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一人から地域へと広がった輪
 この辺りの方言では、変わり者のことを「タボケ」というそうだ。
 「こんな草ぼうぼうの土手を彼岸花で一面にするなど無理に決まってる」。当初はこの「タボケ」老人を遠巻きから冷ややかな目で見ていた人たちも、1年、2年と年を重ねるごとに増えていく彼岸花を目の当たりにして、心を動かされた。やがて、彼岸花を増やそうという動きは地域全体に広がり、半田市は球根を仕入れる予算を付け、その植え付け作業には地元の小中学生なども応援に来てくれた。また、たった一人で行っていた毎日の作業にも、「手伝いましょうか」と声を掛けてくれる人が現れた。その第1号が現在、岩滑区の区長を務める榊原幸宏さんである。
 「人生、やっぱり出会い。人柄のいい彼と一緒になって作業をしている様子を見て、あの人、この人と、だんだん多くの人たちが協力してくれるようになったんですわ」
 そして、これが「矢勝川の環境を守る会」というボランティアサークルに発展し、今では小栗さんを中心に、定年退職後の男性、子育て後の女性などの60〜70代のメンバー十数名が、この絶景を維持するために、草取りや球根の移植、他の花々の種播き、水まき、堤防の草刈りなどの日々の手入れを行っている。
 「皆で1つの作業に汗を流し、休憩時間には人生のもろもろや村の出来事などを語り合って、一杯のお茶を飲む。これが何とも楽しみでしてね。週に1回お抹茶をふるまってくれる人もいるし、昔、保育園の先生だった人も来るんで、最近じゃ、歌まで歌わされてる(笑)。花づくりというだけでなく、人づくりの場でもあるということだな」
 メンバーの方々も「還暦を過ぎて、新しい仲間ができたことに幸せを感じる」「近くに住みながら、心のゆとりもなく過ごしてきたが、この小さなお手伝いのおかげで元気を頂戴している」などと活動への思いを口々にする。また榊原区長は、「以前は単なる会社人間だったのが、第二の人生はまったく違ったものになった。大造さんと一緒に働くようになって、地域づくりの大切さから人間としての生き方まで、多くのことを教わったように思う」と話す。
 こうした言葉に、小栗さんは「今でこそ、まだこうしていられるが、先の短い身。新聞の死亡欄を見ると、だいたい頃合いですな。でも、後を継いでくれる人がおるということ。その安心の器の上にいられることが何よりありがたい」と応える。
八十路にして開花した青春
 俗に一つのことを成すには10年の歳月がいるというが、小栗さんの壮大なる“悲願花”計画は大きな花を咲かせ、この矢勝川の彼岸花の評判は遠くまで聞こえて、毎年秋の彼岸ともなれば、県の内外から多くの人がこの地を訪れるようになった。そしてこの地域活動が評価され、昨年には、高齢者の創造的な生き方にエールを送る「第1回ニューエルダーシチズン大賞」(読売新聞社主催)を受賞。「長年の苦労が報われたようでうれしい。協力してくれたメンバーのおかげ」と語り、さらにこうも続けた。
 「老人だからといって、人様甘えてちやほやれているだけじゃいかん。世の中から恩恵を受けたら、自分のできることで返していくべきだし、たとえ80歳を過ぎたって、体が丈夫なもんは地域に何らかの奉仕をするのが当然。そういう生き方をせないかんと思うわけだが、声高に言っても所詮虚しいことなら、我がやって見せようと。そういう気持ちでこの活動を始めた部分もある。だが、夢を持つとそこにたどり着くまでいろいろと切磋琢磨するもの。それが楽しみであり、生きる張り合いにもつながった。そして今いちばん強く思うことは、この年になっても希望を持って働けることへの感謝。それがすべてですわ」
 
ふるさとの 先勝の土手に 彼岸花
命と植えて 仏とならむ
 
えにしあり 岩滑に生きて 遠きより
あしたにつなぐ 命なりけり
 
 もしかしたら、蘇らせたかったのは貧しくても、地域の人たちが助け合って生きてきた心豊かな時代であり、それを彼岸花に託そうとしたのかもしれない・・・。小栗さんのつくった短歌を読みつつ、ふと、そんな気がした。
 この秋には、真っ赤な彼岸花の中に白い彼岸花が「ごんぎつね」をかたどって咲く予定だという。84歳。いずれにしても、未だ熱き青春の真っ只中にあることだけは間違いない。
 
小栗さんが後継者として頼りにする榊原幸宏区長(左)と小栗さん







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