開会挨拶
内外からお見えいただきました著名なゲストの皆様、お集まりの皆様、おはようございます。本日は、シップ・アンド・オーシャン財団海洋政策研究所が主催する国際会議「地球未来への企画“海を護る”」にお出でいただきまして誠に有難うございます。
私どもシップ・アンド・オーシャン財団は、海洋との共生を目指して、総合的な海洋管理(Ocean Governance)を実現するための方策を各方面にわたって具体的に研究し、その成果を提言していくことが、わが国のみならず、地域、世界にとっても極めて重要であると考え、日本で唯一の本格的海洋シンクタンクとしてSOF海洋政策研究所を設立しました。本研究所は、その設立目的を達成するため、総合的、横断的な取り組みを要する海洋の総合管理のための政策の調査・研究に鋭意取り組み、それらの成果に基づいて政策提言、普及、啓発を行なって、わが国ならびに地域、世界の海洋管理に貢献することとしております。本会議もそのような活動の一環として企画したものてす。
さて、振り返ってみますと、地球表面の70%をカバーする海洋を巡る諸情勢は、最近10年間に大きく変化しました。まず、半世紀にわたって続いた冷戦構造が崩壊しました。1994年には国連海洋法条約が発効し、長年の懸案であった領海の幅が12海里と定められ、群島水域、排他的経済水域などが制度化されて沿岸国の管轄海域が大きく拡大されました。1992年には、環境と開発を討議するリオ地球サミットが開催され、「持続可能な開発」原則と行動計画「アジェンダ21」が採択されました。それから10年経った本年、南アフリカのヨハネスブルグ「持続可能な開発に関する世界サミット」WSSDが開催され、持続可能な開発の実施を中心議題として、それを実現するための「実施計画」が定められました。
また、1990年代半ばからは、密輸、麻薬、海賊その他の越境(transnational)犯罪が多発し、地域的、国際的に取り組むべき問題となっています。さらに、昨年9月11日にはアメリカで世界貿易センターやペンタゴンを標的とするテロか発生してその影響が海洋にも深刻な影響を与えています。
私たちは、このような最近の変化を踏まえて、旧来の安全保障概念、主権国家の軍事面を重視し、言わば陸からの視点に立った安全保障の概念から離れて、広大な海洋の開発利用と環境保護並びにそこに採択された新しい海洋秩序を見据えた新しい安全保障の概念を構築する必要があると思います。
すなわち、一国の安全を、開発利用という経済的側面、保護・保全という環境的側面を含めてもっと広範な角度から考える、そして、国際的にも各国が平和共存を前提にして、新しい海洋秩序とルールを共有する、そのような新しい安全保障の概念が必要ではないでしょうか。
このような問題意識の下に、今回はアメリカ、インドネシア、韓国、中国、フィリピン、マレーシアおよび日本の7カ国から著名な方々をお招きして、「海洋の平和維持と環境保護のための法的・政策的枠組と行動計画」についてご討議いいただくことといたしました。大変野心的な企画です。
本日と明日の2日間、どのような議論が展開されるか大変楽しみでございます。本会議が実りあるものとなりますように心からご期待申し上げます。
SOF海洋政策研究所
所長 寺島紘士
基調講演
海を護る「海洋の安全保障」
−人類の海洋への作用に対応して−
秋山昌廣
母なる海洋
宇宙や地球に関する我々の知りうる知識から判断しても、海洋は人間も含めた生物の生命の根源てあると言って間違いない。宇宙探索の一つの大きな課題が、地球以外の惑星における生物の存在の確認であり、それは、結局、惑星における水の存在の確認なのである。かかる生命の根源的な意味で水が重要であるというのみならず、有史以来の地球の歴史において、海洋は人間に大きな恵みをもたらしてくれた。「母なる大地」とよく言われるが、私はむしろ海洋の懐の大きさの方が母に相応しいような気がするので、むしろ「母なる海洋」と言いたい。
海洋は、人類に多くのものを一方的に与えてきた。多くの厄介なものも受け入れてきた。海洋は、人類に全く自由に移動する媒体となってきた。生物に必要な水が地球上を循環するためのモーターの役割も持っている。
もちろん、海洋は人間にとって厳しい側面を併せ持つ。人類は母なる海洋の懐の深さに甘えすぎてきたので、海洋から厳しい反撃を受けるかもしれない。我々はこの新世紀に入り、あらためて、海洋について真剣に考えなければならない時代に入ったと考える。
人類の海洋への作用
人類は、その長い歴史の中で海洋にいろいろな形で作用を及ぼしてきた。人類からの作用として、私は次の5つを挙げたい。
1. まず漁業である。ここで漁業の歴史を語ることはしない。現在、遠洋漁業国と沿岸漁業国の利害の対立、特に開発途上の島嶼国家と先進国との関係が大きな課題である。さらに、近年、漁獲と生態系維持との関係とか、IUUに伴う資源保護・海洋環境問題が大きな課題となってきている。また、地球上の人類の人口増加に対応して必然的に漁業資源に大きく頼らなければならくなる食糧事情の将来、といった問題もある。海洋牧場、サンクチュアリー構想などの課題も含め、人類は今後も漁業を通し海洋に大きく作用を与え続けるであろう。
2. 次に海上交通である。人類の発展の基礎には経済の発展があり、経済が近年世界規模で大発展した背景には、海上交通による貿易の爆発的進展がある。質的量的両面において海上交通がかくも発展しなければ、このような人類の発展はなかったであろう。もちろん、航空機の発達やインターネツトの爆発的な広がりにより、トランスナショナルな活動は様変わりであるが、物量の国際移動は99%海上交通であり、しかもこれが今でも年々増大しているのである。
海洋の懐の深さには、誰でも、どこでも、いくらでも、自由に移動に利用できることがあった。しかし、海上交通の発展により、船舶海洋汚染の問題、航行集中に伴う危険の増大、海洋の厳しさから来る海難の問題、海賊やテロの必然的発生、事故やテロに伴う環境破壊問題など、海上交通を通じて人類は海洋にいろいろな作用を与えている。
現職 シップ・アント・オーシャン財団会長
学歴 東京大学法学部卒
大蔵省入省。東京税関長、大臣官房審議官を経て1991年に防衛庁に移り、人事局長、経理局長、防衛局長、事務次官を歴任し、1998年退官。1999−2001年ハーバード大学客員研究員として安全保障および海洋問題を研究。「アメリカの世界戦略と日本の自立」「日米の戦略対話が始まった」などの著書・論文多数。
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3. 国家権力の展開による海洋への作用も大きい。海軍・空軍を中心とした戦争状況は、思考停止状況に陥るほどの深刻な作用である。有事以外においても、端的には海軍力によって、また、海運、造船、港湾、海上貿易、海事国際関係を含めた国家の総力すなわちシーパワーによって、有力国家は国益確保のため、世界への展開を海洋を通じて果そうとしてきた。大航海時代、シーパワー時代、海洋管理時代といった海洋のパラダイムが見られたが、それぞれにおいて海洋の環境問題、自由であるべき海洋への支配といった、人類の作用が強権的に行われた。戦争中、民間の船舶に対しては無差別攻撃がなされた。戦争のあとの海洋の汚染を見よ。ソ連崩壊後の原子力潜水艦の管理状況を考えよ。同時に海洋を巻き込む核実験なども、海洋に対する許し難い国家権力の作用の例と考えることが出来よう。
4. 漁業に限らず海洋に関わる資源開発も看過できない。すでに多くの地域で海底からの石油資源の回収が行われているが、レアメタルを含めた各種鉱物資源の開発、深海底という特別の環境での興味ある資源の探索、海水からの資源回収、海流・海水温度差利用による海洋そのもののエネルギー利用など、今後の展開が多く見込まれる。資源エネルギー開発には限らないが、このからみで海洋に関する科学的な研究・開発活動も大いに進んでいる。しかし、これらの活動は、海洋に対する人類の作用であり、単なる海洋環境問題に限らず、地球自体の活動、その構造的歴史的展開に、大きな影響をもたらすことが予想される。
5. もちろん、陸上における人類の活動による影響も、海洋に対する人類の作用として考えなければならない。陸上生活のいろいろな結果が、主として河川を通して海洋に押し出されあるいは直接海洋への投棄が実行され、埋め立てや各種建設工事など沿岸域での人口的作用の影響も大きい。陸上と海上を横断的に考慮しなければならない気象を通じて、酸性雨のような陸上起因の海洋汚染という問題もある。微粒金属物質やプラスチック汚染の問題もある。レジャー活動を含めその他の人間の海洋への作用は様々である。いろいろな規制や権利により、人類が自由に海でレジャーを楽しめないということもある。
人類の海洋への作用は、人類の発展にとって必然的に生じてきたものである。人類は、常に発展を追求している。発展は人類の願いである。特に、南北格差が広がる中、南北問題は人類全体の発展によってのみ解決されるというのが現実である。発展した国が発展途上の国に対して、発展を抑制すべきであると言えるであろうか。発展した国が、自ら発展を抑え、後退することがあり得ようか。経済成長は止めるべきだ、と言うのであれば、人類の発展は止めるべきだというに等しい。このジレンマを解決する道はあるのであろうか。実際、人類の発展を前提に海洋の問題を考えなければならないというのが、我々に課せられた課題てある。
海洋の力の限界
海洋はこれまでその懐の大きさにより、人間の作用を何とか消化してきたように見えた。あるいは今も、また、将来もかなりを飲み込んでもらえるかもしれない。しかし同時に、人間自体が海洋の持つ力に懸念を持ち始めている、あるいは、人間自体があらゆる努力をして海洋の力を持続させなければならないという認識も強くなってきているのも、事実である。それだけ、甘え続けてきた人間の側で、海洋に関する異変を懸念するようになったということだと考える。甘えても良いという科学的根拠がないのであれば、忍び寄る脅威あるいは取り返しのつかなくなるかもしれない脅威及び不安定から「海洋を護る」という「海洋の安全保障」について、われわれは真剣に考える必要があると考える。
ここで、「海洋の安全保障」と呼んだのは次のような理由からである。すなわち、海洋に対する人類の各種作用に対して、我々は何を考えなければいけないかといえば、まず、人類の作用に対応して海洋の側に立ってみて考えることである。それは、必然的に「海洋の環境を護り、海洋の安全を確保」するということである。
今や安全保障という言葉が国防、軍事的なものからより一般化して、例えば「人間の安全保障」という言葉が使われるようになってきている。この言葉の変遷を受け入れるならば、我々が今ここで考えなければならないのは、まさに「海洋の安全保障」、すなわち海洋の環境と安全を護るということだと考える。しかし、護るということは難しく、単に護れば良いのではなく、如何に護るのかという一語につきるように思う。
海洋安全保障の視点
私は、「海を護る」ないしは「海洋の安全保障」として、次の視点を掲げておきたい。
1. 護るべき海洋の環境と安全の実態、経緯、懸念要因の検証といった、いささか地味かもしれないファクトファインディングを広範に、時間をかけ(10年、場合によれば100年というタームが必要かもしれない)、観測などを通して実施しなければならない。
また、すでにいろいろな形で実施しているファクトファインディングを、全体的に把握し、情報を集積し、必要に応じて工作し、これをまたフィードバックする、アウトプットするといった活動が価値ある作業と考える。
2. 護るというのは大変難しい。グリーンピース活動に見られる如く政治活動として、キャンペーンとして自然の死守ということを政治目的として立てるのは理解できるが、政策のコンセプトとして単なる現状維持というのでは人類の発展との調和や人類と海洋の共生も実現しなくなる可能性がある。それでは開発途上国の側の先進国に対する反発は解消しない。キャンペーンとしての現状維持はあってもそれは解決策ではない。
結局、「如何に護るか」が重要な課題となる。国連環境サミットのスローガンたる「持続可能な開発」は、一つの有力なコンセプトであるが、問題はその具体化であろう。
この場合、海洋の側に立って考えれば、現在の人類の側で行っている検討、研究は、あまりにも人類の側の発想による個別部門、個別学問分野に細分化されすぎている。海洋の側からすれば、海洋に対する人類の作用は全てが包括的に行なわれていて、相互に密接に関連している。何らかの対策が必要である場合、明らかに個別部門的なものではないはずである。自然科学も社会科学も包含したものが求められているように思う。
さらには、領海、EEZなど海洋に境界線を引いたところで、所詮海洋の自然は境界線に全くお構いなしに、運動をしている。海洋問題に取り組む場合、他の問題とはひときわ異なり、国際的な観点からの検討、国境を超越した国際協力無くしては何事も解決しない。
海洋の安全確保の観点から近年海賊問題が議論されている。例えば、海賊対策に衛星監視装置を利用するシステム構想があるが、このための資金と、人的資源と、システムの効果・効率を考慮すれば、かかるシステムは間違いなく、海洋の環境保護の観点からも様々な役割があり、海洋問題は学際的・横断的に研究、検討、対策を推進しなければならないことを、如実に示している。この点が、今海洋問題の取り組みにおいて最も欠けているところである。
3. 我々は、長い議論と調整を経て、国連海洋法を完成させ、1994年にはその発効にこぎつけた。米国が批准していないという問題はあるが、米国自身もこの条約の中身ついてはすでに受け入れており近々批准が見込まれる。国際法的枠組みが出来たが、大きく言って2つの問題がある。条約の解釈とこの法体系の執行である。前者は多くの重要な問題があいまいのままで、今後解釈ないし事実の積み重ねでルールを形成していかなければならないであろうし、後者については執行機関、海洋管理主体の実力と国際協力が問題となろう。いずれにしても、人類が海洋問題に今取り組もうとする場合、人類が形成した国連海洋法に係る問題を抜きにして研究、検討を進めることは出来ないと考える。
法的な国際的な枠組みとしては、このほかにも海運、船舶、船員、環境、気象、漁業、資源などに関する多くの取り決めがあるので、これらの枠組みも同様考慮する必要がある。
4. 我が国では戦後、極端に軍事力に関する議論が抑制されてきたが、世界の有力国が海軍力その他のシーパワーをバックにして海洋への作用を展開してきたことを無視することは適当でない。大航海時代からシーパワー時代を経て海洋管理時代に入ろうとしている現在、国益の確保を目的とした海軍力を利用して、より大きな目標たる海洋の管理に如何に取り組んでいくかがひとつの大きな課題になってきていると考える。
以上の問題に全てに共通するが、海洋管理あるいはオーシャンガバナンスの必要性、コンセプト、実現性、条件など今のところ十分な研究が進んでいるとは言えない。
結語
最後に、我が国のことを考えて、この基調演説の結語にしたい。
我が国は、海運、造船、漁業、海上交易といった現象において、世界のトップクラスに位置するというのみならず、その地理的姿、長い歴史を顧みても、海洋大国であることは間違いのないことである。海洋国家であることもあって、国運が救われたことも何度かあったが、逆にその海洋国家の運命を無視した国策の展開によって、国家的失敗も経験した。長い歴史から見れば短い期間というべき戦後の半世紀余になされたこの奇跡的復興も、あまり自覚はなかったが海洋国家の賜である。我々は、世界の中でも海洋から最も多くの恩恵を受けている。
でいながら、何故これほど日本人は海洋に無関心なのであろうか。空気と水と同じように、何の苦労もなく得られるものには無関心なのかもしれない。しかし、海洋からの反撃があれば、もっとも大きな打撃を受けるのは我が国であろう。我々は、世界の先頭に立って海洋の安全保障に全力で取り組む義務があると考える。人類特に海洋大国たるべき我が国は、海洋に対する畏怖の念を持って、海洋からの反撃を事前に防御し、海洋の側に立って、海を護らなければならないと考える。
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