日本財団 図書館


粗朶を供給する有限会社を設立
 粗朶の消波堤の工事も、地元の建設会社の人たちが元請でする。ほとんど手作業で行うような事業ですから、ここでも雇用の創出が生まれている。
 間伐材に関しては、杉、ヒノキの間伐材は森林組合から供給可能なのですけれども、いわゆる粗朶、雑木は全然どこも扱っていません。そういう供給システムそのものが失われて、もう40年以上経っているわけです。
 ですから、またもう一度そういう経済システムを生み出さなきゃいけません。そのためには会社が必要ということで、私どもで呼びかけまして有限会社「霞ヶ浦粗朶組合」をつくりました。
 こちらでは保全生態学に基づく企業活動をやってもらっています。これも実験です。潰れるかもしれませんので、そうなったらNPOでやろうと思っています。
 公共事業に資材を投入すると、モノやお金の大きな動きが生じるわけです。そこにやはり、ただ従来通りにモノやお金が動いているだけでは意味がない。
 そこにさらに環境保全機能を組み込んでしまおうということで、公共事業の財として供給される資材、要するに粗朶なのですけれども、それに産地証明書をつけるシステムを独自に行っています。よく言われる森林認証に近いものです。
 これは全く私たちの独創的なものです。一般に行われている森林認証制度以上に、私たちのものはもっと凝っているのですけれども、森林管理台帳を粗朶に必ずつける。森林保全にかなった、野生生物の保全や生態系の保全にかなった生産物であることを保証するものを、NPOが調査してつけています。それには、当然基本的な生物データをきちんとつけます。
 これは今のところは、私たちが勝手に行っているのですけれども、公共事業のシステムとして少しずつ定着していけば、企業の人たちがそれを率先して買い上げ、そのシステムを受け入れるということを期待しています。
 それが可能になれば、他の資材も含めて、公共事業が新しい機能を持ちます。分野を越えて、土木で行われる、湖で行われる、あるいは橋をつくるとか、町をつくる、その中で行われる公共事業の中で、現場からは遠くにある、例えば川上流の森林が保全されるシステムができる。
あるいは、もっと別な環境保全をできるシステムができるかもしれない。
 私たちが、現在行っている循環する事業。事業が事業を生み出していく。一つの事業をやることで何か新しい事業が生み出される。粗朶(木の枝)は普通ならゴミですからね。丸太や間伐材や粗朶なんか普通はゴミ扱いです。これが、この様なシステムがあれば、別のところへ動き出し、新しい価値を生むことができる。
 また、水田や用水路のヨシといったものも、それぞれ従来から管理が行われていますが、今まではみんな自己完結で、出たものは捨てる、燃やすという形ですけれども、私達はそれを湖の再生事業につなげていく。つなげて、しかもそこに生態学的なきちっとしたビジョンを加えていけば、新しい価値が生まれて、ものやお金が生み出されていく。
 今、昨年から大規模な公共事業が行われています。私たちのアサザプロジェクトのネットワークを生かして、国土交通省が自然再生事業に、全国に先駆けて行っているのですけれども、なぜ国土交通省がこういう事業をできるかといえば、私たちのネットワークがそれを支えていけるからです。
 現在の垂直護岸も、大規模に昔のような緩傾斜の、自然の湖岸の形態に戻しています。この計画から実施段階、モニタリングまで、すべてNPOがかかわってコーディネートしているのです。昨年度で34億円の事業になっています。
 
孫がおじいさんとおばあさんに昔の自然を聞く
 何もかもなくなってしまった湖岸、コンクリートのところにもう1回自然を取り戻していくのですけれども、昔はどうだったらわからない。昔に戻すのは容易なことではありません。
 その土地にあった自然環境を取り戻すにはどうしていったらいいのかということで、もう一つここで新しい事業の展開をしています。
 工事現場周辺の小学校にお願いをして、自分のおじいさん、おばあさん、あるいは近所のおじいさん、おばあさんのところへ行って、昔どんな植物が生えて、どんな自然景観があったか、生物相がいたかを聞き取り調査をしてもらう。おじいさん、おばあさんと一緒に絵を描いてもらうという形で、データを集めています。
 これをやるとどこでも、ものすごい数のデータが集まるのです。なぜなら、今まで孫と共通の話題が全くなかったお年寄りが喜んで孫と話しながら、しかも孫がそれを聞き取って、そのデータが日本でも有数の大規模な公共事業に生かされている。そのようにして、孫と一緒に地域作りに参加できる。
 まさに、まちづくり、地域づくりに自分の経験が生かされていく。それを孫が伝えてくれるということで、ものすごい数のお年寄りが参加してくれています。それを、私たちは湖周辺の、流域の台地からその湖まで、斜面に沿った、ずっと地形連鎖に沿って、詳細なデータを取り始めています。これは、新しい形で環境計画をつくり上げていく可能性を示しています。
 実際、学校でも、老人クラブの皆さんと小学生が一緒に授業を受けるケースがあります。
様々な形で世代の交流も生まれてくる。
 例えば、聞き取り調査で出た昔生えていた植物をお年寄りと孫が一緒に増やしていくという作業があるわけです。お年寄りに地域の参加の機会が生まれる。私は、これが本当の福祉だと思っています。
 またここで新しい仕掛けを組み込みます。ただ単に植物をポットで育ててもしようがない。
ミニ霞ヶ浦(ビオトープ)を校庭の一角につくり、そこで霞ヶ浦産の植物を植えて増やしましょうということです。
 これは、私たちが大きな公共事業のコーディネーター役をやっていますから、あの湖の植生帯復元事業を進めるための下支えのシステムですということで、国土交通省を説得しまして、文部科学省の管轄である各学校に学校ビオトープをただでつくってあげる。
 ここで増やした霞ヶ浦産の水草を湖に植えているわけです。こうやって、このビオトープを小学生がみんなでつくります。設計図から何から、授業をずっと続けてやっていく。増えた水草をみんなで、地域住民、婦人会の皆さん、小学生が植えていく。
 このような連携で始まった湖の植生帯復元事業ですが、現在まだ工事が終わったばかりですが、すでにメダカが戻ったり、タナゴが戻ってきたり、トンボ、ギンヤンマが舞うようになったり、確実に自然環境が戻ってきている。自分たちがやったことが確実に目に見えて、成果が上がっていく。しかもそこに、色々な分野の人たちがかかわっていて、最初から最後まで子ども達が関わるというのが私たちの事業の姿です。
 もう一つ、学校にビオトープをつくって、ただ植物を栽培するだけでは、それでも機能が足りない。そこからもっと別の機能を引き出そうと、次の戦略を展開しています。池です。あの池はただの池では仕方ないだろうということで、もう一つの機能を持たせています。
 アサザプロジェクトのビオトープにはルールがあります。入れていいのは学区内のメダカとタニシだけにして、その後はトンボだとか水生昆虫、カエルは来るまで待とうと言っています。
 
小学校区を野生生物のモニタリングの空間にする
 霞ヶ浦は色々な地域がある。都市部もあれば農村地域、漁村部、色々あります。山地に近い所もあります。この霞ヶ浦流域各地の小学校の各ビオトープに、それぞれどんな生き物が集まってくるかを調べてもらっています。集まったデータを、全部インターネットで共有しあうシステムをつくっています。
 私たちは、実はこれらの学校ビオトープを使って流域管理システムにこれから構築していこうとしているのです。行政が、全く新しくこのような流域全体をカバーするネットワークをつくろうとしたら、莫大な費用がかかるし時間もかかる。しかも、これにモニターを育成したり、配置したりしたら、これはもう行政には絶対できません。
 私達は流域にある既存の社会システムである学区を活用しているのです。既存の社会システムの質的な転換は、アサザプロジェクトの基本的な戦略です。
 小学校の学区は、普通は子どもが歩いて通う範囲に設定されています。大体半径2キロ。人間が歩いて移動する、力の弱い人(子ども)が移動して歩く能力に合わせてつくった空間配置です。これは社会的には珍しい空間配置ですね。
 それを、私たちは別の読み方をして、野生生物や環境のモニタリングをするシステムの単位として考えています。もちろん、学区はコミュニティーの基本単位にもなるわけです。
 小学校に作った各ビオトープに、こうやって色々な生き物が周辺の色々な環境(ため池、水田、川、湖沼、森など)から集まってくる。
 これまでに流域内の100校にこの様なビオトープを設置しました。このネットワークは、ほぼ流域全体(2200平方キロメートル)をまんべんなくカバーしています。
 自分たちの地域はどんな環境があるのかを、この集まってくる生物を通して把握してもらって、流域全体で共有しあう。それに大学や研究機関も参画していく。これで、常時、各地点に何百人というモニターが常に配置されていて、そこでモニタリングの能力もどんどん磨きながら、流域管理を日常生活のレベルから進めていくシステムがつくられつつあるわけです。
 
行政毎に分断されていた公共事業をつなぐ
 公共事業と公共事業をつなぐというのも役割です。
 霞ヶ浦では、管理を湖は国がやっている、流入河川は市町村や県、同じ市町村でも水田は農政、河川に関しては土木がやっているとか、もうばらばらです。連携も何もない。それをNPOがつなげて、事業を進めていく。これを全部私たちが進めて、実現しています。
 私たちのネットワークには石材組合も入っています。廃石材、御影石なのですけれども、売れない石があって産廃扱いになっているものがあるのを私たちが知りましたので、石岡市の公共事業に安く分けて上げてくださいと頼みました。
 それで、私たちが設計して三面コンクリートの河川内に蛇行する部分をつくり、そこに植物を植えようと考えましたが、これだけでまたお金がかかってしまう。
 ところが、この川(石岡市山王川)の下流のところで国土交通省が、陸地になってしまったところに水辺(ビオトープ)をつくる工事をやることになった。この提案や設計も私たちがやりましたが、そのときにヨシ原を掘ります。今までは掘ったヨシはただ捨てていた。
 そこで上流1キロのところの石岡市が行っている工事現場(山王川)に国土交通省にヨシを運んでもらい、それらのヨシを石岡市が川に植えました。国の公共工事と市の公共工事の工事時期を調整して合わせる役は、アサザ基金が行いました。
 さらに、今流入河川の両側に休耕田が広がっていますが、この休耕田で絶滅危惧種オニバスを保護増殖しています。オニバスは霞ヶ浦では絶滅寸前の植物で、種子の形でしか残っていなかったのを、今休耕田で増やしています。
 休耕田をビオトープに改造して中に生活雑排水で汚れた水を入れて、オニバスはとても栄養分が好きな植物なのですが、それに栄養分を吸収させる。要するに、水を浄化させて川に戻す。
 それ以外にも、山側の休耕田でもビオトープ改造工事を行い、周囲の森からのわき水を貯めた伝統的なため池も復元をしていくというような事業を進めています。
 この休耕田では、オニバスの種子が毎年何十万個とできますが、これが排水路から河川に流れ込み、河川を流れ下って湖に入り、国が私達と一緒に植生帯復元事業を行った浅瀬に自動供給されるシステムになっている。この植生帯復元事業を行った地域(霞ヶ浦石岡市石川一帯。1.2km)は、1970年頃まで国内有数のオニバス群落があった場所です。
 
足尾と渡良瀬の話
 足尾と渡良瀬については簡単に話します。
 足尾では鉱山公害で森林(3,000ヘクタール)が失われてなかなか元に戻りません。この事業をバックアップするためには、林野庁だけでやっても駄目です。100年経ってもこの状態ですから。社会システム全体がうまくリンクして、この森林再生を活性化していく仕掛けが必要です。
 その下流では広大なヨシ原がありますが、このヨシ原の保全が、今危ぶまれています。なぜかというと、このヨシ原を保全してきたのはヨシズ産業があったからです。単に自然があって残っていたわけではありません。毎年、刈り取って焼いている人たちがいたから残ってきたのです。雑木林に似たような環境です。
 このヨシズが、今輸入ヨシズにどんどん押されて売れなくなっている。行政やボランティアでこれをやろうとしたって、3,000ヘクタールのヨシ原を管理することはまず不可能です。
 そこで、私たちが考えたのは、上流と下流を結びつることです。それも一次産業と公共事業を、アサザプロジェクトと同じように連携させていけばどうだと。何も日よけだけにヨシズを使う必要はない。上流では土が流れて裸地になっていますから、土が流れないようにするために、色々な仕掛けをしているわけです。
 その土を押さえるために、緑化用のヨシズを考えてみたらどうかと提案しています。今林野庁のほうで実験的に私たちと始めていますけれども、そうすれば、粗雑なヨシズでもいいですから、大量にヨシの需要が生まれる。
 さらに上流側で、元々あった森を戻していく作業をしていかないといけませんが、そのために、かろうじて残っている周りの林からドングリをとって、下流の小学校に送って育ててもらう。育った苗木を上流の小学校やNPOに送ってもらう。この上流下流の交流を生み出しながら、事業を進めていくという考え方です。
 これも小学生が先導役なのです。まず下流の小学生がヨシ組合の人たちとヨシ原に入ってヨシを刈り、学校に運びます。そこで、秋から冬、春にかけてせっせとヨシズを編む。総合学習でやるわけです。
 ヨシ組合の人たちから昔の谷中村の話、足尾鉱毒事件の話などを聞きながらヨシズを編んでいく。編み上がったヨシズは上流の小学校やNPOに送ります。このようにして、裸地になってしまった場所に木を植えるときに、土を押さえるために使われていく。
 こんな活動の流れを、今つくり上げています。ヨシズにするだけでは生産量が足りないので、ヨシのばら撒きもやってみようと、今色々なことをやっています。
 さらに年間を通してヨシ組合の人たちが働けるようにと、青いうちのヨシを刈り取って堆肥にして、その堆肥をこういう裸地のところに植林をするときに使うのですが、植生土嚢に使っていくということも、今進めています。
 このようにして上流の足尾鉱山の関係の人たちと、下流の旧谷中村の人たちと、公害事件で引き裂かれた人たちが、100年ぶりにこの再生事業で結びついて事業を進めていく。
 100年後に、トキが普通にいる環境、この辺にも来るかもしれませんよね。1000年後にはかっぱが生息するという予定です(笑)。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION