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8月13日(火)
本日のスケジュール・内容
1)JICAフィリピン事務所訪問
2)フィリピン大学医学部訪問
 
1)JICAフィリピン事務所訪問
Mr. Tomoya Yoshida / Mr. Ikuo Takizawa
Assistant Resident Representative, Project Section
 
 JICAフィリピン事務所で保健医療担当の吉田氏の講義を受けた。
 吉田氏は99年の8月よりマニラヘ赴任、今年9月からは米国ワシントンDCにあるUSAIDに出向されるとのことで、3年間の吉田氏のご経験もふまえてお話を聞くことのできた貴重な機会であった。後任の瀧澤氏も同席してくださった。
 JICAはODA(政府開発援助)のうち技術協力と無償資金協力の実施促進についての実施機関であり、多角的な支援を行っている。フィリピンに対する国別援助実施計画は経済向上、格差是正、環境保全、人材確保という4つの柱から成り、保健医療としてはこのうち医療サービスの向上による格差是正に関わっている。保健医療の中では以下の三つに力を入れている。
1. 保健省の行政機能の向上(good governanceという表現をされていた)
2. 地域保健強化 保健所にたずさわる人の能力向上、質の向上
3. 感染症対策 特に結核対策
 具体的には1.では保健行政に関する仕組み作りがあげられる。現在協力を実施している案件としては薬局法作成への協力があげられ、6年越しの計画のちょうど前半終了期にあたったところで、後半は薬局法の法制化を進めていく。2005年12月には省令としてフィリピン薬局法が制定される予定である。また、フィリピン保健省が積極的に進めている医療保険制度確立についても今後日本の経験を活用して協力を開始する予定である。
 2.では1992年の地方自治法により、保健体系のなかで末端組織までが保健省の役人により統括されていたのが州や市町といった自治体に委ねられることになった。このため自治体ごとの格差が生じているのが現状であり、この問題を解決しようと保健所レベルでの保健医療サービスの向上および均一化のための協力をしている。
 3.に関しては特に結核対策の分野でカナダやアメリカ、スペインとも連携をしながら協力している。1992年から日本の協力で結核対策に関する協力を行っており、とりわけDOTSの普及を最大の目的にしている。最初の5年間では、セブ州を中心にこの国に適したやり方を模索し、保健省、WHOと協力して国家プログラム作成を行った。1997年からセブの経験を基に作成した国家プログラムを全国的に実施することを目的に、他のドナーと地域分担をしてDOTSの普及を行った。5ヶ年計画が今年終了し、2002年からはDOTSの質の向上を目的とした活動を行う計画である。
 明日以降訪れるTarlac ProvinceはRegion IIIに属し、1992年より1997年まで家族計画母子保健プロジェクトが開始された。主な目的は家族計画の推進と母子保健の向上を通じた地域保健の向上である。Rural Health Unitの質を高めるよう指導を行ったそうだ。なお、Rural Health Unitというのは医師のいる末端の機関であり、その下にBarangay Health Stationという一人の助産師や保健師が簡単な医療をする機関がある。97年からの5ヶ年で他の6州にもこのプロジェクトを広める活動を行った。2001年からはさらに成果を広めるべくLUZNNETという地元のNGOに委託して活動を継続しているという。
 このあと詳しい説明が用意されていたようであったが、概略を伺ったところで学生側から多くの質問が飛び交い、その一つ一つに丁寧に回答をいただいたために時間がなくなってしまった。とはいえ、行政側としてのプロジェクトの組み方に対する問題から二国間支援の中で国の違いをふまえながらどのようにノウハウを提供していくかという問題、具体的な方法論からその成果の評価法に至るまで幅広い角度からの質問があったため、概略を更に頭の中でイメージするのに役立った他、明日からのプロジェクト見学に際しての心構えをすることができた。個人的には以下のお話が印象に残った。
あくまでもJICAの中で保健医療はその一部であるということ(自分が医学生であるからか医療にだけ強く関わっているような先入観を持っていた)
これも当たり前であるが二国間協力であるために「日本として何ができるか」ということがよく考えられているということ
要請主義ということで自助努力を支援しているということ
WHOに比べ相当予算があるので、戦略だけでなくかなり実践にまで関われること
(担当:馬場 幸子)
 
JICAにて
 
2)フィリピン大学(University of the Philippines Manila:UP)医学部訪問
 大学の中に入ると、十数人の医学生の笑顔に迎えられた。まずビデオで大学の歴史や内容の説明を受け、その後大学内を案内してもらった。
 フィリピンの修学システムは、小学校6年の後高校4年が義務教育であり、医者になる場合は高校の後、一般科大学(Undergraduate)に4年間通い、医学大学に入学する。Undergraduateでは、生物、科学、心理学などを勉強する人が多いということだ。医学部では4年間のregular medical studyと1年間のclinical internshipを経て医師免許を取得することになる。つまり、正規では大学は全部で9年かかる。しかし、優秀な人は卒業後すぐに医学部に入るコースもある。この場合は2年間の一般教養を勉強するpre-medical course、3年目から他の大学を出た場合と同様の医学教育を受けるということになる。私たちを案内してくれた人たちには「大学は7年だよ」という人が多く、優秀な人が多かったのだろう。
 初めに案内されたのは解剖室だった。医学部2年生160人が実習をするということだったが、約30体の検体が並び資料等もかなり充実していたように思う。CTやMRIなどの画像診断機材があまりないフィリピンでは、体表から臓器の位置を把握したりする上でもこの解剖は重要なのだろうと思われる。フィリピン大学には一昨年から脳神経科が独立したということで、MRIとCTが導入されたようだが、数も少なく他の分野では主流な検査にはならないだろう。そのかわり、患者の主訴の背景や随伴症状、社会的、精神的状況などをしっかり見ていくなど、よりプライマリーな医療の方に重点が置かれているようだ。高等、高額な医療は、私立の病院ができる。コストを押さえ、低所得者でも受けられる医療が求められている場所なのだということを知った。
 次に外来を案内してもらった。ここの病院には140のクリニックがあり、毎日およそ1,900人の患者に医療サービスを行っているということだ。この外来は日本の援助を受けて設立したのだそうだ。その話がまとまったのは1987年9月で、開設されたのはわずか15年前、1989年のことである。
 これらに対し、チャペルでの礼拝は、1947年から既に始まっている。フィリピンの人々とキリスト教との密接さを改めて感じた。この設立の資金はイエズス会からでているそうだ。このチャペルは、毎日3度のミサやカウンセリングはもちろんだが、患者の医療、医薬品に対する寄付を募る場でもある。病院自体の資金も十分でなく、また患者も裕福でない場合、むしろそういう場合がほとんどなのであろうが、寄付は非常に重要だ。その上でも、チャペルは大切な役割を担っている。
 小児科の病棟も案内してもらったが、設備の足らなさを痛感した。例えば保育器がなくて、卓上灯のようなもので光を当ててあたためられている新生児も何人もいた。
 部屋の隅に小さな新生児が保育器の中にいるのを見つけた。3人のビジネスマンの寄付によるものらしい。この保育器の場合、医師が寄付を募って回ったのだそうだ。他の担当患者の医療器具に関しても同様に寄付を募って回るのだと、先生が説明をしてくださった。医師にはそんな仕事もあるのかと驚かされた。しかし、小児科はまだお金持ちのチャリティー精神を動かしやすいらしく、一般内科などはもっと資金面で苦労しているらしい。それでもここでの医療は多くのチャリティーや単発的なfundにかなり頼らざるを得ない。
 ICUといわれる部屋では所狭しとベッドが並べられ、ほとんどただ寝ているだけの患者もいたが、彼等の多くはこれからの手術を待っているのだそうだ。救急車で運ばれてきても手術室が開かず、1週間も待たされることもあるらしい。システムや設備の不備は否定できない。
 しかし、そうやって病院が汚かったり設備が整っていなかったりするのだが、医者は優秀なんだよ、とも教えてもらった。確かにこの環境で良い医療を提供するためには、画像や機械に頼るわけにもいかず、優秀になるのも当然だ。また、病院にはアメリカで勉強して帰ってきた医者が多い。UPの医学生の5〜6割(9割以上という話も)は卒業後、アメリカに行くそうだ。もちろん、米国医師免許や英語という壁がないためにアメリカの門が大きく開かれていることも大きく寄与している。しかし、こうやって多くの卒業生が米国に出て行ってしまうので、人員としては少ない。「今のフィリピンの医療をよくしていかなくてはならないのに・・・」と言っていた学生もいた。しかし、それでも移植手術や脳神経科など高度な技術を少しずつ発展させ、また、医療機器の不足のなかで工夫が見られたりしている。資金面でのハードルも高く、決して楽観視できるわけではないのだが、彼等の向上心、問題意識の高さは今後の発展に大きく寄与するだろうと思われた。
 今回の訪問は時間が少なく、それが残念だった。同世代であるUPの学生が、今何を感じ、どのように考えているのか、もっと話をできればと、心残りだった。
 
UPの学生たちと
 
フィリピンで経験した大雨
 この日は学生主催の懇親会をする予定だった。延期が決まったのは、当日の昼過ぎ。この日は朝から雨が降っていた。台風が来ているという噂もあった。それにしても、たくさんのお忙しい方々を招待しているのに、雨のため懇親会を明日にしますなど、日本では考えられないと思った。が、その判断が正しかったことがやがて分かった。幸い台風ではなかったようだが、初めて体験した大雨だった。雨は次第に強くなり、スコールのような雨が降り続いた。やみそうにない。
 バスの窓から外を眺めながら、Smoky Mountainの子供たちを思った。ただでさえ壊れそうな粗末な家。こんなにも激しい雨であの子たちのことが心配だった。
 バスはジャブジャブと水しぶきを上げならUPに向かっていた。少し低地になったのだろうか、ある角を曲がり、目を見張った。目の前の道路が完全に川になっていたのだ。車がタイヤの半分以上を泥水に浸したまま、その川の中を進んでいた。思いもよらないハプニングに、バスの中は興奮した。ふとバスの乗車口辺りを見ると、水が入り込んでいる。それなりに高い床のはずなのに。
 ところが、そんな大洪水の中で、子供たちが楽しそうに遊んでいたのだ。水はもう腰の辺りまである。汚く濁った雨水なのに、周りにあったごみや汚れが全部グチャグチャになっているというのに、子供たちは屈託なく大はしゃぎしている。これでは病気が蔓延して当然だ。確かにこの雨は多い。しかし、初めてのことではないだろう。対策ができていないのだ。いつも雨が降るところなのに、こんなにも排水の整備が悪いなんて・・・と、フィリピンの貧困の一面をまた一つ見た気がした。
 そう思いながらも、大はしゃぎで水遊びしている子供たちに思わず微笑んでしまう。確かに不衛生だけれど、そんな中で楽しんでしまう子供の無邪気というのは、たくましくもある。複雑な心境だった。
 やがて大通りに出ると水位はかなり下がったが、バスの端から煙が上がり、特に何もないようだったが後になって冷房が壊れたことがわかった。道路は大渋滞で車はいっこうに進まない。懇親会どころではないと実感したのだった。
(担当:井上 知子)
 
マニラの洪水
 
8月13日 今日のひとこと
伊藤:レセプションは延期。うれしいような、うれしいような。
安藤:道路で泳ぐ子供を初めて見た。フィリピン大学の合唱サークルに感動・・・。
大森:フィリピン大学はRonnyと一緒に歩いたところ。ありがとう。
千田:したいけれど、できない?できるけれど、したくない?
瀧村:台風による大雨で道路は川となりました。気象条件の違いを実感。懇親会はきっとメンバーの中に芸達者がいます。無芸なあなたは別の形でグループに貢献を。
長崎:日本の説明がもっとうまくできるといいのに、ともどかしかった。
江崎:興味を持っていたプロジェクト評価というトピックについて、二国間援助の現場で働いていらっしゃるお二人に伺うことができてよかった。UPの学生のホスピタリティに感激!!
河合:腰上までの洪水には驚いた。まず治水整備が必要なのでは・・・?
馬場:洪水初体験!
井上:UPの学生たちともっともっと話したかったな。
斎藤:JICAでいい話が聞けたなーーー。すげーー雨だなーーーっておい!川になっちゃったよ。UPの女の子は若くてかわいいなーー。
須貝:JICAの吉田さんと瀧澤さんは、謙虚で、温かみのある魅力的な方だった。
高田:日々、ツアーメンバーとの距離が縮まるように感じて嬉しい。夜の語りが面白かった。
鳥羽:雨。雨。雨。大丈夫なの?このバス?煙が出てきてるよ〜。







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