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 それでも、7日“宗谷”は“バートンアイランド”と会合し、協力を得て再び氷海に向かい、本観測をなんとか成功させるため懸命の努力を重ねます。
 2月10〜12日、天候回復のわずかな時間を狙って、ビーバー機により西堀越冬隊長以下11名の第1次越冬隊及び犬7頭の収容と第2次越冬隊3名を送りますが、その後の気象状況は更に悪化していきます。14日2次隊の3名と犬3頭を再び収容、悪天候のため資材20トンを氷上に置いたまま外洋へと脱出しました。
 その後も、第2次越冬隊を7名にまで縮小してビーバー機による空輸の可能性を捨てずに天候の回復を待ちましたが、24日ついに越冬計画を断念、「タロ」「ジロ」を含むカラフト犬15頭をやむなく南極に残してこの地を去ることとなりました。
 苦しい決断をした松本船長はその時、「ただ今より、本船(ほんせん)は帰路につく。長期にわたってよく目的達成のために続けられた全員の努力に謝す(しゃす)。自然の猛威(もうい)に妨げられ(さまたげられ)本観測としての最少の希望をも果たし得なかったのは誠に残念であるが、全員141名は無事本船にあり。乗組員一同は一層注意と努力を傾けて残された海上輸送の万全を期せ」と訓示しました。
 このとき、日本国内では南極観測に失敗したことより犬を南極に置き去りにしてきたことに多くの批判が集まりました。しかし“宗谷”も観測隊員も最後の最後まで、危険を顧みず(かえりみず)に犬たちの救出に努め、必ず第2次越冬隊を成立させようと必死の努力を重ねたのです。
 傷つき、疲れ果てた“宗谷”は、翼の折れたスクリュー・プロペラをいたわりながら、4月28日故国日本に帰りつきました。
 本観測の失敗で、南極の厳しさと“宗谷”の限界を思い知らされた海上保安庁は、それまでの方針を大きく転換し、基地に接近できない場合でも大型ヘリコプターを搭載して航空輸送で業務を遂行(すいこう)できるように、“宗谷”を大改造することとしました。
 搭載するヘリコプターの機種はシコルスキーS58型×2機、本機は1トン以上ものペイロード(積載力(せきさいりょく))を誇る力自慢の大型ヘリコプターで、他国の南極観測船でもこれだけ大型のヘリコプターを搭載し運用する例は当時ありませんでした。そこで、解決策として大型のヘリコプター甲板を従来のヘリ甲板の上に増設し、格納庫も小さすぎるので撤去することとしました。
 こうして大改造された“宗谷”は、三度(みたび)南極に挑戦するため、昭和33年(1958)11月12日、松本船長以下92名の乗組員と永田隊長以下37名の観測隊員、初の外国人オブザーバーD.J.メロイ氏を乗せて東京日の出桟橋を出港しました。
 大型ヘリコプターによる航空輸送作戦は見事に功を奏し、昭和34年(1959)1月14日より2月3日までの20日間に58便の輸送を行い、村山雅美(むらやままさよし)越冬隊長以下14名の越冬隊員及び資材57トンの空輸に成功したのです。
 
越冬隊員収容に飛び立とうとするビーバー機
 
村山隊長(右から2番目)以下7名に縮小し、最後の望みをかける幻の第2次越冬隊
 
第3次観測以後、航空輸送に活躍したシコルスキーS58型ヘリコプター
 
 この第3次南極観測で、閉鎖されている昭和基地をはじめてヘリコプターで訪れた時のことです、隊員達は目を疑いました。昨年、やむなく残してきたカラフト犬の「タロ」と「ジロ」が生きていたのです。「タロ」と「ジロ」を含む15頭のカラフト犬は1本のロープにつながれて南極に取り残されました。そして、「タロ」と「ジロ」だけが厳しい南極の冬に耐えて生きぬいたのでした。“宗谷”は、観測並びに輸送業務を無事終えて、昭和34年(1959)4月13日に東京に帰ってきました。
 今回のヘリコプターによる空輸の成功から、第4次改造工事は航空輸送作戦をより円滑に実施できることを目標とし、航海船橋の後部に航空指令室を増設し、後部マスト中段にヘリコプターの吊り上げを容易にする枠型クレーンを新設しました。
 第4次南極観測は、船長が航空輸送に詳しい明田末一郎(あけたすえいちろう)船長に交代し、昭和34年(1959)10月31日船長以下94名の乗組員と立見辰雄(たつみたつお)隊長以下36名の観測隊員を乗せて東京を出発しました。ヘリコプターによる輸送実績は合計103便126トンにも達し、雪上車による輸送28トンを含めると総計154トンにもなって、第3次に比べ実に3倍の輸送量に達したのです。加えて、鳥居鉄也(とりいてつや)越冬隊長以下15名の越冬隊員を残し帰路につきました。
 大成功を収めた帰途、“宗谷”は、いまだアメリカ軍の占領下となっている沖縄(おきなわ)に招かれて寄港しました。昭和35年(1960)4月16日、大歓迎の中を那覇(なは)に入港、“宗谷”の乗組員及び観測隊員を通して唯一の沖縄出身者「ヒゲのボースン」の愛称で親しまれた嘉保博道(かほひろみち)甲板長は、特にもみくちゃになるほどの歓迎を受けたのです。
 
南極観測に東京日の出桟橋を出港する“宗谷”
 
大型ヘリコプターによる昭和基地への航空輸送
 
第4次観測の立見隊長(左)、明田船長(中)、鳥居副隊長(右)







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