第1部
1)生命圏の視点から
星 元紀
(慶應義塾大学教授・東京工業大学名誉教授)
プロフィール
星 元紀<ほし・もとのり>
1940年 東京都生まれ
理学博士
<現職> |
慶應義塾大学理工学部・教授、東京工業大学・名誉教授 |
<学歴> |
東京大学大学院生物系研究科動物学専攻修士課程終了 |
<職歴> |
東京大学教養学部助手、北海道大学低温科学研究所助教授、名古屋大学理学部生物学科助教授、東京工業大学生命理工学部教授、東京工業大学生命理工学部長、東京工業大学学長補佐兼広報室長 |
<主な著書> |
「精子学」共著、東大出版会、ほか著書多数 |
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ただ今ご紹介いただきました、慶應大学の星です。先程、松井先生からアストロバイオロジーについてご講演がありましたが、私はそのアストロがないバイオロジー(基礎生物学)という立場から人口問題をどうみるかということをお話ししたいと思います。
まず、先程の松井先生のお話を受けて、いかに生物系が複雑かということを申し上げたいと思います。
私どもの体、大人の体は、60兆の細胞からなっています。もとはといえば、たった1個の細胞、受精卵ですが、この受精卵が次々と分裂して、我々の体では60兆になっています。これはとてつもない数で、その60兆で構成される体の中の、例えば、我々の血管系だけをつなぎ合わせても10万kmの長さになると言われています。この10万kmの中を血球が動きながら、別に事故もなく、60年、80年、100年と生きていられる、そういうシステムになっているのです。それからまた、我々の遺伝情報というものは、すべてDNAという物質によっている,ということは、ご存じだと思います。我々の体にあるDNAを伸ばすと、細胞1個当たり2mの長さがあると言われています。赤血球のようにDNAを捨ててしまった細胞もありますが、ほとんどの細胞はDNAを持っていますので、細胞1個当たり2mのDNAがあり、仮に1人の人間のDNAを全部つないだとしますと、実は、太陽系で最も遠い冥王星の公転の直径を超えるという長さになります。いかに長いか想像を絶するものだと思います。それが、実は、この体の中に全部納まっていて、その上にすべての遺伝情報が載っている。そういうシステムを生物学は扱っているのです。
先程の松井先生のお話にも、単純な観念主義ではなくて複雑系、あるいはシステムとか、俯瞰的な視点が必要だというお話がありました。生物学はそもそも、そういうふうになっております。まず、生物の時間は、40億年にはなりませんけれども、38億年程度の歴史を持っています。私がここで生物と申し上げていますのは、この地球の外にも生物がいるかもしれませんが、我々は現時点では知りませんので、この地球にいる生物ということだけを考えています。
これを大きさで考えると、最も大きなほうから考えて、非常に背の高い木でもたかだか100m程度です。動物で非常に大きいクジラなどでも数十mにすぎません。小さいほうはと言いますと、やはり、1mの100万分の1というような大きさのところにまで、生物の世界は広がっています。
こういう広がりを持った生物の世界は、きちっと秩序立ったシステムになっています。これがあるヒエラルキーをつくっておりまして、例えば、ここにオオカミが1匹いますが、このオオカミは、1匹だけのオオカミということはあり得ないわけでして、必ず、こういうグループをつくって、あるいはオオカミの社会をつくり、さらには、生態系(エコシステム)をつくり、最終的には、生物圏、すなわち地球全体に広がる生物の世界があります。
これを逆に見ていきますと、どんどん下がって、細胞、細胞小器官、超分子構造、分子さらに原子の世界にまで至るそれぞれの階層があり、それぞれの階層構造で、個体という構造、あるいは器官というレベル、あるいは細胞というレベルで、それぞれ特有のロジックが動いており、ある階層で働いているものを足し算すれば、一つ上の階層にいくようにはなっていません。階層を上がることによって、新しい性格が次々と加わってきていると言えます。したがって一口に生物学とはいっても、さまざまな対象があり、生物学の中だけでもその全体を俯瞰することは簡単ではありません。
現在、生物がどういうところに住んでいるかと言いますと、地球の表面に住んでいます。どれくらいの厚さかと言いますと、だいたい海水面の上空1万mぐらいから水面下1万mぐらい。すなわち上下20kmの幅に納まっています。これは余談ですが今回の講演会には外国の方がたくさん参加されていますが、外国の方が日本にお見えになるときに、1万mぐらいの上空を飛んできたわけです。現在、地球上1万m上空で最もたくさんいるのは、我々ホモ・サピエンスだと言われています。皆様がジャンボ機に乗って旅行しているときに1万mの高度を飛行していますので、ホモ・サピエンスがそこで生活しているということができます。
もっと上空に行きましても、バクテリアなどもいますが、それはそこで生活しているというものではない。たまたまそこにいるというだけのことです。
生物が生活する上下20kmという厚さが、どの程度の厚さかと申しますと、地球を、地球儀の大きさにして持ったとすると、我々の肉眼では生物の世界はほとんど見えません。ほんの地球の表面、一皮にすぎないのです。
また、重さで言いますと、すべての生命の重量を総計してもだいたい地球の質量の100億分の1と言われています。100億分の1ということは、地球が我々の体重程度であるとすると、この世にいる、ありとあらゆる生き物を全部、大木から何から、すべてを足し合わせても、まつ毛1本にもならないのです。そこで、私は、生物の世界はまつ毛1本の世界だと、半分冗談で申し上げるのですが、そういう物理的には極めて微々たる世界です。また、最近、深海にはちょっと違うものが見つかりましたが、基本的には生物は光合成に依存しています。太陽から降り注ぐエネルギーの約1%程度を使って、あらゆる生命活動は営まれているのです。そういう意味でも極めて微々たるものです。
言い換えますと、生物というものは、物理化学的な立場に立てば、全く取るに足りないような、微々たるカスのようなものです。しかし、このカスのようなものが、地球全体に影響を与え、その表面を大きく変えています。現実に、今、我々が吸っている酸素も、すべて生物がつくりだしたもので、もともと大気中にはなかったわけです。それ以外に鉄の鉱石などに大昔の生物の活動によってできたものが見られます。言い換えますと、このカスのような量にすぎない、極めて微々たる量にすぎない生物の活動が、この地球の少なくとも表面を劇的に変えているというわけです。
その微々たるものが、どの程度の種類に分かれているかと言いますと、先程、松井先生のお話にもありましたように、いろいろな試算がありますが、現在、少なく見積っても、数千万種いると言われています。つい最近、日本の分類学会の関係者が全部集まり、日本分類学会連合がつくられましたが、その時の設立宣言を見ると、この地球上には2億種類いるだろうと書かれてあります。多く見積る人はもっといると言っています。そのうちのどれだけを我々が知っているかと言えば、その分類学連合のパンフレットによれば、名前のついたものが175万種類と言われています。もう少し前の資料では、約150万種と言われています。これだけの種が知られているとはいってもこれは名前がついているだけで、それが、ほんとにどんな生き方をしているか、我々が知っているわけではありません。
仮に、先程のお話のように、175万種類に名前がつけてあるとしても、この世の中に2億種類いると、分類学会の関係者は言っているのですから、我々はすべての生物種の1%も知らないのです。名前がついてないということは、存在を知らないということを意味します。私達は残りの99%はその存在すら知らないわけです。“いる”ということはわかっていますが、どういうものがいるかわからない。言い換えると我々生物学者は生物をよく知っていると言われていますが、生物学者といえどもこの地球上に存在する種の1%も実は知らないということを意味します。この250年あまりの間に、いろいろの方が営々と努力して生物に名前(学名)をつけてきたわけですが、それでもたかだかこれしか知らないのです。言い換えますと、いろいろな生物が実は、我々がその存在も知らないうちに、どんどん消えているという現状にあります。
生物は、これを大きく5つのグループに分けられております。1つはバクテリアの世界です。実は、バクテリアも2つあるのですが、ここでは一応バクテリアの世界とまとめておきます。それとは別に、私達みたいな生物、真核生物の世界です。真核生物とは先程お話ししましたDNAという遺伝情報を担う物質が核という金庫の中に納まっている、そういう核という金庫を持っている生き物で、その中にグループが4つあります。その1つが、我々、動物です。動物というのは物を食べなければ生きていけないものです。もう1つは植物です。これは無機物から光合成によってちゃんと有機物をつくることができます。もう1つは菌類です。キノコに代表されますが、こういうものは、例えば、死んだ木とか、我々の体も含めて、いろいろ死んだものをもう1回使えるような形にする、つまり生物界における資源のリサイクリングという意味で非常に重要な働きをしています。これらはいずれも細胞を複数持っています。もう1つのグループは、主として単細胞のものから成り立つプロティスタ(原生生物)と呼ばれるもので、これらの5つのグループになっています。
これら5つのグループですが、名前がついているものは圧倒的に動物が多くなっています。我々の生活に関わりの深いもの、関心がある生き物ほど名前がたくさんついているわけです。生物には名前のついていない種も膨大にあるということを今一度申し上げたいと思います。
そういう生き物が、非常に複雑に棲み分けをして生きています。例えば、お日様がサンサンと注いでいる浅い海の中の岩の表面には、たくさんの生物が棲み分けています。海の表面が最も光が強く酸素も多く、だんだん深く進むに従って、光の量も少なくなり、酸素の量も減っていくという状況にあります。この、お日様がサンサンと注いでいる浅い海の中の岩の表面では1mm程の厚みの中にいろいろなバクテリアが、環境のわずかな差に応じて棲み分け、ちゃんとシステムをつくって生きています。こういう生命のシステムが岩の表面にあるのです。
もう少し身近なところで申し上げますと、今、桜が非常にきれいな明治神宮です。明治神宮はご存じのように、明治天皇が亡くなった後、人工的につくった森です。しかも、世界で有数の都会である東京のど真ん中にあります。なおかつ東京は、温帯地方にありますから、比較的、多様性の少ないところです。実は、生物の多様性の90%以上が熱帯にあると言われています。この温帯のしかも世界有数の大都会のど真ん中につくって、まだ100年もたっていない森ですが、その中に皆様が足を1歩踏み入れますと片足の下にダニ3,000匹余り、ミミズの仲間は2,000匹弱、センチュウに至ってはなんと75,000匹近くも踏みしめていることになるのです。これだけのいろいろな生き物が生きているのです。
この数字は、先年まで横浜国立大学におられ現在、神奈川県「生命の星博物館」の館長をしておられる青木先生のグループが、実際に調査した値です。この人工の森の中に足を一歩踏み入れるとこれだけのダニがいるのです。ダニは皆さんお好きじゃないかもしれませんが・・・。青木先生はダニの先生として有名な方です。これは脱線ですが、実はダニの大部分は、我々にとって寄生も何もしません。人間にたかるダニなど、例外中の例外のダニです。このような有象無象の大部分は実は名前もついておりません。ですから、新種を見つけたかったら、明治神宮へ行って、こういうものを調べればあっという間に新種が見つかります。こういうものがすべて生きていることでこの美しい森が成り立っているのです。我々は木を見て森を、森を見て木を見ないと両方言いますが、実は足元の根っこのところにはこういうものが膨大にいます。これらがいることで森が成り立っているのです。
生命のもう1つの特徴は、すべての生命は単一のものの子孫であるということです。生物の系統樹を見ますと1つの生物から枝分かれするようになっています。途中で行き止まって絶滅したものもいます。というよりも、これまで存在した種の99%は絶滅しています。現在では、多様に枝分かれして、人もいれば、いろいろな動物もいます。あるいは植物がいます。
これまでに存在した生物種の中には別系統に由来するものもいたと思いますが、これは、途中で絶滅しているので、少なくとも現在、我々が知っている生き物はすべて、単一系統、単一の祖先に由来すると言えます。そういう意味で、すべての生命はつながっているのです。ですから、例えば、私は60歳を過ぎましたけれども、実は生命という立場に立てば、生命の始まり以来、全部つながっているわけで、私の命は38億年という言い方もできるわけです。
そういうことを総合しまして、生命現象において、最も不思議なことは何かということについて、E.O.ウィルソンというアメリカの学者が、“この生命の歴史の過程で、物理的には極めて微々たる物の中から、これほど多様なものができ、それが非常に複雑にからみあって生きていることだ”と言っています。あらゆる生き物は単独で生きることができません。すべての生き物が多かれ少なかれ、からみあって生きているのです。そういうことで、この地球の表面は生命に満ち満ちています。あらゆるところに生命があり、基本的には生態学的に隙間がないわけです。しかし、例えば、山火事があり、ある森がバーッと燃えてしまうと、そこに新しく空いた空間ができ、種子が芽吹いたり、新しい生き物がそこに入ってきて、新しいサイクルが始まるということがあります。
こういうことを全部総合しますと、我々は、生命ということを考えるときに、その系統としての、縦軸の時間の流れの全体と、空間的な広がりとしての生物圏の両方を考えなければ、生物を考えられないと言えます。これに、現在放送大学の教授をしておられます岩槻先生が、スフエロフィロンという新しい言葉を作りました。それは何かというと、生物圏=バイオスフィアという空間的に見た生物の全体の言葉と、フィロン=系統すなわち時間軸の流れから見た生物の全体のことです。あらゆる生命は時間を通してつながっています。その2つを合わせまして、スフエロフィロンと呼ぼうと提唱されたのです。これは国際的にも非常に評判の良い造語です。日本語では、生命系と呼んでいます。したがって生物全体を考える場合は、生命系という言葉を使うのがよいだろうと彼は提案しています。
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