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Q. 船旅(=クルーズ)って?
 
A. 船旅とは、字で表されるように、船に乗ってする旅のことをいいます。英語のクルーズ(Cruise)には、巡航する、(船で)巡遊する、などの意味があり、「海上をジグザグに航行する」という意味からきているようです。これは、獲物を探す海賊船の航法や敵を求める軍艦の航法を指したようですが、現在は、客船、大型ヨットなどのレジャー航海もクルーズと称するようになっています。
 もともとは、二つの港の間を定期的に結ぶ交通機関としての役割が一般的でした。その客船を使ってクルーズを着想したのは、太陽の光にめぐまれない北欧の人々でした。実際に出現したのは19世紀後半で、気候の厳しい冬季に定期航路の客船をクルーズ客船に転用し、カリブ海あたりを航海しました。これがアメリカ人のレジャー形態にも合致して数年で大ブレイクし、クルーズの時代が始まったのです。
 20世紀に入ると、クルーズ専用の客船も登場し始めました。戦前のクルーズは、超デラックスな旅を楽しむリッチな層を対象にしたものでした。その後、大衆化された現在のクルーズは、アメリカのマイアミ港を母港に、全米から格安料金の航空便と組み合わせたフライ&クルーズ方式で、北米に巨大なマーケットを育てました。
 一方、日本では修学旅行や団体旅行に貸し切って運航することはあっても、専用船は20世紀後半まで出現しませんでした。クルーズは贅沢なレジャーで、経済的にそこまで至らなかったのです。チャーターや古くなった定期客船の廃船処分前の閑職として時折使われている状態で、定着しませんでした。
 日本のクルーズの基礎を築いたのは、商船三井客船でした。その後SHKグループ(現日本クルーズ客船)や日本郵船なども参入しました。こうして、昭和63年(1988)から2年間で、6社8隻でほぼ同時にクルーズを開始しました。しかし、日本のバブル経済がはじけた時期と重なり、特に料金の高い小型ラグジュアリー客船は影響を受け、客は一向に増えませんでした。反面、大型クルーズ客船はまずまず順調に業績をのばし、徐々に日本でも浸透していきました。
 20世紀後半からは、新造メガシップの登場で、クルーズは7つの海に広がり、現在世界のクルーズ人口は、年間850万人を超えるといわれていますが、日本のクルーズ人口はまだ伸び悩んでいる状態で、日本人の根底にある船旅=高いというイメージをどう払拭できるか、高い年齢層をどこまで引き下げられるかが、これからの課題のようです。
 
 
飛鳥
 
 
 “飛鳥”は日本郵船株式会社が戦後初めて手がけた、日本船籍で最大のクルーズ客船です。構想十年、総建造費約150億円を投じて、三菱重工長崎造船所で作られ、平成3年(1991)10月28日に誕生しました。船名は、新しい洋上文化を創造しようと、飛鳥時代にちなんでつけられました。
 日本人のためのクルーズ客船として広く受け入れられ、国内を始め、中国・香港・グアムへのクルーズの他、平成8年(1996)からは毎年世界一周クルーズを行っています。
 
《飛鳥》船舶概要
■船籍/日本
■総トン数/28,856トン
■全長/192.8m
■全幅/24.7m
■喫水/6.6m
■航海速力/最高21ノット
■主機関/ディーゼル、11,770馬力×2基
■乗組員/271名
■客室数/296室
■乗客数/592名
■全室バスタブ付、オーシャンビュー
 







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