■質疑応答
学生―最初の出版物はどういうものでしたか。
松本―最初に印刷されたのは、小倉市の市報に載った納税促進漫画でした。「さあ、税金を納めよう」と呼びかけるもので、小学生のときに描いたのですが、それで今でも税金を納め続けています。
最初に雑誌に掲載されたのは、高校1年生(15歳)の時で、「ミツバチの冒険」という作品でした。その1年前には、「冒険記」という「キャプテン・ハーロック」の原型になる物語を描いていて、これを本に綴じて100万円の値段をつけて人に見せていたのですが、後に出版されましたので、14歳から漫画家のキャリアが始まったことになります。正確には15歳ですね。
ちなみにハーロックというのは、意味もどこの国の言葉かも知りませんでしたが、中学生のときに自分で歩きながら「ハー、ロック、ハー、ロック」と調子を取っていた言葉です。それが後日、ハーロックの名前になったのです。
学生―ダクトパンクのアニメーションにはどこまで関わったのですか。
松本―キャラクターデザインはすべて自分でやりました。ダクトパンクのほうから、こういうキャラクターでやってほしいという希望があったので、それに合わせて考えました。ダクトパンクは2人のチームですが、キャラクターは4、5人になっています。CGチームにキャラクターを渡して、現場で動かして、色を確かめ、モニターの種類によって色が異なるのも確かめながら、オペレーターに指示をして作りました。ストーリーも、ダクトパンクからの要請を受けて、こちらで細かいところを作り上げました。今はそれぞれのキャラクターの物語を展開しているところです。まだ終わりまで作っていません。
学生―メーテルは存在すると思いますか。私は存在すると信じていますが、どうすればメーテルに会えるでしょうか。
松本―あの列車やメーテルは青春の夢ですから、100人いれば100人のメーテルが必ずいます。彼女は、若い日の私に向かって、「私は決してあなたを裏切らない。代わりにあなたも私を裏切らないと約束しなさい」と命じました。だから私も裏切らない。あなたのメーテルは、あなたのためだけに存在しています。そのメーテルは決してあなたを裏切りません。
学生―おもしろくて若者に勇気を与える話をありがとうございました。最初の方でガールフレンドの話も出てきましたが、ご自分の恋愛体験を作品に活かすことはありますか。
松本―メーテルというキャラクターは、私が東京に出てくるときに生まれました。当時はまだ汽車で26時間かかっていました。「999」そのままの汽車に乗って故郷から出てきたのです。700円しか持っていませんでしたが、仕事がありましたから恐くはありません。孤独かというとそういうことはなく、血湧き肉踊って眠れませんでした。夜通し窓の外を眺めていると、まるで宇宙を飛んでいるような感じになるときがあります。そして反対側の席を見ると、誰も座っていませんでしたが、そこにメーテルのような美しい人が黙って前を向いて座っている姿を想像して、将来そういうヒロインを描こうと心に決めたのです。ですから、自分の幻想が生んだ女性が私と一緒に走り続けて、今も一緒にいるわけです。ただし、最初にメーテルを描いたときは、ピンク色の服を着ていました。黒衣になったのは私が30歳を過ぎてからです。
恋愛体験かどうかといわれると、ふられた経験ならたくさん描きましたが、それ以外はあまりありません。ただし、先ほど触れた昔の写真に出てきた女性を描き続けているのは運命みたいなものだと思いますし、自分にはこの女性を描くようにDNAに刷り込まれていたのだと納得しています。
考えてみると、穴に落ちた女性も含めて、よく似た女性に心惹かれるのです。黒い服を着ていて、髪が長く、すらっとしていて、ピアノが弾けて、成績がよく、怒らせると恐く、やさしいときはとてもやさしい。私の描く女性はみんなそうなのです。そして、恋愛ではありませんが、自分の周りにいる仕事関係の女性も、みんなメーテルやエメラルダスのように、怒らせると恐い女性ばかりです。大変なつわもの揃いですが、なぜかそういう女性に心惹かれます。
学生―先生の作品には魅力的なメカが数々出てきますが、メカのモデルとなったようなものはありますか。
松本―実は私は機械工学部志望でした。経済的な理由で果たせませんでしたが、機械などは小さいころから大変好きでした。昭和40年代初頭に出た日本初の四輪駆動車、ハーレーダビッドソンやインディアンといったアメリカのオートバイ、「くろがね」という名前の日本のオートバイ、そういうものに子どものときから触れる機会がありました。また、父親がパイロットでしたから、戦闘機や本当に巨大なエンジンのそばで、その温かみを感じ、構造を見て育ちました。図面も家にたくさんありました。だから、子どものころから機械構造物に対する強い憧れがあったのです。
ところで、私には弟がいます。先ごろ長崎の造船所で建造中の船が火事になりましたが、あの三菱重工技術本部長崎研究所の親玉は私の弟なのです。私が叶えられなかった夢を弟が叶えてくれました。というのも、私が東京に来るとき、お前は必ずこの道を歩いてくれと兄弟で約束をしていたのです。それで私は漫画家になり、弟は無事に機械工学部を卒業して工学博士になりました。受験では早稲田大学の機械工学部にも合格していましたが、東京で暮らすにはお金がかかるので九州大学に行き、奨学金をもらいながら勉強しました。
そういうわけで、私と弟はずっと影のように寄り添いつつ二人三脚でやってきました。私はメカでも宇宙物理でもすべて理屈を考え、数式まで書いて、それを実証しろといって弟に送ります。しばらくすると弟から「あながちウソとは言えない」などと返事が戻ってきて、注意すべき点も書かれています。専門家がウソとは言えないと言うなら、後はどう法螺を吹こうとこっちの勝手です。そんなふうにして、2人でいろいろなパテントにも取り組んでいます。
学生―ダクトパンクの音楽についてはどう思っていますか。
松本―マスクを着けて絶対に素顔を見せないアイデアは、なぜ日本のミュージシャンが先に気付かなかったのか残念に思います。つまり、これが世界最初の着想ですね。キャラクターとして歌うという彼らの発想はすばらしいと思います。私の家に来る時にはもちろん素顔を見せていますが。
学生―先生の漫画は何カ国語に翻訳されていますか。また、最初に翻訳が出ることを知ったときには、どういう感想を持ちましたか。
松本―アメリカ、カナダ、フランス、イタリア、スペイン、ベルギー、ドイツ、中国、韓国、東南アジアなどで出版されています。リオデジャネイロからも取材に来たことがありますから、ブラジルでも出ているのでしょうね。漫画だけではなく、ビデオの吹替版も、英語、フランス語、イタリア語、スウェーデン語などで出ています。ロシアでも海賊版が出ています。
最初に翻訳版が出たのは、「銀河鉄道999」で、中国四川省重慶の人民作家協会による海賊版でした。25年間ぐらい出ていました。13億人という中国の人口を考えると、1人1円でも13億円になる計算ですが、1銭ももらってはいません。
お金ではなく、観てもらうことが嬉しいからです。私たちは、仕事をするときにお金のことは考えていません。大勢の人に観てもらい、記憶してもらえるのが嬉しいのですから、観てもらえるだけで十分なのです。
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