症例9
1. 症例9の概要
A.F 年齢84歳(死亡時) 女性
病名は (1)老人性うつ病、(2)左変形性股関節症、(3)右変形性股関節症、(4)胆嚢癌、(5)陳旧性肺結核、(6)老年痴呆
2. 当院へ入院するまで
20歳頃肺結核にて気胸療法。51歳 子宮筋腫。60歳 白内障手術。72歳S状結腸憩室炎にて手術。人工肛門置設。73歳 人工肛門閉鎖。
平成6年(75歳)2月、突然夫が死亡。抑鬱状態となり3月K病院精神科受診。6ヶ月間入院。いったん退院するが、不眠・食欲不振にて再入院。
平成7年(76歳)7月ST病院に転院。その頃より歩行困難あり。左変形性股関節病と診断。平成8年(77歳)6月SA病院に入院。6月19日左人工股関節置設術を受け自立。歩行可能となったが7月30日左股関節脱臼、再手術。これをきっかけに再度うつ病症状悪化。平成8年9月3日(78歳)当院入院となった。
3. 入院後の経過
抑うつ状態で、意欲・活動性に乏しく入院後、心気的訴えがつづいた。陳旧性肺結核による左肺含気低下あり。呼吸苦、息切れにて酸素吸入を要した。腹部手術後の腹壁癖痕ヘルニアもあり、腹痛、下痢、腹満をくり返した。平成9年(79歳)には萎縮性膣炎を合併。それらのために症状は胸苦、腹痛、腹壁の突出、下腹部痛と移動性で訴えが多彩であり、診断は困難を極めた。
平成11年12月 左股関節脱臼あり。SA病院通院して人工骨頭抜去した。認知障碍が進行。スタッフへの依存、つきまとい、拒食、時に不穏焦燥あり。常時の見守り介助が必要となったため、平成12年から医療保護入院とした。
アクティビティーの提供(離床の促し、認知訓練、裁縫など)の工夫。ADLの見守り、機能維持。排泄へのこだわりについては気をまぎらす。トイレ誘導、排便の確認、適宣の摘便。痛みについては無認しない。気をそらす。診察、ケア、車にブレーキのかけ忘れに注意。移乗時の転倒転落事故予防。合併症の早期発見、治療、精神科作業療法、メンタルケア、服薬確認、摂食状況の確認等々ケアプランを立ててQOL尊厳を尊重したケアを目指した。しかし平成13年に入って心気的訴えが激しく、関心が自己の方向のことにばかりいってしまい、時に焦燥夜間せん妄をおこすようになった。
平成14年8月高熱出現。検査にて胆道系の閉塞を示唆する。データーをエコー、CTにて確認。胆嚢癌と判明した。8月中旬より黄疸、肝機能障害が急速に進行した。専門医受診し、手術適応、PTCD治療、IVH管理等についてご家族に説明した。ご本人が転院、手術を強くいやがっていること、腹部を頻回に手術したあとであること、現在の存力、精神状態、一般状態、合併症、リスク等について総合的に慎重に考慮・検討した。その結果、本人には告知せず、当院で保存的に治療・ケア(ターミナル)を継続することと決定した。重症の閉塞性黄疸症だが日によって変動あり。意識レベル食欲も軽快増悪をくり返した。不安不眠に対しては少量の眠剤、右季助部痛にはパモ酸ヒドロキシジン、アンヒバ座薬、悪塞発熱には抗生剤注射、食事摂取不良に対しては少量の補液700ml/dayにて対症的に治療した。9月には安楽いすに座ってヨーグルト・みかんゼリーなどおいしそうに食べ、ご家族と談笑。苦痛のコントロール良好と考えられた。しかし、徐々に衰弱が進行し、10月18日右季助部痛、発熱、膀水増量。徐々に昏睡状態に移行。10月20日鼻出血。じわじわ止まらず、ご家族を呼んでいよいよ厳しいことを伝える。ご家族に見守られ、PM8:53永眠された。
4. コメント 6年間
抑うつと痴呆が進んできた人。
向精神薬はハオペロドール2mgから始め、ハオペロドー1mg、エスタゾラム1mg、
塩酸マプロチリン1mg、ユイデール1mg を就眠薬として。
塩酸マプロチリンは30mgまで増量した。
その後スルピリド50mgを使用したこともある。抗うつ効果のため。
胆のう癌の診断後は不安が強かった。車椅子への移動だけでも意識消失がおきるようになったが、本人の強い希望でできるだけ排泄はトイレで行った。おむつは最後の1ヶ月位。
家族は死を看取れた。
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