<日本人船員と外国人船員>
だいぶ話題が脇道に入ってしまいましたが、それでは、なぜこのように日本船が少なくなって外国人船員が日本の船に乗るようになってきたのだろうか、という話になります。
それはすでに御存じのように、日本人船員に比べて彼ら東南アジア諸国出身の船員の方が安く雇えるからです。船をパナマ籍やリベリア籍にすると、日本国内のややこしい法律や海員組合の制約を離れて、こうした安い労働力が買えるということになりますから、どんどん日本の旗を掲げた船が少なくなっていくことになります。
パナマ籍やリベリア籍にした場合、ほかにも税金面で有利だとか、安全規則の縛りが緩やかなどといった理由もありますが、基本的には日本人船員よりも彼らを雇った方がコスト面ではるかに安くて済むということに尽きます。いまでもそうですが、当時から例えばフィリピン人船員は日本人船員の5分の1から、高くても3分の1で雇えるといわれていました。また彼らは期間雇用だったり、1航海の約束で乗ってきますから、能力不足と判断したら、簡単に辞めさせることもできる。その場合でも次の交代要員は目白押しですから、苦労することなく、どんどん新戦力に替えることができます。
これがオール日本人船員の場合だと、いろいろな規則や対組合問題があって船会社は常に交代要員や予備員を船会社は抱えていなければなりません。それだけ余分の人件費がかさむことになります。これは先進海運国に共通することで、激化する国際競争のなか、ますますフィリピン人はじめ開発途上国出身の船員を雇う傾向が強まっているのが現状です。逆にいうと、その分だけ自国船員の職場が奪われるということになりますから、日本でも先の資料でも指摘しましたように、日本人船員の数はどんどん減ってきているわけです。
日本における混乗船の歴史をみますと、初期の混乗相手は韓国人船員でした。やがて、私が経験したように台湾人船員へと変わっていき、現在の外国人船員のほとんどがフィリピン人となっています。それだけ韓国、台湾で経済力が高まり、それに伴って国内労働力のサラリーも高くなってきたという事実の裏返しになりますから、いずれはフィリピン人船員も中国、その他の東南アジアなどのもっと安い労働力にとって代わられることになるでしょう。しかし、現時点ではフィリピン人船員が大モテとなっているところです。
このフィリピン人船員が海の世界に大きく進出している理由として、日本財団がアンケート調査したものがあります。それによりますと、コスト面で安く済むことのほかには、教育水準がある程度きちんとしていることが挙げられています。さらに国民性として陽気なところがあること。次いで英語がしゃべれることがあります。英語は海の世界では万国共通語となっていることから、彼らはほかの東南アジア諸国船員より雇用面で有利な立場にあります。それでは仕事面ではどうかといいますと、「命ぜられたことしかやらない」「応用動作が利かない」「一般的に船の知識に乏しい」などが指摘されているところですが、これは技術面で世界ナンバーワン・クラスの腕を誇る日本人船員から見たフィリピン人船員観ですから、辛い点がつくのは止むを得ないことかもしれません。私の見聞きした範囲でも、彼らがやった仕事のあとは日本人船員が必ずチェックしていましたし、日本人側がもう一度やり直していたこともありました。彼らなりに仕事熱心で真面目なことは真面目なのですが、日本人船員ほどきちんとした船員教育を受けていないので、どうしてもそんなふうに「やりくった」ところがあるようでした。
「やりくった」というのは船員言葉で「どうにもならん」とか「ズサンな」といった意味があります。逆にこれは別の資料ですが、フィリピン人船員から見た日本人船員観アンケート調査というのもあります。「具体的に命令してほしい」「内容をきちんと説明してほしい」といった回答があるなかで、真っ先にヤリ玉に挙げられたのは「すぐ怒鳴る」というものでした。「早くやらんか」とか「こらっ、なにやってんだ」とか、日本人同士の会話ではそうでもないような言葉でも、彼らには想像以上にキツイ調子で響くようです。
続いて2番目の高率で寄せられた回答には「日本人はユーモアに欠ける」とあります。なるほどねえ、と、ちょっと痛いところを衝かれたような気がします。陽気な彼らからすれば、あまり喜怒哀楽を表に出さず、しかめっ面をしがちな日本人船員は「なにを楽しみに生きているのだろう」なんて具合に見えるのかも知れません。そんな彼らと、こんなトンチンカンな会話を交わしたことがありました。船橋で海を眺めていた男がちょっと深刻な顔をしていますので、「船乗り商売も大変だろう」と声をかけてみました。「うん、そうなんだ」とうなづきます。
そして、マニラ郊外にある自宅で雇っているメイド2人に給料を払わなければならんし、経営しているアパートの補修代金もあるし、「その送金で大変なんだ」なんて言い出しましたから、聞いているこっちはアホらしくなって「勝手にしやがれ」でした。
<姿を消す日本人船員>
ま、そんなふうにフィリピンでは「船乗り商売はいいカネになる」ということでしょうが、先にも申し上げたように、あおりをくったかたちで日本人船員はすっかり職場を奪われた格好になっています。現在、日本商船隊2,100隻のうち、純粋の日本籍船はわずかに117隻を数えるに過ぎず、わずか5%程度というのですから乗るべき船がなくなってきているのです。日本商船隊という言葉だけからいうと、日の丸を押し立ててうわあーっと走っている輸送船団のようなイメージがありますが、そんなことは今は昔の物語。現実は便宜置籍船という名の外国用船でほとんどが占められており、掲げる旗はパナマの旗であり、リベリアの旗であるといった状況になっているのです。
以前、北米大陸西海岸のシアトルに入港したことがあります。市街地が間近にある美しい港でした。岬をぐるりと回って湾内に入ると、大きな公園が航路の右側に沿うように続いています。ちょうど夕方のことでした。公園の遊歩道をたくさんの市民が散歩していて、両親の手に引かれた子どもの姿もありました。
そのうち、子どもが本船を指差して両親を見上げながら、なにごとか尋ねている様子。「大きな船だなあ」「どこの国の船だろう」と聞いているに違いありません。両親は船尾の旗を見て、知っておれば「パナマだよ」「リベリアという国だよ」と教えて上げるでしょうが、大抵の場合は旗の判別がつかなくて「さあ、どこの船なんでしょうねえ」なんて首を傾げることでしょう。空気が澄んでいるせいか、そんな風景がはっきりと見えるんですねえ。決して右翼的考えでいうわけではありませんが、このときほど本船が「日の丸」を掲げていたらなあ、と思ったことはありません。両親は「あのお船はジャパンという遠い極東の国からやって来た船だよ」と返事します。子どもは子どもで、折からの夕日を浴びてしずしずと入って来る巨大船を見ながら、「ジャパン」という国名が頭に刻み込まれます。そして大きくなってからも、幼いころの淡い記憶の中にあるジャパンに対して別の感覚でもって接してくれるにちがいありません。船が掲げる国旗というのは、そんな役割をも果たしているんです。外国に行くと、ほんと、「日の丸」を意識してしまいます。
しかし、現況は「日の丸」船はほとんど姿を消してしまっているのですから、ついつい情けないというか、なんとかならんのか、と思ってしまいます。ミステリーの「そして誰もいなくなった」ではありませんが、マドロスとか、海の男とか、あの一種懐かしいイメージが定着しているあの船乗りたちも姿を消しつつあります。
<自給率を考える>
ここで考えてみたい大きな問題は、日本の商船隊がそんなふうにおかしくなったといっても、私たちの生活は困らない。全くといってよいほど日常の生活に支障がないということです。「日の丸」を立てて走ろうが、よその国旗を掲げて走ろうが、あるいは船で働く船員がどこの国の人であろうと、日本商船隊として走っているかぎり、私たちは無関心でいても済まされるところに実は大きな問題が潜んでいるのではないでしょうか。
たとえば、私たちに一番関心がある食生活を取り上げてみますと、食料関係品目の輸入が急速に増加しています。これは冗談みたいによく言われることですが、天ぷらソバを注文すると、エビはタイ国はじめ東南アジア製。衣の小麦粉は米国製、揚げる油も米国製。ソバは中国製、お汁も中国製で、日本国内で取れるものはなにも入っていない。食べる日本人だけが国産品だと。おまけに茶ワンも箸も中国製とあってはお手上げです。このところ、とくに水産物の輸入が目立っています。その昔、日本は「水産王国」なんていっていたのですが、とんでもない。いま日本全体の総漁獲高は600万トンぐらい。それとほぼ同量の外国水産物が入ってきています。かつては総漁獲高は1,000万トン近くあったのが、マイワシが獲れなくなって随分落ち込んできています。そのスキ間をぬうかのように、どんどん輸入品が増えてきているのです。いわゆるグルメ志向が背景にあるのも事実ですが、とにかく国の総漁獲量と匹敵するような膨大な量の水産物がよそから入っているという現実は尋常でありません。輸入急増の要因として日本国内の水産物よりも価格的に安いという面もありますし、外国水産物の増加は国内の漁業経営の圧迫にもつながっています。
そんなこんなで、いま、漁業界では「後継者不足」が深刻に語られています。サカナも獲れなくなった、魚価も輸入品に押されて低迷し続けているとあっては、お先真っ暗。漁業を継ごうという若いモンがいなくなるのも無理ありません。
先に海運界で日本人船員がどんどん姿を消していると述べましたが、いま海の世界では将来を担うべき若者たちが一斉に背を向けているといって差し支えありません。ここで少し視点を変えて考えてみますと、そんなふうに外国産物がわが物顔で入ってくると、「自給率」が問題となって浮かび上がってまいります。現在、日本の食料自給率はカロリー換算で40%程度でしょうか。食生活に重要な位置を占める穀物自給率となると、重量べースでかつては76%あったのが、いまでは27%までに落ち込んでいます。先の天ぷらソバの例を笑っていてはおられなくなっているのが現状です。これをほかの先進国でみると、フランスとかドイツ、英国といったところは自給率70%以上。米国となると百何%ですから、てんで比較になりません。あるとき、米国政府の高官が面白いことを言っていました。日本人が今ぐらい米国から食料を輸入しているとしたらあの第二次世界大戦の口火となった真珠湾攻撃は起きなかっただろう、と。
その意味するところは、食料輸入国は輸出国には頭が上がらず、いわんや戦争を仕掛けることなど論外だろう、ということです。逆にいうと、相手の首根っこを押さえるには食料をやらないといえば万事OK、ということになります。いわゆる「食料戦略」「食料安保」の思想で、将来確実に予想される地球規模での人口爆発を考えると、世界的な食料不足は現実のものとして十分考えられることです。そうなった場合、「お前の国は生意気だから食料をやらないよ」といわれれば、「うん」といわざるを得ないところがありますから、確かに国際戦略としてすこぶる有効ななものといえそうです。
こうして「自給率」というキーワードで考えてみると、日本海運の場合も先に見たように商船隊2,100隻のうち純粋の日本船はわずか5%程度ですから、食料問題と同等の言葉を使えば「海運自給率は5%」ともいえるようです。
<海運界の「経済安保」論>
いま、「食料安保」という言葉が出てきましたが、海運のケースとなると「経済安保」という文言が使われています。この場合、ほぼ同じ意味合いがあるといって差し支えありませんが、海運の世界では本当に国の首根っこを押さえかねられないような切迫した事態が現実に起きていますから、穏やかでありません。
あのイラン・イラク戦争、続いて起こった湾岸戦争のときがそうで、真剣な論議が交わされています。ペルシャ湾内に油を積みに出る日本のタンカーに乗っている外国人船員が「行くのは怖い」と言い出したら、どうなる。いや、日本に忠節を尽くす義理はないとサボタージュしたら、どうなる。日本向け油をストップさせようという本国の指示により外国人船員がボイコットの挙に出たら、どうなる。そんな論争が起きました。とにかく日本経済の大動脈を支える中東の油が入らないようになったら、「日本経済はアウト」になることは目に見えています。
そこで浮かび上がってきたのが「経済安保」論でした。状況が切迫した場合でも日本籍船で日本人船員が乗組員だったら、外国人船員とちがって、故国の危急を救うべく、敢然として行ってくれるに違いない。だから、日本籍船は必要なんだ。そうだ、そうだ、てな具合です。つまり、戦争のような緊急の場合に備えて一定数の日本籍船を常日頃から確保しておく必要があるのではないか、「自給率5%」の海運というのはなんといっても心許ない、という議論でした。
背景にはこれまで述べてきたように、外国に船籍を置く便宜置籍船に取って代わられつつある日本商船隊の現状になんとか歯止めをかけたいという切実な願いがありました。そのイラン・イラク戦争のとき、私は“日章丸”という出光興産の超大型タンカーでペルシャ湾に出かけたことがありました。当時朝日新聞記者で、「戦火の海をゆく船員の苦悩」といったものをルポする目的がありました。かなり際どい場面にも遭遇しました。ペルシャ湾は右側が戦争当事国のイランで、その奥がイラク。左側は沿岸に沿って中立国のアラブ首長国連邦、サウジアラビアといった国々があります。ペルシャ湾に入るには狭いホルムズ海峡を通過することになります。いよいよ海峡突破の際、船は右側通行ですから湾の入り口にあるリトルコインという小島の右側を通らなければなりません。つまり、いったん船はイラン寄りに走ることになるのです。その怖かったこと。
当時、イランは「タンカーウォー(タンカー戦争)」といって、イラクとその支持国に向かう船をボカスカ沈めていました。中立国の船舶も怪しいと判断したら容赦なく撃ってきます。ですから、冷や冷やものでリトルコイン右側を通り抜けて湾内に入った船は、急カーブで左にカジを切り、一目散に左岸のアラブ首長国連邦の方に向かいます。レーダーを見ていたら、次々と船の集団がイランと反対側の海域に急旋回するさまがまざまざと映し出されていました。「まるでおびえるヒツジの群れですな」と船員がいっておりました。その後の湾内航海でも国籍不明の船が近づいてきて、国名、船籍、目的地を確認したり、いきなり軍用ヘリが上空から降ってきて国籍を尋ねたりしました。
ついでに申し上げますと、「幽霊(ゆうれい)船」というのにも出くわしました。国旗も掲げず、煙突の船会社のマークや船名もペンキで消した船のことです。これらの多くがパナマやリベリアのあの便宜置籍船で、イラン側が最もその正体を危ぶみ、イラクに向かうのではないかと警戒し、標的としている船でした。乗組員たちはイヤイヤながらも高給につられて走っているのだろうというのが、日章丸乗組員らのもっぱらの噂バナシでした。
私たちの“日章丸”は船尾に日章旗を掲げ、船橋と船腹の両側、甲板にも大きな「日の丸」を描いて走っていました。すると、“日章丸”の後ろから、こうした幽霊船がぴたりと随いてくるのです。当時、日本船はペルシャ湾では一番安全な船だという「日の丸神話」があって、彼ら幽霊船の乗組員もそれを知ってて随いてくるのですね。そういう日本の船でしたが、このイラン・イラク戦争ではやはり犠牲が出ていることは記憶しておいていただきたいと思います。
次に湾岸戦争のことになりますが、このときは日本の船は行きませんでした。例外として政府に政策的に頼まれた船が数隻出かけていますが、特殊なケースで、ここでは取り上げません。湾岸戦争はイラン・イラク戦争に比べて短期間で終了しましたので大きな話題にはなりませんでしたが、このときもやはり「経済安保」論議は交わされております。だが、この論議の過程でちょっと問題が起きました。船を戦闘周辺海域に就航させようとした船主の団体に対して「待った」がかかったことです。海員組合が「もし乗組員に犠牲が出たら、取り返しのつかないことになる」と言い出しはじめたのです。先のイラン・イラク戦争の教訓を踏まえ、組合員である日本人船員を危険にさらしたくないということからの苦渋の決断からともいえるのですが、ともかくも、これで交渉は紛糾しました。結局は行かないということになったのですが、これについては、ほかの外国船は出かけているのに「どうしたことか」といった疑問の声がわき起こりました。
新聞社内でも議論があったところです。「経済安保とはなにか」から始まって、なにも好んでドンパチの最前線は行くことはないが、もし仮に行かないと日本の経済がダメになるという場合は「やはり頼りになるのは日の丸船だろう」という結論で落ち着きかけていました。そこへ海員組合の反対で「行かない」「いや行けなくなった」という第一報が飛び込んできたものですから、社内討議の空気は一変してしまい、「経済安保」論そのものに疑問を持つ意見が増えるということになったのでした。つまり、いざというときに備えて日本籍船を確保しておきたいという考え方・構想なのに、いま湾岸戦争が起こって船を出すかどうかの、その「いざ」を迎えた瀬戸際になって「危険だから出さない」というのは、一体どういうことなのか。「経済安保」論議というのはそんなに底の浅い、手前勝手の御都合主義から言い出されたものなのか、と白けた空気になってしまったのです。
残念なことでした。もし、あのとき、日本人船員が乗った「日の丸」船が敢然として出かけていったとしたら、やや大げさにいって海運界に向けるマスコミの目も変わっていたかもしれません。そんなこんなで、いま、せっかくの「経済安保」論は棚上げのかたちになっているのが現状です。そして、「自給率5%」までになった日本の海運をどうするのかといった基本的な論議も袋小路に入った格好となっています。
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