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(3)『民工子弟学校』―流動人口子弟の義務教育問題―
 戸籍のある地を離れ大都市で働く流動人口の子弟が義務教育を受けられないという空白が社会問題化している。一九九六年三月四日、広州市郊外の海珠区興楽小学校は正式開校予定であったところ、“違法”だとして逮捕される事件が発生。区教育部門が開校申請を認可していなかったためである。三二二人の出稼ぎ労働者らの児童が入学を申し込み、校旗を掲揚しようとしていた矢先のことであった。
 学費は一学期六八〇元(中国は年二学期制)、教師の給料は月六〇〇元前後、出稼ぎ労働者の児童は、たとえ広州市の学校に入学するチャンスがあっても“賛助費”という名目で多額が請求される。二週間後この興業小学校は正式に解散を命じられ、もともと通う学校のない児童達にもとの学校、もしくは戸籍のあるほかの省の学校に通学すべきだとする決定がくだされた。なお無戸籍児童の多い深市の場合には、九五年当時一学期一〇〇元の学費を、戸籍のある児童七〇元と差をつけて徴収、費用負担に差をつけて無戸籍児童を公認している。
 このように義務教育の徹底普及を悲願としている中国にあって、大都市での思わぬ空白が生じ、教育をうける平等原則からしても少なからぬ問題の広がりを示しているが、上海市ではどうか。
 一人っ子政策により児童数が急減、学校施設だと社会資本整備に余裕が生じている上海市では、他地区よりも柔軟に対応、原則拒否が若干修正されつつある。(学費は各学校により不統一)
 九三年から上海市人口は絶対減。マイナス成長に転じている上海では、幼稚園を敬老院に施設改造する例もあり、収容力に余裕があれば無戸籍子弟の入学を許可する方向に向かっているようだ。ふるさと農村から教師を私的によびよせ、ボロ教室を借り、自主的に子弟教育することは、その規模の拡大も加わり、無視できない社会問題と化している。
 この流動人口子弟はどの位かと二〇〇〇年センサス結果で、上海市の外来流動人口の十四歳以下は四四・一〇万人、五〜九歳は一四・九一万人(内五年以上居住は四・八〇万人)、十〜十四歳は九・三二万人(同三・〇二万人)、つまり五〜十四歳の学齢人口は単純には二四・二三万人(内五年以上居住は七・八二万人)となる。
 これに比し、上海市教育委員会発表による出稼ぎ子弟は四〇万人(注1)ということからしても人口センサスにおいていかに流動人口調査の漏れがあるかが明らかである。
 
   注1  上海市人口審査弁公室・上海市統計局『上海市第五次人口審査数据手冊』二〇〇一年八月、七七頁では二四万人。また、神戸大学発達科学部創立一〇周年記念日中シンポジウム(テーマ、二一世紀の社会変化と学校改革に関する日中比較研究 二〇〇二年一〇月七日)にて、若林の「少子化をめぐる日中比較研究」の中での発表に対し、鄭金州教授のコメントにての数字が四〇万人。
 民工子弟学校については九八年二月、上海市教育委員会「上海市における外地戸籍学齢期児童の就学問題解決状況に関する総括報告書」がある。九八年三月には、これまで身分証明書、暫住証、計画出産証など「八証」の提示が必要だったのが「外地戸籍児童就学暫時措置法」の公布により「流入地暫住証」のみでよいと簡素化された。上海市九六年六〇〇万人の流動人口に六〜一四歳の学齢期児童数二〇万人といわれたが、二〇〇二年四〇万人という。二〇〇一年にさらに柔軟な変更がみられたともきく。
 
 ついで北京市ではどうか。九七年十一月一日調査の流動人口は二八五・九万人、北京市戸籍以外は二二九・九万人、全市総合の二一・二%、内〇〜十五歳人口は一六万二〇三〇人で七・一%、六〜十五歳の学齢人口は六万六三九二人で二・九%。出稼ぎの親につれられての従属移動による。
 北京市に「民工子弟学校」が最初に開設されたのは一九九三年のことであり、二〇〇〇年時に約二百校がある。みな市政府の正式運営許可が得られない非公式の学校で、掘建て小屋、民家を借用、廃業した工場や倉庫の改築など危険で狭い校舎、採光も悪く古い机と椅子、整備された運動場や医療室もない。カリキュラム専門の教師や設備も不整備。外地からの教師は“民弁教師”が多く、平均月給五〇〇元はふるさと外地にいた時よりはよいものの、北京市公立小学校の一五〇〇元程より低額で負担も多いため、兼職や転出率が高くなる。
 民工子弟校について単懿の北京市調査によると(注2)一人っ子はわずか一六・一%、二人兄弟が五四・八%、三人は二三・六%、四人は四・一%とさすがに多い。
 
   注2 単懿「中国における流動人口の増加と戸籍制度の改革」東京農工大学大学院修士論文 二〇〇二年九月提出。ここでの、二〇〇一年三月の北京民工子弟学校五校での調査結果を引用。
 
 出稼ぎ家庭の収入は一〇〇元以下が六三・四%と低額で、民工子弟を受入れる公立学校の学費のみで毎学期六〇〇元もして、通学は困難である。(ちなみに二〇〇〇年七月から実施の「城市居民最低生活保証条例」に基づく北京市最低生活保障ラインは一人当たり月二八〇元にひかれた)
 一九九八年三月教育部は「外地戸籍児童・生徒就学暫時措置条例」(流動児童少年就学暫行弁法)を公布、改善の検討が進められつつも元来の戸籍改革問題も平行させなければならず、その根本的解消は容易ではない。
 
(4)「人口・計画出産法」の意義 ― 一人っ子政策の継続 ―
「人口・計画出産法」が二〇〇一年十二月二十九日第九期全人代第二十五回会議で採択され、先の九月一日から施行開始された。この今回施行の法をめぐり、その正確な解釈とこれまでの「一人っ子政策」との意味づけを記しておく必要がある。今回の法令に関し、日本の一部報道は「一人っ子が緩和された」としていたようである。が、結論からいって、実際には七九年以来の一人っ子政策がここまでやってきてやっと制度としての成熟をみたために、今回法としてオーソライズされたのであり、決して一人っ子政策本来の内容が大幅に変更されたり緩和されたわけではない。
 当初、「計画出産法=人口法」は、一九八〇年に制定された婚姻法と合わせて準備されたが、まだ多方面の意見も一致せず、機が熟していないとして独立した法令としての制定は見送られた。従って婚姻法は、人口抑制政策に直接的な関わりをもつ(1)晩婚・晩産、(2)計画出産の義務、(3)婿入りの奨励、(4)離婚の容認、(5)優生(障害をもたない子をもつ)など五つの柱を含んでいた。
 そして国としての法づくりは、七九年以降幾度となく継続審議されながら「一つの法規で異なる地区の実際状況を配慮するのは非常にむつかしい」とされ、九〇年末に「全国的な法はしばらく公布せず、地方法規を実施する」とし、全省・市・自治区で計画出産条例を規定、しかも何度となく各地区の実状にあわせて詳細が修正されてきたという経過である。
 二三年を経てようやく全国共通の大枠が今回の法として表舞台にだされ、詳細は、従前通り地方にまかせて、中国にとっての悲願を達成。その意味で一人っ子政策は法による新たな局面に入ったのであり、政策の継続維持である。
 今回制定された新法の内容は、総則、人口発展計画の策定と実施、出産調査、奨励と社会保障、計画出産の技術サービス、法律責任、付則の七章四七条からなる。「人口、経済、社会、資源、環境の調和とれた発展」(第一条)、「計画出産を実行することは国の基本国策」(第二条)、「国は現行の出産政策を安定させ、公民の晩婚、晩産を奨励し、一組の夫婦が一人の子供を出産することを提唱する」(第一八条)と、どれも従来通りである。
 これまで地域による格差が激しく、一律の法制化が難しかった一人っ子奨励額(毎月給与とともに支払われる)など福利厚生の優遇策、第二子を出産する際に満たすべき条件に反して出産をした場合に支払うべき罰金額などの詳細は各地方に権限を任せたままとしている。一方で「超過出産罰金」など計画外出産に対する経済的制裁の呼称は、「社会扶養費」「これに符合せず子供を出産した公民は、法に基づき社会扶養費を納めなければならない」第四一条)と全国統一化した。
 
 
中国各歳別人ピラミッド(2000年)
(拡大画面:61KB)
出所: 2000年人口センサス結果より作成
 
 
 経済的な制裁を「社会扶養費」という従来の「罰金」よりも柔らかい印象を与える名称に変更したが、これはあくまで名称の変更にすぎず、「徴収管理弁法」を合わせて公布し、その徴収を徹底したことからも「一人っ子政策」が緩和の方向ではなく、制度として一層成熟したことがうかがえる。
 この法制化により、全国約四〇万人といわれる計画出産専従者らにとっては、法に基づく仕事として難事業にとりくみやすくなったという。かつての担当大臣の彭雲をはじめ、王忠禹、江春雲らが国務大臣としている今こそ好機として最大公約数的大枠の新法がすんなり成立した、とみてよいだろう。
 また、今回の法律制定によって、中国政府が従来の政策の方向転換を図っていないことの根拠がもう一つあげられる。それは二〇〇〇年三月には、中国共産党中央委員会と国務院は、「人口と計画出産活動を強化し、低出生水準を安定させることに関する決定」を重要な綱領として通知し、人口・計画出産活動強化の方針を再確認した。(注3)
 
   注3  中共中央国務院による今後一〇年間の人口計画出産活動目標も (1)二〇一〇年末人口を一四億以内に抑制 (2)人口資質の向上 (3)出生児の男女比の正常化 (4)出産適齢者への生殖保健サービスと避妊への選択・普及 (5)新しい婚育観念と生育文化の生成 (6)計画出産保健体系と機構の確立があげられており、宣伝教育による避妊の日常工作が継続決定されている。
 
 国家計画出産委員会は、人口再生産の「高出生、低死亡、高増加」型から、「低出生、低死亡、低増加」型への歴史的転換をとげ、世界の出生水準の低い国の仲間入りを果たしたとする。
 これは通知より十年、つまり二〇一〇年まで低水準の出生を維持することを明らかにしたともいえる重要決定である(近年の合計特殊出生率は全中国一・八で置換え水準の二・一を下回っている)。これを裏づけるように「もし一人っ子政策が変わるとすれば、二〇一〇年より後のこと」と、中国人口情報研究センターの干学軍主任は、今夏八月二二日、筆者に述べ、日本の一部マスコミによる“誤報”を訂正した。
 新華社通信が九月一日に報じたところによると、国家計画出産委員会主任の張維慶が「憲法に原則規定がある外はこれまで具体的法律で規制してこなかった。今回の法律制定で長い間主に政策と地方法規に頼って人口・計画出産活動を繰り広げてきた歴史が終るのであり、中国のような人口大国にとってその意義はとりわけ大きい」と発言。国策としての計画出産が二三年かかって法制化された新段階の意義深さを強調した。(注4)
 
   注4  「公民の計画出産の義務を定めるだけでなく、公民が享受すべき合法的権益および自身の合法的権益を守る方途を明確に定めている。そして“人間本位”を強調し、計画出産活動における職権の乱用、違法な行政を禁止し、強制的に命令し、大衆の合法的権益を侵すことを許さないとしている。」また「生殖保健権、避妊のインフォームド・チョイス権、健康と安全保障権、社会福祉権、教育を受ける権利などの保護はすべて新法の中で十分に体現されている」とその特色がみられる。
 また婚姻法が〇一年四月二十八日に改正され、「重婚および配偶者以外との同棲を禁止、家庭内暴力または家族員に対する虐待もしくは、遺棄が原因で離婚に至った場合の有費方に対する無責方の損害賠償請求権を規定した。
 
 各地方は新法にあわせて、これまでの各省・市・自治区計画出産条例を調整していくことになる。いちはやく行った安徽省をみると、第二子を望むものが満たすべき条件については以下の通りであり、とりたてて新しい内容ではない。
「(1)夫婦が共に一人っ子。
 (2)結婚後子供をもうけず夫婦共満三〇歳を超え、法に基づいて養子を一人引き取っている。
 (3)再婚夫婦で一方は子供がなく、もう一方に一人しか子供がいない
 (4)第一子が身障者で、成長しても正常な労働力が期待できず、医学的に第二子を出産できる。
 (5)二等B級以上の軍人身障者と五級以上の身障者(公務により身障者になった者)。
 (6)連続五年以上坑内で働き、今後も坑内で働く者で子供が女の子。
 (7)農村夫婦で一方が一人っ子。
 (8)男子側が婿入りし、女子側に兄弟のいない農村夫婦(女子姉妹の一人だけに適用)。
 (9)農村夫婦で子供が女の子。
 (10)山間部に居住し(男子が出稼ぎに出て)女子が農村に住み子供が女の子。
 さらに再婚夫婦で一方に子供がなく、もう一方に二人いたが、二人とも亡くなった場合は、第三子を出産できる。
 夫婦が共に帰国華僑、あるいは安徽省に定住して六年に満たない香港、マカオ、台湾地域の住民で、子供一人が中国本土に定住している場合、すでに何人の子供がいても次の子を出産できる」。(新華社八月十六日)
 一人っ子同士の結婚では第二子出産が可能であるという規定は新法以前もほぼ全中国で共通していた。それまで夫婦二人とも一人っ子であるという条件に該当する夫婦が少なかったのだが、政策開始から二十三年を経過する今日、一人っ子同士の結婚はとりわけ都市部では一般化してくることが予想される。これを政策の緩和というのなら、これが定まった八四年頃になされたことであり、今日の変更ではない。ただし都市部の一人っ子の若者が一人っ子同士で結婚した際に、実際に第二子出産を望むかどうかは別の問題である。その生活環境などから第二子を望むケースは実際には少ないだろうともいわれている。
 農村部で「第一子が女の子の場合(男女にかかわりなくの省もあり)第二子出産が可能」はより多くの地方条例がこれまで該当。再婚をめぐる多様なケースは従来各地方でバラバラであったが、今後は広く明記されていくだろう。帰国華僑も同様。とりたてて新しい内容ではないが、社会扶養費の対象として外国留学者が明記されたことはこれまでない。







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