも、この頃の子どものことばも、分かりにくさがあります。やはり、いつも一緒にいる親(および担任の保育者)には理解できるとしても、第三者が聞いてもすぐには分からないようなことばです。
 3歳までの時期には生活習慣の形成も大切な課題になります。しかし、この場合、子どもに生活習慣をつけさせるというよりは、親の生活習慣の方がより重要です。人間らしい生活とは何か、たとえば、人間的な食事とは、人間的な睡眠とは何かを考えながら、大人自身の生活スタイルを考えなおすことが求められるでしょう。
 このように考えると、3歳未満児の気持ちを推しはかり、それを受けとめるには両親の精神的余裕が決定的に重要であり、3歳までの時期には子どもを中心にした生活を送ることがこの時期の子育ての成否を決するように思われます。子どもと一緒にいるときには、家事も仕事もすべてあとまわしにして、子どもに向きあうこと−−これ以外に3歳未満児への子育ての秘訣はないように思います。
 
3歳以上児の発達と子育て
 3歳になると子どもは「自主性」の方向に大きく変わります。「自我の芽生え」とか「3歳の危機」「第1反抗期」と呼ばれるような時代を迎えます。急いでいて靴をはかせると、泣きながら抗議して、「自分ではく」と言ってききません。実際、自分ではくまで泣きやみません。やっと靴をはいたからと、ドアをあけると、これまた抗議されます。自分であける、と言うのです。親として見れば、合理性もなく聞き訳のない子どもということになりますが、こうした聞き訳のなさのなかにはひとつの進歩があります。それは、子どもの行動の動機が、3歳未満児のようにモノヘの関わりではなく、人間への関わりへと変わっていることを示しています。それはたいてい大人の言うことやすることに「反対」するといった姿をとりますが、それでも、それは動機における進歩があり、自主的な人間になっていく進歩を切り拓いているのです。ここでも、親の権威とか都合とかはなるべく考えずに、子どもに従った方がいいでしょう。
 3歳以上の幼児を育てる上で大切になるのは、自然に触れさせたり絵本を読んであげたり、友達と遊ぶ機会をつくったりすることです。もちろん、それらは保育園や幼稚園での課題でありましょうが、家庭でも同様なことが求められましょう。自然を子どもはどんなふうに感じているか、どんな絵本がすきかを親が知るだけでもいいでしょう。
 自然に触れると、それは人工のものとは違って、いろんな発見があります。秋にまっかに紅葉したサクラの葉っぱを見て、「どうして赤くなったの?」と子どもは尋ねます。そのうち「赤いジュースを飲んだからかなあ」とか「きっと夕陽に染めてもらったんだ」とか言います。こういう子どもたちの独特な、しかし自主的な考え方や感じ方をひきだしてくれるのが自然です。絵本も寝るまえに、ふとんにはいりながら読んであげる、というのもいいでしょう。5歳くらいになると、昨日読んだ続きとして今読んでもらっているところを理解するようになり、少々長い本を読み聞かせることもできます。これは子どもの反応などを確かめずに、ただ読んであげるだけでいいでしょう。
 この時期は「ごっこ遊びの時代」と言われるように、ごっこ遊びを好みます。友達との関係、想像の場面、他者を演じる喜びなど、ごっこ遊びには子どもが育つ上で大切なものがたくさん含まれています。現実の場面だけでなく想像上の場面で行為するという、それ以前にはない新しい要素が、知的発達や感情の発達を導いてくれます。もちろん友達との関係を調整する力も必要とされます。この時期の子どもはごっこ遊びを通して発達すると言われるほど大切なものです。
 
揺れる幼児教育観―自由保育と能力開発
 さて、わが国の幼児教育の実際はじつに多様です。そのなかの大きな流れとしては、自由保育の流れと能力開発の流れがあります。残念ながら、どちらも幼児の独自性には無頓着なように思えます。自由保育は1990年に幼稚園教育要領や保育所保育指針が改訂されたのを機に隆盛してきました。子どもたちに適切な環境を与えれば子どもは自ら遊ぶものだという考えで、保育者の指導は極端に縮小されました。保育者のもとに子どもを集めてはいけない、とも言われました。友達と一緒にする喜び−−たとえば、歌をうたうこともスキップをすることも、劇をすることも、絵本をよんであげることも、軽視されるようになりました。いくつかの遊びコーナーがつくられ、そこで好きな遊びをしていいと言われても、保育者の働きかけがないので、子どもの興味が深まらず、また皆で遊んだり活動したりする経験も成りたたなくなります。
 他方、小学校の教科指導を幼児にあうように遊び化しておこなう能力開発も、子どもの興味を深め、そこから子どもの発達を図るものではありません。さきほど述べたようなごっこ遊びの意義を能力開発は知らないのです。問題は、科学や文化の基本を系統的に教える教科指導がいつから可能か、そして、いつから必要か、ということです。現在のところ、社会や自然にかかわる「社会科」と「理科」は、小学校3年生から始まっています。言語や数にかんしては小学校1年生からです。それぞれの根拠はどのようなものかをはじめ、考察すべきことは多くありますが、系統だった学習は幼児期にはなじまないことは事実でしょう。
 なお、1990年代後半から小学校低学年でも学級崩壊や「荒れ」が問題となりました。学校五日制部分実施による平日の授業への上乗せ、家庭の生活スタイルの変化など、その要因は様々でしょうが、自由保育による保育者の指導の軽視、共同した活動の欠如、また、能力開発・教科指導型保育によるストレスの蓄積などの問題も看過できません。
 
「幼児期決定論」の功罪
 親になりにくい時代、学校や家庭の変化、子どもたちの「荒れ」など、子どもたちが育ちにくい条件が目立ち、幼児期の育ちというものに目が向けられるようになりました。それはそれで意味のあることですが、「幼児期決定論」という宿命論的な考えも流行っています。「幼児期決定論」とは、幼児期の育ちが宿命的にその後の育ちを決定づけるという考えです。たしかに、この考え方は幼児期を大切にしようという意味を含む限りでは、子育てへの警告の意味はありましょうが、人間は大人になるまでに何度も自分をつくりかえるということ、つまり、発達するということを「幼児期決定論」は忘れています。その功罪は問われなければなりません。
 
親としての「花の時代」
 子育ては本来、楽しいものでした。「自分の時間をとられる」と思ったり、「いうことをきかない」と感じたり、腹を立てたりすることは、よくあることです。しかし寝顔を見たら天使に思えてくるのも真実です。生きることのすべてを親に依存しなければならない乳幼児の時期こそ、親としては「花の時代」です。子どもはやがて自分の力で生きようとし、大きくなれば一緒に遊びに行こうと言っても、親は見向きもされません。親として両親を意識するのは、子どもが親になるときまで待つほかはありません。このように、子どもが「うるさく」つきまとってくれるのは、その子の人生の初期だけなのであり、それはまさしく親のもっとも輝かしい時代といわねばなりません。子どもが乳幼児の時代には、子どもを最優先すること−−もし子育てに秘訣があるとすれば、それ以外にはないでしょうし、それが子育ての楽しさを回復させるものでしょう。
 
 今年1月から3月にかけて行った、青少年の自立支援のための、相談員養成講座は10人の講師によって行われ、延べ300人を超えて参加がありました。現在報告集を作成中ですが、第1回目の、神谷先生の報告を掲載させていただきました。好評だったこともあって、今年度も新たな計画で行いたいと考えています。







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