症例4
1. 症例4の概要
S.T 年齢92歳(死亡時) 女性
病名 (1)混合型痴呆 (2)骨粗鬆症、胸腰椎圧迫骨折 (3)大腿骨頚部骨折 (4)高血圧
2. 当院へ入院するまで
浅草生まれ。20歳で結婚。専業主婦で3男2女をもうけた。
平成7年春頃(86歳)より物忘れ、不眠、抑うつ状態あり。通院加療した。平成8年9月(87歳)腰痛にて入院。入院後、夜間せん妄、急性胆のう炎を併発。一時多臓器不全の状態となったが、抗生剤、補液等積極的治療にて改善。10月26日別の病院に転院したが、夜間せん妄あり。歩行したり、ベットから降りるなどして危険なため、肢体をベットに抑制された。平成8年11月30日、当院転院となった。
3. 入院後の経過
歩行は短い距離なら可能だが、不安定で実用的には車椅子生活。食事以外のADLは介助を要する状態。会話は可能だが、重度の認知障害があり、自分の状況を理解できない。夜間せん妄も重度で、「ドロボー!」「刑事につかまった」「おじいさんが死んだからお葬式に行く」「監禁されているから仕返しをする」「この人、不良よ」「私には神様がついている」「不良の薬は飲めない」「警察を呼ぶぞ、ドロボー」など被害的な内容で興奮し、這いだし、脱衣行為、おむつはずしなどみられた。拒食・拒薬・独語あり、日中も「暴力団がいる」「ドロボーがいる」「おじいちゃんが向こうで乱暴されている」など妄想的だった。しかし、見守り、タッチ、声かけ、傾聴、最小限の向精神薬使用などにより、一切の抑制をせずに経過。12月には精神的にもだいぶ安定してきた。
12月末から上気道感染をくり返し、平成9年に入って転倒もくり返すようになった。時々、覚醒不良、一過性の意識レベルの低下がみられ、食事中の窒息ということもあったが、対症治療にて回復していった。
平成9年11月28日、当院に入院していた夫が他界。お別れをして号泣。取り乱しがあり、以後、精神的に不安定で退行が進んだ。
平成10年1月24日、風呂場で転倒。左大腿骨頚部骨折受傷。整形外科に転院し、2月3日手術。3月30日、帰院した。
精神的退行、体力低下、機能低下あり、積極的なリハビリ、アクティビティの提供、メンタルケアに努めた。動けるようになるにつれ、同室者に叩かれるなど被害的な妄想出現。また、「背中に赤ちゃんがいる」「牛乳が足りないから買ってくる」と外に出ようとしたり、「赤ちゃん、死んじゃった」「警察にみんな調べられるよ、ごめんね」などの妄想、車椅子での徘徊、おむつはずし、はいだし、大声などみられた。
夏には、「悔しくて眠れない」「胸が苦しい」「赤ちゃんが重い」「赤ちゃんをおんぶしているひもで苦しい」「赤ちゃんの親が帰ってこないの。警察に行って来ようか」などとの内容でしきりと胸苦しさを訴え、飽きにはかゆみ、頻尿と訴えが変化した。
平成11年、赤ちゃん妄想が続くが、身体的には心窩部痛、かゆみ、下腹部痛、息苦しさなどをくり返すようになり、対症的に検査治療した。6月に入って「赤ちゃんをとられた」「あの沖縄の女が子どもを連れていった」などの妄想、興奮、他の患者への攻撃がみられ、徐々に体力・機能が低下していった。
7月に入ると、夕方になっての興奮が憎悪。不穏、せん妄状態で「悪いやつばかりだ」「赤ちゃんは具合悪いし」「皆、集まって笑っている」「どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの」等々。車椅子で徘徊して、「もうこんなにバカにされて」と泣き出したり、他の患者のズボンをみて、「あたしのだ」と怒りだしたり、被害的、易怒的。
7月中旬には、「赤ん坊に飲ませるからミルクをもっと甘くして」とテーブルをバンバン叩いたり、車椅子ごとぶつかってきたり、「赤ちゃんがこんなになっていて誰かが生んですぐにあたしに預けて、沖縄に行った」などと物語的な妄想に発展したり、「赤ちゃんを負ぶっているので肩が凝る」と湿布を要求。他患と椅子を取り合ったり、牛乳をばらまいたり、徐々に昼夜逆転で日中は傾眠がちになり、次第にせん妄が間遠になるとともに活動性が低下していった。
12月、原因不明の嘔気・嘔吐・強度の腹痛あり、検査ならびに対症療法するうちに鎮静化した。
平成12年に入って、腰痛・膝痛に訴えが変わったが、精神的には落ち着いていた。5月、独語・妄想が再燃。「子どもが帰ってこない。こうなったら警察に行くしかない」など興奮、赤ちゃん妄想も出てきて、車椅子徘徊、独語、大声、夜10時に「ご飯が食べたいだよ、出せ!」「戦争はやめよう!」、6月には「まつよ(娘の名前)がつかまっている」「悪魔だ! 私はまだ死ぬわけにはいかない」「娘が殺されて下に埋められている」「この人たちは悪魔だ。だまされてはいけない。生まれたばかりの赤ちゃんを殺した。ピストルもって、ドロボー、ドロボー」「赤ちゃんが死んじゃった。服を7枚も着せられて暑くて息ができなくて、死んじゃった」「いまに化けて出てくる」等々。妄想活発で興奮。
6月15日、車椅子にて前方に転落、前頭部打撲、その後風邪も引き、これをきっかけにせん妄は収まり、精神的には安定した。その後、転倒受傷や感冒状態、時々のせん妄くり返しながら入院生活。徐々に活動性、身体機能、体力は低下していった。
平成13年2月、「赤ちゃんにミルクをやってください」などの赤ちゃん妄想再燃。3月には「まとわりつくから二人殺してしまった」「赤ちゃんが池に落ちた」など妄想的になり、興奮、車椅子徘徊、夜間の不眠、はいだし、弄便、脱衣行為が見られるようになり、突然怒って泣き出したり、ギャハハーと高笑いしての多弁などみられた。4月に入って転倒、前頭部打撲をきっかけにいったんおとなしくなったが、5月になって不眠、はいだし、脱衣行為、「赤ちゃんを盗られた」などの赤ちゃんせん妄再燃、大声で多弁、壁を引っ掻いたり、車椅子徘徊、突然の高笑い、対応に苦慮したが、そのうちに収まり、6月以降は比較的穏やかに生活した。
起立歩行はまったく不可能となり、時々のせん妄をくり返していた。
10月中旬、感冒きっかけに体力、活動性が低下、食欲も低下し、抗生剤、補液治療もせざるを得ない状況となった。11月に入ると、尿路感染症、気管支肺炎も併発。対症的に活動するもなかなか改善せず、一般状態悪化した。
12月に入って一応感染症は治まったが、食事1日1食がやっとで心不全状態、低栄養、全身浮腫、全身衰弱の状態。ご家族に生命予後のきびしいことをご説明し、ご納得いただいた。ご家族は「できるだけ苦痛のないように安らかな最期を迎えさせてあげたい」とのご意向だった。
平成14年にかけて、心肺機能、腎機能も悪化していった。徐々に老衰による多臓器不全の状態に移行。昏睡状態となり、1月31日、AM4:10 永眠された。
4. コメント
向精神薬は、HP2mg〜0.325mgフルニトラゼパム0.5mgパモ酸ヒドロキシジン2caps
妄想、大声、せん妄が激しく、乱暴(叩いたりつねったり)。
後半はHPとリスペリドン0.5gに変更していった。向精神薬の効果は確実に得られた。
同室に入院していた夫の死の時は「ありがとうございました」と言っていた。
院内グループホームケアにも参加。ごはんをよそう係りであった。よく笑い出し、皆もつられて笑い出す等のエピソードもあった。
夜中はおしりでいざって部屋より這い出し、スタッフとお茶を飲んだりもしていた。
入院5年後の12月感染をきっかけに、心不全、食べられるくらい。43日間の経過をたどり死亡。
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