<本当の「SOS」とは>
本日の講演題目は「SOS!危機に瀕する日本商船隊」となっていますが、SOSといわれても私たちの生活にはなにも変化はありません。先にも申し上げたように日本商船隊が外国籍船で占められようと、油は入ってくる、おいしい水産物は入ってくる、好きなビール原料のホップが入ってくるのですから、「SOS」なんて全く思っていません。じつは、この「なんとも思っていない」というのが曲者で、逆説的にいうと、危機なんて瀕してないじゃないかという世論が、もっとも危ないSOS信号だと思っています。
街のスーパーに行けば、何んでも手に入ります。外国製品、ブランド物だって何んでもある。やっていかれたら「それでいいじゃないか」という反論もあるかもしれませんが、表面的にはそれでも済むでしょう。しかし、「本当のSOS」はこれから始まるのです。たとえば現在、問題となっていることに海運界のインフラ問題があります。分かりやすい事例として水先案内制度(パイロット制度)というのをあげてみますと、パイロットさんは遠洋航海船の船長を何年以上もやって、厳しい試験、厳しい身体検査を受けた海のベテランです。港の航路事情に詳しく、大型船の港への出入港、接岸・離岸のさい、不案内の船長さんを助けて船橋に立ち、港での安全航行に努めます。将来、もし日本人船員がいなくなるとしたら、このパイロット後継者がいなくなることになります。どうすればいいか。外国人船員のベテランを持ってくれば、それでOKといえるだろうか。
港湾の安全事業というのもあります。検疫とか、救難業務。船舶検査制度。海技資格や免許を与えるための教育制度など、これらのことに対処するには現在でも1,200人の要員が必要とされています。それらの人たちがいなくなった場合、後継者不在であとに成り手がないとあっては、どうなるのか。
いまでも、かなり「やりくった」(どうにもならん)外国船が日本の港に入ってきています。あるとき、検査に行ったら船橋に港周辺の海図が広げてあったのですが、よく見ると、千葉県のところに「安房国」と記してあったそうです。昔、千葉あたりを安房国といっていたのには間違いありませんが、地理の勉強ではあるまいに、そんな時代遅れもいいところの海図でもって日本にやって来てるんですね。これは極端な事例でしょうが、そんな話が出るくらいに「やりくった」外国船がいまでも日本の港に入って来り、近海を走っているんです。
あのロシア・タンカー“ナホトカ”重油流失事故がそのいい例で、国際規定の船舶検査をぜんぜん受けていない。受けたとしてパスしそうもない老朽船で厳冬の日本海を突っ切ろうとしたのでした。船長もかねて覚悟していたのでしょう、部下の乗組員全員を脱出させたあと、「おれはいい」と一人残って船と運命を共にしています。そのような船員の犠牲のもとに「やりくった」外国船が現在でも走っていることは、ぜひ知っておいていただきたいと思います。
港湾のあり方自体にも問題があります。いま日本の港湾は、地盤沈下といったらいいでしょうか、世界の海運界から相手にされなくなってきています。国土交通省のデータによりますと、貨物取り扱い量で示す「コンテナ取扱ランキング」ベスト10の中に「貿易立国」といわれる日本の港湾はぜんぜん入っておりません。かつては東京港、横浜港、大阪港、神戸港などはベスト10内によく顔を出していました。それが、いまや、まったく国際港としての資格はなくなっているのです。念のため述べますと、現在、東京港は18位、横浜港は21位、神戸港は25位にとどまっています。これも参考までに挙げますと、ベスト10の常連は東南アジアグループが中心で、香港、シンガポール、釜山、高雄、上海といった港となっています。
なぜ、日本の港がこんなふうになってしまったかというと、海運界の話から若干ズレますが、日本では大型船が入れるような水深の深い港をつくってきませんでした。経済成長期にあってバブル経済で浮かれていた当時、「世界貿易の中心は日本」、黙っていても外国船はやって来るサ、と港湾整備を怠っていたのです。そうこうしているうち、船はますます巨大化していきました。これに合わせて香港とかシンガポールあたりでは水深を深くし、荷役設備を最新式とし、事務手続きの電子化を図るなど港湾の近代化に乗り出していたのでした。そして外国船誘致に全力を挙げていたのですから、いざフタを開けてみると旧態依然の日本の港はまるで勝負にならなくなっていたのでした。たいへんショッキングな話ですが、英国の大手海運業者がこんなことをいっています。「日本の港はバングラデシュよりひどい。われわれが日本から去っていくことは自由だ。困るのは日本の荷主であり、海運であり、消費者ではないか」と。にわかに容認できない話ですが、とかく日本の港湾の現状に関しては、このような話に事欠かきません。
みなさんは、誰も訪れない地方の港の岸壁は魚釣り客ばかり、港は「巨大な釣り堀」と化している。そんな記事と写真のことを覚えておられるかもしれません。各地方に港をつくったのはいいが、船はぜんぜん入って来ないためアクビをしているというハナシです。確かな見通しもなく、公共予算をバラまいてつくった行政のツケが、これなのです。
最近、ようやく24時間フル操業とか、土日受け入れ荷役作業もやり、誘致に努めていますが、それも、この2年くらいの話です。お粗末といわざるを得ません。こういうふうに日本の港湾行政には非常に問題があります。いつだったか、私は「歴代の港湾担当者は切腹ものだ」と書いたことがありましたが、どこからも文句を言ってきませんでした。(笑)
<「海の日」はどこへ行ったか>
以上から見るかぎり、港湾事情も含めて日本の海運が一般の理解と支持を得るにはまだ時間がかかると思いますが、そんなふうにモタモタしているうち、世界の海運は前進を続けているわけです。なんとしても日本の海運界には頑張ってもらわなければなりません。
そろそろ時間がまいったようですが、もうひとつ、平成8年からスタートした7月20日の国民の祝日「海の日」について感じていることを申し上げたいと思います。この日は、それまで「海の記念日」と称されていました。そして「海の日」としての祝日化に当たっては海の関係者のたいへんな努力がありました。全国を回って1,038万人からの署名を集め、さらに全国の地方自治体に働きかけた結果、議会による賛同意見書採択は2,276件にものぼりました。これは全国市町村自治体数の約70%にも達するという、かつてない記録となっています。
そんなことでやっとのことで念願の祝日化は実現したのですが、その7月20日という日付の「海の日」も今年(平成14年)で終わってしまいます。休日の3連休化に組み込まれ、これからは暦によって日付が変わってくることになります。もう決まったことなので、ここではどうこう申し上げることは避けますが、このときの海運界の対応について私は大きな不満を持っているところです。
1,000万人を超す署名があったなかで、「20日」という日付をそう簡単に動かしてよかったものか。少なくとも3連休化によって動かされることについて、海運界は賛成なのか、反対なのか、なんらかの態度を表明すべきではなかったかと思っています。このことは海運界の人たちになんども申し上げたことなのですが、そうしないと署名された1,000万人の方々や賛同の意を表された各自治体に対して説明がつかないからです。
そもそも、なぜ「海の記念日」を7月20日と定めたかといいますと、ご存じの方も多いと思いますが、この日は明治天皇が函館から“明治丸”に乗って横浜港に着いた日だったから、ということになっております。それでも横浜港に着いた日がどうして、という疑問がわきますが、これについては裏話があるところです。
昭和16年、当時の帝国海軍が国民の海事思想高揚が狙いで、日露戦争の日本海海戦で大勝利した5月27日を「海の記念日」としたいと言い出しました。これに対して当時、海軍のやることにはなんでも反対の帝国陸軍が、いや3月10日の陸軍記念日に限るなどとイチャモンをつけてきました。収拾がつかないため、知恵のある者が天皇を持ってくればみんな黙るだろうと、もともとは大したいわれもない7月20日を持ち出した。そんなハナシが伝わっています。
そういう因縁話があることから、なにもこの日にこだわる必要はあるまいという意見もありますし、先の各自治体の意見書採択のさいにも「天皇がらみは疑問」といった反対意見を説得して採択に漕ぎつけた自治体が少なからずあったといわれます。
ともかくも、そんな具合にいろんな思い入れのある7月20日を動かそうというのですから、海運界は「反対」「賛成」の意見をはっきりと打ち出し、署名された方々や裏方となってくれた自治体に対して「その節はありがとうございました。今回の件については、このように考えます。御理解ください」と説明すべきでした。お願いするときだけいい顔をして、あとは知らないヨ、では世間が通らないのではないかーー。そんなふうに思っているところです。
余談になりますが、「海の日」と同じように国民の祝日「敬老の日」という日があります。以前は「老人の日」といっていましたが、9月15日のこの日も3連休化によって動くことになりました。ところが海運界と違って、こちらは全国老人クラブ連盟とか連合会といった団体が猛烈な反対運動を展開。たしか橋本首相のときだったと思いますが、官邸まで押しかけて「断固反対」「動かすことは絶対に相成らん」と、それはたいへんな剣幕で抗議しています。結果的には動くことになったのですが、それでも政府自民党から「この日の前後を老人週間(敬老週間)とする」という妥協案を引き出しています。連盟とか連合会には選挙のときの票があります。政治家にとっての泣き所を握っているといった事情が背景があるのですが、海運界もなんらかのアクションを起こしたら、それなりの成果をかち取り、世間にアピールできたかもしれません。なにせ、1,000万人の支持があるのですから。残念なことでした。
これも余談ですが、こんな資料も見つけました。
海の記念日は昭和16年7月20日からスタートしていますが、19年の第3回記念日には日本郵船の“じゃんび丸”という船が表彰されることになりました。戦争中の当時、スマトラを基地としてジャワ海で活躍していたタンカーでした。日本を出て1年以上も海軍の油輸送作戦に従事し、最高の輸送実績を上げたというのが表彰の理由でした。7月18日、2日後の表彰を楽しみに“じゃんび丸”は表彰会場があるスラバヤめざして走っていました。乗組員たちにとって久し振りの休暇であり、内地からの便りも待っているのです。しかし、乗組員たちは栄えの日を迎えることはできませんでした。ジャワ島沖で米潜水艦が放った魚雷12発により、沈没する運命にあったのでした。
なぜ、このような記録が残っているかというと、海の記念日に表彰される船だったということもさることながら、このときの米潜水艦の攻撃ぶりがあまりにも異常なものだったからでした。あろうことか、たった1船に対して12発もの魚雷を撃ち込むというのはどういうことだったのか。船はずたずたになって沈んでいます。このときの潜水艦の艦長の名前も判明しているのですが、戦史には「よほど艦長の腕前が拙劣だったか、よほど残忍な性格だったのか」と載っています。
話がそれましたが、「7月20日」という日は、そんなこんなの思いがこもっている日なのだということをお伝えしたかったので申し上げた次第です。
<海洋基本法制定のすすめ>
さて、お手元資料のレジュメの最後になりますが、「海は誰のものか」なんてエラそうに書いてあります。ここでは、それなりに長い間、海と船、そこに働く人たちを眺めてきた者として批判や繰り言の言い放しでは無責任ですし、一応はジャーナリストを名乗っている身として、なんの考えも持ち合わせていないというのは恥ずかしいことでもありますので、提言の真似事をやってみたいと思います。
いま、「海洋基本法」というものを考えています。国民全体がもっともっと海に関心を持ってもらえるようような、そんなのが出来たらなあと、いま、あちこちで考え方を吹聴しては反応を探っているところです。
農業基本法とか林業基本法といったものがあります。国家政策としてこういう方向をめざします、と書いてあります。最近、新しく衣替えして新方向が打ち出されました。たとえば同じ第一次産業の水産業界を対象とした水産基本法の場合、これまでは、どうやって魚を大量に獲るか、いかに漁獲高をあげるか、といった内容が中心でした。しかし、いまやそんな収奪一方では漁業のあり方としては問題があるということから、国民の安定的で安全な食生活を守るにはどうしたらいいのか。漁業を再構築しようという考えに変わっています。農業基本法しかり、林業基本法もまたしかりです。
もっとも最近は時局に便乗したような基本法なるものがないでもありません。IT基本法とか、食糧安全基本法というのもできましたし、文化技術基本法といったものもあります。そうした基本法制定ラッシュに触発されたわけではありませんが、これまで「海洋国日本」とか「海運日本」といいながら、その海をどう考えるか、海洋秩序、資源の持続的利用、環境などといった基本的なものにかかわる一本スジを通した国家政策がなかった。発想すらなかったというのは、改めて考えてみると、おかしいし、どうしたことなのか。
そこで海洋基本法といったものを考えたのですが、なにも法律をつくれば万事解決、すべてオーライというのではありません。精神運動でもいいのです。なんのために海を利用するか、なんのために海を愛するか。そんなことが前文に書いてあるようなものがほしい、と思っています。
そして本文の中味をどうするかの議論の過程では、日本人の食生活、自給率のあり方のほか、大切な環境問題も浮かび上がってくることでしょう。冒頭のタジマ号事件でみられたような海の法律問題、さらには海運における「経済安保」論。ひいては防衛事項も入ってくるでしょう。エネルギー問題もありますし、海洋開発問題もあります。
本当の狙いは、そうしたさまざまな角度からの論議が交わされるなか、国民の間にも海への関心が高まってくるのではないか。海をもっと身近なものとして考えるようになってくるのではないか。いまのままでは国民の海に関する意識・発想はますます薄れていくばかりではないか。繰り返しになりますが、本日のテーマに則していえば、このことが「一番のSOS」ではなかろうかと思っているところです。
海の男たちの言葉に「スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」というのがあります。私も海運界や水産界には、南極の海に行ったり、北極の海にも行かせてもらった恩義があります。いま、ここいらあたりで、すこしは「目先が利いた」格好いいことをやってみたいと思っておりますので、みなさま方には今後ともお力添えいただければ幸いであります。
たいへん雑ばくで、まとまりのないお話になりましたが、長時間にわたって御静聴いただきまして、ありがとうございました。
司会 土井先生、ありがとうございました。先生の海や船、海運に対する熱い思いを感じられたかと思います。少しお時間がありますので、先生、若干の質疑応答を受けていただけますでしょうか。それではせっかくの機会ですから、先生になにか御質問がある方は、どうぞお名前をおっしゃったあと、マイクで質問の趣旨をお話しください。
質問 日本商船隊の日本籍船の割合が数%しかない。あとは雇い入れの船だということを伺ったのですが、日本の船主が日本で船を造って自分で経営するよりもパナマ籍に入れた方が有利だから日本籍船にしないというのは、採算の面なのか、税制の面なのか、あるいはいろいろの法律の面なのか。そのへんのところを教えてください。
土井 いまおっしゃった通り、外国籍船にした方が経営的に有利だからです。船舶を持とうとすると、船舶登録税や固定資産税、法人税がかかります。トン当たりいくらといったふうに金額的に大きな税金が課せられます。それが、パナマあたりに籍を移すとたいへん安く済みます。ですが、もっとも基本的なメリットとして、籍を移したら安い賃金で外国人船員が雇えるということに尽きると思います。
質問 そのほかには。
土井 安全面といいますか、船内施設の安全設備であまりうるさくいわれないという面があります。国際的な規制は国際海事機関(IMO)という機構があって、そこでいろいろな取り決めを決定します。安全航行のための船体構造や海洋環境汚染防止のための諸設備の設置を求めたりしますが、たとえばパナマ籍船だと、そういう国際取り決めの網の目から逃れることもできるのです。
質問 船舶のことについては素人ですが、本で読んだのですが、2000年に入ってから海賊行為が増えているということです。外国航路を走る場合、日本の船はどの程度、たとえば鉄砲などを持ってはいけないということがあるようです。そういう安全保障といった面は、どの程度、日本はできているのでしょうか。
土井 ご質問ありがとうございました。じつは海賊の問題も調べてきました。いま2000年という話が出ましたが、2年前の統計によりますと、全世界で467件の海賊事件が起きています。そのうち東南アジア海域、とくにインドネシア海域で多く発生していて、うちl19件となっています。それからマラッカ海峡で75件。ですから、この2つを合わせると、世界の海賊事件の半数近くが東南アジア海域で起きていることになります。
対策としては、マラッカ海峡を囲むシンガポール、インドネシア、マレーシアあたりが協議して取り締まりに力を入れるようになってきました。また世界の船主の会合でも、これではたまらん、ということで海賊事件が多発している海域の周辺国に取り締まりを強く申し入れる一方、連絡網を整備したり、マレーシアに海賊情報センターというをつくって事前情報を航行船舶に流すという方法を取っています。その効果もあって、だんだん少なくなってきているようで、なによりのことと思っているところです。
私の乗船体験では、こんなことがありました。マラッカ海峡に入る直前、総員集合で海賊対策訓練をやらされました。消火ホースを持ち出して近寄ってくる船に放水して撃退する訓練のほか、甲板から船内に出入りするすべてのドアにカギをかけたり、なにかあった場合の相互連絡法を確かめたり。ただし、万一にも乗り込まれたら「絶対に抵抗するな」といわれました。下手にあらがってケガでもしてはつまらんから、ということでした。
これは裏話になりますが、ぶっちゃけたハナシ、海賊件数はもっと多いのではないでしょうか。目撃報告したり、あるいは海賊を捕まえでもしようものなら、長時間停船して地元国官憲から証言を求められたり、捜索に立ち会うことになります。運航スケジュールがめちゃめちゃになりますし、大型タンカーで一日停船すると400万円から500万円の損失ともいわれますから、余計な費用がかかってしまいます。そんな具合ですから、触らぬ神になんとやら、見て見ぬふりして報告しないというケースも案外多いと思います。
もうひとつ、対策の話になりますが、血の気の多い乗組員なぞにかかると、船長あたりは鉄砲とかピストルを所持して撃退したら、なんて息巻く向きもあります。しかし、船側が武装すると武器がエスカレートする危険性があります。襲う船がピストルで武装していると、海賊の連中も命がけですから鉄砲を持ってくるでしょうし、船が鉄砲ならこっちは機関銃。果てはバズーカ砲あたりを持ち出してくるかもしれません。
そんな具合ですから、現在、日本の船は非武装、無抵抗主義をとっています。欧州の先進海運国の一部の船の船長はピストルを所持しているという噂もありますが、マル秘事項で確かなことは分かりません。とにかく警戒を厳重にして乗り込ませないようにする。乗り込もうとしたらホースによる一斉放水で撃退する。
これに尽きると思います。
司会 ありがとうございました。それでは時間も過ぎましたので、これをもちまして本日の講演会は終了させていただきます。土井先生、ありがとうございました。また、続きまして第2回目は6月22日(土)、日本船長協会の顧問を務められておられます菊池剛さんのお話です。「変わりゆく日本海運の姿〜永遠のテーマ、商船の安全運航〜」という題でお送りします。みなさまのお越しをお待ちしております。
平成14年6月15日(土)
於:フローティングパビリオン“羊蹄丸”
講師プロフィール
土井全二郎(どい ぜんじろう)
昭和10年(1935)10月6日生まれ。
佐賀県出身。京都大学経済学部卒業。朝日新聞編集委員として海洋。海運、水産問題を担当し、コンテナ船、自動車運搬船、オイルタンカー、南極観測船、捕鯨船、練習帆船、大型客船などの乗船取材に当たった。
現在は同新聞社を退職し、日本海洋調査会代表を務める。
主な著書に、「負けじ魂これぞ船乗り」、「客船が行く」、「90日間世界一周」、「さいごの捕鯨船」、「ダンピールの海」、「兵士の沈黙」など。
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