日本財団 図書館


 それではストランディングを発見したら、どうしましょうかという話に入りたいと思います。ストランディングを見つけて救助をしようという気運は、最近非常に高まっていますが、それでは実際に何ができるかという点については、私はかなり悲観的な話しかできません。実際に救護しようと思ってできることは、おそらくこの4つです。
 生きているうちにとにかく海に放り込んで沖に帰しましょう。いまはこれがほとんどすべてです。ほとんどすべてですし、これしかできないのが現状ですが、海に戻せば本当に鯨を助けたのかという点については、かなり疑問があります。その鯨が本当に生存しているのかどうかということに対する調査がなされていないからです。
 2番目として、もう少し生存率を上げようというので、現場で治療してから海に戻す。これはたまたま現場に駆けつけた人々が水族館の人たちなどですと、いまの水族館は獣医さんがいるところが多いですから、少しでも治療して海に戻そうということが行われていますが、駆けつけた人々が鯨のことを知らなければ、いったい鯨にどんな治療をしていいのか、町の獣医さんでもわかりません。そのへんの知識の普及というのが課題と言えます。
 3番目、ちゃんと病院に収容して手当てをしましょうということです。ここで言う病院というのは、日本では水族館しかありません。鯨の飼育設備と技術を持っているのはここしかないからです。ところが水族館というのは常にそういうことに備えて施設の余裕を持たせているわけではないですから、水族館の人たち自体はできれば救助したいという気持ちは非常に強いのですが、実際には非常に困難です。病気の鯨が転がり込んでくれば、そいつらを助けるために24時間体制で鯨の面倒をみなければならなくなります。水族館で飼っている鯨に病気を移される危険もあります。しかも手当てをしても、収容した鯨の生存率は低いという結果が出ています。
 4番目は、これが理想です。水族館で手当てをして、元気を回復したら海に戻してやりましょう。ここまでやると野生動物の救護活動としても完結するのですが、残念ながら日本国内ではこの実績は1つもありません。海外でもそれほど多くないと思います。
 救助法というのは話し出すとものすごく長くなってしまうのですが、専門家でなくて、いまお話を聞いている皆さんが海岸を散歩していたらイルカが転がってバタバタしていた。どうすればいいのかというときに、とにかくこれだけはやらないと助からないというのを簡単にまとめてみました。
 まず最初に、1人では何もできないので、人を集めましょう。イルカというのは頭の中で想像しているとかわいらしくて小さい動物に見えますが、一番小さいイルカでも40キロ以上あります。しかも持つところがありません。ぐにゃぐにゃしています。それを1人で抱えて海に戻すというのは至難の業です。たいがいのイルカは何百キロも重さがあります。人が引いても動かない場合がほとんどです。ですから、まずとにかく人を集める。応援を求めるということです。あとからも出てきますが、一番手っ取り早いのは、警察、消防、あと市町村役場です。最近は先ほどの水産庁の指導もあって、けっこうみんな真剣にやってくれます。現場がサーフィンのポイントであれば、サーファーたちはわらわらと集まってきます。
 助けるにも正しい知識がいるわけで、何よりもやらなければいけないのは、鯨の体を常に濡らすということです。鯨は水の中の生き物ですから、皮膚が乾燥してしまうとやけどを起こして死んでしまいます。あと体の体温が上がりすぎるという欠点もあります。常に鯨の体を濡らして冷やしてやらなければいけない。水をかけるか、あるいはこれは水族館が救助して海に放したスナメリですが、このようにタオルをかけて、なければ新聞紙でもいいんです。あるいは海岸の海草でもかまわない。そういうものを体にかぶせてやって、上から水をかけてやると、皮膚の乾燥が防げます。
 3番目は噴気口の保持です。噴気口というのは、ご存じ頭の上の鼻の穴です。鼻の穴をきっちり保持する。鼻の穴までタオルで覆ってしまっては、窒息して死んでしまいます。水をかけるときにも、鼻の穴がふさがったときにかけなければいけません。鼻の穴を確保してやる。保持というのは、そのほかにも鯨が横倒しになっていて砂をかぶっているような状態のときには、鯨を正しい姿勢にして、噴気口の周りの汚れを取ってやる必要があります。砂を吸い込んだりしますと、あとから肺炎を起こします。
 そして正しい姿勢で鯨を保持して、体を濡らしてやる。いよいよ人も集まってきたというと、それでは海に戻そうかという話になるわけですが、ここで正しい牽引という言葉が入っています。特に大型の鯨、あるいはイルカになりますと、どうやって海に帰そうかというと、一番よくやるのが、尾びれにロープを縛って船で引きました、あるいはブルドーザーで引きましたというのがあるのですが、実はやってはいけないことです。
 鯨というのは体の構造が前に進むようにできていますから、尻尾を引っ張られて砂地や海に引きずりますと、非常に体に負担が大きい。ましてや海の上でそれをやりますと、呼吸ができずに溺れてしまう可能性もあります。ロープを引っ掛けるのに一番いい場所なので、ついやってしまうのですが、鯨にロープをかけるのでしたら、正しいやり方はわきの下にロープをかけて、前側に引っ張ってやらないとだめです。そのロープも、血管を傷めませんから、できればベルトのような幅広い平打ちのものがいい。
 さらに鯨を運ぶときに、胸びれを持たない。胸びれというのは、人間で言うところの手にあたります。何百キロの体に小さな胸びれがついているだけです。そこを持って鯨を運ぼうとすると、骨折します。ですから胸びれを持って鯨を引きずってはいけない。一番いいのは、鯨のお腹の下にシートや丈夫なタオルなどを敷いて、それを担架代わりにしてみんなで運んでいくのが一番いいんです。そのように正しい牽引をしないと、せっかく助けた鯨があとで海の底に沈んでしまうという結果になります。
 それから施設保護の依頼、これは先ほど言った水族館の話です。近所に水族館があるのでしたら、まずここに一報入れましょう。そうすれば専門家が駆けつけてくれる場合もあります。水族館が忙しがしすぎると断られる場合もあります。だけれども助けてくれるとすれば、ここが一番頼りになることは間違いありません。うまく行けばこのように自分たちのプールに動物を搬入して手当てをしてくれます。これは残念ながら死んでしまいました。
 これが施設収容の典型的な例で、こちらは水族館が現場に駆けつけて、そのまま沖まで連れていって放してくれたという事例の写真です。手当ての方法としてこういうやり方があるということを頭の中に入れておくと、もしかしたら役に立つときが来るかもしれません。
 助けるためにしなければいけないことがある以上、してはいけないこともあります。してはいけないことを四つ挙げました。まず一つは、無理な救助を絶対にしない。これは誰にとって無理かというと、人間にとって無理という意味です。最近、動物愛護、動物福祉の考え方も広がり、また鯨に対する関心も高まってきたおかげで、鯨がストランディングした、まだ生きているというと、たくさんの人たちが集まってきて、どうしても鯨を助けてやろうとします。その気持ちは非常にいいのですが、その結果どうなるかというと、熱狂的になってしまって、みんな荒れ狂う海の中にドボン、ドボンと飛び込んでいったり、あるいは鯨を抱えたまま沖へどんどん泳いでいって、自分が戻れなくなってしまうかもしれないということも起きるわけです。
 私はこれを熱狂的救助症侯群と勝手に名前をつけていますが、これは以外と多いんです。幸いなことにまだ事故は起きていませんが、もし鯨を救助することで死人が出た場合、いったい誰が責任を取るのか。そしてせっかく鯨を救助するために何かできないかと思っている人たちの気持ちにも水をさしてしまうことになります。ですからもちろん救助するのはいいのですが、救助するために事故を起こしてはいけないということをまず最初に考える。助けられない状況、海況や天候が悪い場合はあきらめることが大事です。
 2番目、これも無理な救助の1つですが、特に大型の鯨に尻尾から近づいて、その鯨が暴れていた場合、これはかなり致命的です。尾びれでひっぱたかれれば、人間は簡単に死んでしまうくらい、彼らの力は強いんです。
 3番目は、とにかく余計な人間は鯨に触るなという事です。鯨にとにかく触っていれば、この鯨は助かるのではないかと信じている人たちがわらわらと来ますと、もしかしたら鯨にひっぱたかれて死人が出るかもしれないし、鯨のほうが静かに死んでいきたいと思っていたら、周りが騒がしいのでもっと早く死んでしまうかもしれない。鯨にとっては人間に触られても、野生動物ですからストレスになるだけです。
 そして4番目は呼気を浴びないということがあります。これは先の3つとはニュアンスが違います。ストランディングした鯨は病気だという考えでいてほしいということです。ですから私としては、素手で触ることすらやめたほうがいいのではないかと言いたいくらいですが、普段、手袋を持ち歩いている人はいませんから、それはなかなか言えないのですが、鯨の吐いた息をまともに顔に浴びるようなことをしますと、もし重度の肺炎だった場合、あるいはウイルスの感染症の場合もあるのですが、人間にうつらないとは言えないわけです。
 うつる可能性が高い。ですから病気の動物を触っているという頭を常に持っていなければ、正しい救助とは言えないということです。あとからもお話ししますが、以外とストランディングする鯨には人畜共通の病原体を持ったやつもいるわけです。そのことは頭の中に入れておかなければなりません。
 さて話を戻してしまいますが、そもそも鯨は助けるべきなのか否かという議論があります。1つには、どうせ死んでしまうではないかという考え方があります。さらにもう1つは、専門的な知識を持った人間に多いのですが、その鯨を1頭助けたところで何になるのかという考え方もあるわけです。後者のほうの考えは、野生動物救護という現場から考えると、常につきまとう問題でもあります。
 いま北海道などが特にそうですが、野生動物を救護して、リハビリして自然界へ戻そうという考え方、あるいはそういう運動をされている方がたくさんいます。ところがそもそも救護が必要な野生動物、傷病鳥獣と普通は言うのですが、傷病鳥獣というのは自然界では淘汰される生き物だろう。自然界の中でけがをしたもの、あるいは鯨で言えばストランディングしたものは、本来ならば人間が手を出さなければ死んでいた動物だった。自然界で自然に淘汰される生き物をあえて助けることに意味があるのかというような考え方は、決して間違ってはいません。少なくとも種の保存という意味から言えば、1頭、2頭の鯨、あるいは陸上の動物でも、助けて大変な手間をかけて自然界へ戻すことに何の意味がないと言っても間違いではありません。
 これが絶滅の危機に瀕する希少種であるというのならば話は別です。たとえば、世界で10羽しかいないトキがいたとして、その1羽がけがをして道路に転がっていたとしたら、これを助けることは種の保存において非常な意味があります。しかしドバト、あるいはカラスがけがをして落ちていました。これを手間隙かけて保護をして、治療して自然界へ返すことに、はたしてどれほどの意味があるのかという話になってきます。
 鯨に関しても同じです。日本の近海で明らかに絶滅危倶種と言われているのは、ほんの数種類しかいません。しかもほとんど大型の鯨類ですから、そもそも漂着したら助からないのですが、そのような状況で鯨を大変な努力を使って助けることに意味があるのかという意見は常に存在して、それは否定することはできないわけです。
 しかしすべての野生動物の傷病鳥獣の保護がそうであるように、生きている鯨を助けるという行為がすなわち大事なのだ、考え方が大事なのだ。それは生き物を大切にするという気持ち、それからもう1つは、生き物を助けるという動物愛護の考え方です。さらには海にはこんな生き物がいるということを人々、あるいは子どもたちに教えてやるという意味で非常な意義があるのだろう。私はそのように解釈しています。
 そこまで話したうえで、マッコウクジラ、これは2000年の大須賀町ですが、大変な騒ぎになりました。たしか4月6日だったと思います。そして同じくマッコウクジラ、これは今年の1月のマスストランディングです。このような状況が起きたときに、誰が救助を指揮するのかということを予め決めておく必要があるのだろうと思います。いろいろな意見があります。鯨を助けるには、鯨の専門家が指揮を執らなければだめだろうという意見もあります。あるいは鯨を助けようというボランティアの中からリーダーを出せばいいだろうという考え方もあります。
 しかし、これは私の個人的な考えですが、リーダーは行政がやるべきだと思っています。理由はいくつかあります。すなわちギャラリーの多さ、ボランティアと言ってもいいのですが、大変な数の人が集まってきます。これらの人々はほとんどが何かしら手伝いたいと思って集まってくるのです。これらの人々をまとめて、あるいは整理をして、しかも安全の確保までしなければいけない。さらにこれらの人々を指揮して、役割を分担してやらなければいけない。
 もっと重要なことは、これだけの機械を動かしているわけです。1頭の鯨を助けるのに、町は884万円使ったそうです。15頭の鯨を始末するのに、町は6,230万円使いました。これは報道から拾った数字ですが、どこから出るのかというと、みんな税金です。税金を使って鯨を助けている。町民の中から、こんなことに税金を使うなという文句が出たかどうかは知らないのですが、少なくとも多額の税金、町にとっては安からぬ数字だと思いますが、これだけの税金を使って、これだけの人々の安全を確保しながら鯨を救助するというのは行政の責任だと思います。税金を使うか、使わないかを決めるのも、やはり行政の判断でしょう。
 そのうえで鯨の救助方法や何やらに関して専門家が助言をすればいい。行政がトップになって、専門家を招集して鯨の救助に関してものごとを決めるべきだというのが私の考えです。実はこの例に関しては、それはけっこううまく機能した例でもあります。ですから特に大物を救助するときには、おれが、おれがと上に立ちたがる人もいるかもしれませんが、ここは町の意見を聞いたほうがいいだろうと思っています。
 さて、先ほど大型の動物は生存率が低いという話をしました。データベースで調べた限り、大小を問わず鯨が座礁した場合、生きたまま漂着した場合、放置しておくと少なくとも日本では48時間以上生きた事例はありません。すなわち48時間、2日間が生存のタイムリミットだと私は考えています。
 それでは海に戻した鯨はどれほど生きているのだろうか。先ほど追跡調査はされていませんという話をしました。でもある程度推測することはできます。どうやって推測するのか。これは水族館に保護収容されて手当てを受けた鯨がどれだけ長生きしたかというグラフです。かなり楽天的というか、わからないものに関しては生きているという判断でデータを処理したので、生存率は実際にはこれよりも低いと思いますが、48時間放置していれば死んだであろう動物を保護して、48時間以上生存した割合は50%を切っています。
 言い方を換えれば、海に戻した個体もおそらく半分は生きていないだろうという考え方ができるわけです。さらに3日、1週間、1ヵ月と伸ばしていくと、10%くらいの数字になってしまいます。ですから海に鯨を戻すという行為が、はたしてどれほど生存率を高めているかというのは疑問だというのはここから来ています。水族館で手厚い手当てをしても長生きする動物は少ないということは頭に入れておかなければならない。それでもなおかつ救助という行為は、先ほども言ったように、動物愛護という精神からは意味があるだろうとも考えます。
 この数字を見たうえで、先ほどのマッコウクジラの事例に戻るのですが、これも48時間以内に死んだのですが、少なくともこの時点でこの鯨は本当に助かるだろうと考えた人間は、おそらく鯨の研究者の中には1人もいないと思います。この時点で、この鯨はおだぶつだとほとんどの人は考えています。しかし、町は総力を上げて死ぬまで救助活動を続けました。
 これは1つには、集まってきた皆さんたちの熱意があったということと、もう1つは水産庁の行政通達で、生きているものは海に戻しなさいという指示がある。この2つがその要因になったわけです。本来、野生動物の傷病烏獣の保護というのは、必ず選択肢の1つに安楽死というものが入っています。ではなぜこの鯨に安楽死を施さなかったのかというのが私の言いたいところです。なぜか鯨の救助には、安楽死という選択肢が入っていません。助からないとわかっているにもかかわらず、死ぬまで生かしてしまう。
 欧米のストランディングの対応は日本よりもはるかに進んでいて、ネットワーク化されていて、どこかでストランディングが起こると、自動的にこのブロックとこのブロックのボランティアさんはすぐに出動してくださいということで、予め登録されている人たちが集まってきて、やれることをやるというシステムができているところもあります。そんな中でも必ず選択肢の1つに安楽死が入っていますが、残念ながら日本の鯨の救助には、安楽死という言葉は存在しません。もし早い時点でこの鯨を安楽死させていれば、もしかしたら884万円は400万円で済んだかもしれない。大浦町もここまで金を使わずとも済んだかもしれないということが言えます。
 金の話だけしても鯨がかわいそうではないかと思われる方もいるかもしれませんが、こんな状態の鯨を死ぬまで放置しておくことが、はたして人道的なのかという考えもあります。鯨というのは海の中にいる動物ですから、特にこんな大きな鯨が丘に上がってしまうと、自分の体重を自分で支えきれなくなってしまいます。ヒゲクジラの場合が一番ひどいのですが、呼吸すら満足にできなくなってしまいます。そのように苦しんでいる鯨をいつまでも海岸に置いておくことこそ動物福祉に反しているのではないかという考え方が、本来の安楽死の考え方です。
 というわけで、私は安楽死をもう少しまじめに考えましょうと事あるごとに主張しています。ただ、この人たちが安楽死に同意するか、しないかが、おそらく一番のキーポイントだと思います。残念ながら日本では安楽死という言葉は非常にネガティブにとらえられているのが現状ですから、まず安楽死の大事さをもっとたくさんの人々に知ってもらったうえで正しい殺し方をしたほうがいいだろうというのが目下考えるところです。特に日本は銃器の使用がかなり制限されていますので、安楽死についても欧米に比べると選択肢がかなり少なくなっているのは事実です。
 終わりが近くなってきましたが、最近、鯨が漂着すると、「なぜこれを食べないのか。もっと有効に利用すればいいではないか。昔は寄り鯨と言って、漂着した鯨を食べるのは日本の伝統的な文化だった」という意見があります。いまもありますし、これからもあるでしょう。でも私はそれについては反対しています。なぜならば、何度も言いますが、座礁する鯨は病気であると疑うべきであるというのが私の主張です。病気である鯨を食品検査もしないで食べていいとは、とうていいまの世の中言ってはいけないはずですが、なぜかそこの議論がおざなりにされている傾向があるように思います。
 混獲された鯨というのは、ほとんどが健康なものですからそれほど問題はないのですが、漂着した鯨は、たとえばごく数例ですが、豚丹毒菌、これは人畜共通伝染病に指定されています。それからサルモネラ菌、これは実際に北海道で集団食中毒を発生させて、何百人も患者を出しました。それから全身化膿性疾患と書きましたが、たいがいの化膿性の細菌が検出されています。緑膿菌というのも出ました。
 ごく最近ですと、アラスカでイヌイットが死んでいるシロイルカを村へ持って帰ってみんなで分けて食ったら、なんとそれはボツリヌス菌に汚染されていて、かなりの人間が病院送りになりました。これはごく最近の話です。生の肉を食べ慣れているイヌイットですらわからなかったということです。これは食べられると思って食べてしまった。しかしボツリヌス菌だった。
 ましてや日ごろ生の肉などにあまり接する機会のない地域の人々が、「鯨が漂着した。よし、みんなで食べよう」と言って肉を取り出して、食べようと言った人たちだけが病気になるのであれば、それは自分の責任です。でももし公に、「この鯨を食べていいですよ」と言ったら、その肉は間違いなく市場に乗ります。いま私たちは捕獲調査で採った肉を流通させているのでよくわかるのですが、たとえば九州で鯨が漂着して、これを食べてもいいと役所が言ったら、その肉は次の日には北海道の店頭に並んでいるでしょう。それくらい鯨の肉というのは需要がありますから、一気に流通してしまいます。
 言い方を換えれば、安易に漂着した鯨の肉を流通させれば、日本全国で集団食中毒を出す可能性すらあると思います。もし漂着した鯨を利用しようということを公に認めるのであれば、その前に完全な食品衛生の検査システムを確立する必要があるだろうと思っています。
 話がずいぶん長くなりましたが、最後です。このようにストランディングレコード、ストランディングの情報というのは、いろいろな意味で役に立つと私は信じています。鯨を助けるにせよ、埋めるにせよ、死んだ鯨ですら5つの使い道があります。生きている鯨は動物愛護の精神を育むためにも、救助という行為が行われています。このような情報があわましたら、ぜひ私ども日本鯨類研究所に教えてください。入り口に記録用紙を置いておきましたので、興味のある方は持ち帰っていただければと思います。
 また、鯨類研究所だけでなくても、このように国立科学博物館でも情報収集をしています。また、生きている鯨を助けようというときに、北海道の人が東京に電話をしてもあまり役に立たない場合があります。助けようと思う場合は、先ほども言いましたが、市町村役場、警察、消防、あるいは最寄りの水族館、こういうところが最も頼りになると思います。私の話はこれで終わりです。ご清聴ありがとうございました。
司会 貴重なお話をありがとうございました。ストランディングということで、なかなか奥が深い話があるんだなということで感心しましたが、まだ少しお時間もあるようで、石川先生にご質問がある方はいかがでしょうか。お手を挙げてご質問いただければと思います。
質問 先ほど食品衛生上、食うのはまずいだろうというお話がありました。同時に大浦でマッコウを処理したら6,000万円だというお話もあって、やはり金がかかりすぎるのではないかという気がします。あと最後のほうで、食品衛生の管理を確立しないとだめだろうというお話もあって、具体的に食品管理の仕組みのようなものはつくることは可能なのでしようか。
石川 もしつくるとすれば、まったく新たにやらなければいけないのではないかと思います。たとえば畜肉、ウシ、ブタ、トリ、これらの肉は屠畜場法という法律に従って、屠畜場で殺処分され、そこにいる獣医師が畜肉の衛生検査をして、合格したものが流通されるという仕組みがあります。でも鯨というのは日本の歴史上、水産物として扱われてきましたから、そういうシステムを持っていないんです。
 それを言ったら魚もそうですが、鯨をこれから畜肉として食肉市場に、魚ではなく肉屋に流す仕組みに乗せればどうかという考えも出てくるかと思いますが、それを検査する人間が鯨のことを知らなければ話になりません。もちろん細菌検査程度でしたらできるかもしれませんが、ご存じのように鯨の肉の需要は生肉において最もその価値を発揮する。ですから鯨肉を流通させる人々にとっては鮮度が大事というか、とにかく生肉のままいかに消費地に持っていくかという時間との勝負です。それに時間のかかる細菌検査やそういうシステムを持ち込もうとすると、かなり無理があるのではないかと個人的には思っています。
 もちろん別なやり方を探す必要はあると思うのですが、何らかの新しい検査システム、少なくとも鯨の肉を食べるにあたって、これとこれだけはクリアしなければだめだ、それとこれとこれはどこが検査してオーケーしたものでなければだめだとか、そういう新しい流通システムをつくらない限り、けっこう難しいのではないか。いまの畜肉の流通市場では、すぐには取り扱える代物ではないと思います。
司会 ありがとうございました。ほかに何かご質問のある方はいらっしゃいますでしょうか。
質問 ストランディングを起こすのは沿岸性でない鯨だというご説明と、スナメリが沿岸性であるというお話が理解しにくかったのですが。
石川 少し話を端折ったのかもしれません。スナメリは沿岸性の種類で、一番ストランディングの多い種類です。沖合いの種類は、ストランディングをしたときに生きている場合が多いんです。あとマスストランディングを起こす種類に沖合いの種類が多い。全体の数で言えば、沿岸に近いもののほうが死体が上がりやすいですから、そのほうがはるかに数は多いです。ただしストランディングしたときにそれが生きている例は、どういうわけか沖合いの種類のほうが多いということと、マスストランディングを起こす、これも生きて上がるわけですが、この種類は沖合いの種類のほうが多いのです。
司会 ありがとうございました。ほかにご質問のある方はいらっしゃいますでしょうか。ありがとうございました。それでは貴重なお話をいただきました石川先生に、再度拍手をいただきたいと思います。ありがとうございました。
 
平成14年11月17日(日)
於:フローティングパビリオン“羊蹄丸”
 

講師 プロフィール
石川創(いしかわ はじめ)
財団法人日本鯨類研究所 調査部採集調査室室長
1960年生まれ。
日本獣医畜産大学獣医学科修士課程を卒業後、水族館勤務を経て現職。南極海鯨類捕獲調査及び北太平洋鯨類捕獲調査に調査団長として参加。
共著書に「野生動物救護ハンドブック」(文永堂)、「捕鯨資源の接続的利用は可能か」(生物研究社)、編著に「日本沿岸のストランデイングレコード」(日本鯨類研究所)がある。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION