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ボランティア体験者の感想
 ナホトカ号重油災害では、若者を中心としたボランティアが、関係者や地元住民に大きな感動を与えた。それは、ボランティアのほとんどの人々が、「美しい海を取り戻すためにやってきた」という心からの奉仕だったからだ。
 しかし、「よかった」「ありがたかった」だけで終わらせてはならない。今後に向けた反省がそこにはあるはずだ。ボランティア活動に参加した何人かに聞いてみた。
 
 
マイカー規制に工夫を
雄島漁業協同組合
組合長 梅野 茂雄(うめの しげお)
〈プロフィール〉
 漁業一筋で今日に至る。現在福井県雄島漁業協同組合組合長、三国地区栽培漁業推進協議会会長、福井地区漁場利用協議会副会長。
〈ボランティア活動で思ったこと〉
 私は、ナホトカ号の船首部が漂流しているときから漁協の事務所に詰めっきりで、県の水産課からの情報を受けたり、漁業者の相談に応じたりで、自分たちの前浜に船首部が漂着後もほとんど事務所での対応に追われました。したがって、ボランティアの皆さんが活躍されている現場にはほとんど出られなかったのです。
 まず、ボランティアということをよく知らなかった私ですが、日を追うごとにボランティアの何たるかを理解でき、寒い中を全国から集まってこられた皆さんに、ただただありがたく感謝しております。
 ですから、問題点もあまりないのですが、私なりに気が付いたことを述べてみます。
 ボランティアの中には、マイカーで現地入りされる方が結構多かったと思いますが、駐車に困った方もいたことと思います。わが国では、どこに行っても同じことだと思いますが、今後のあり方として、なるべく公共の交通機関を利用して最寄まで行き、そこから送迎バスなどを用意するなどしてはいかがでしょうか。
 もう一つは、大変小さいことですが、ガードレールに重油を擦り付けてあるところがたくさんありました。もちろん故意とは思えませんが、心の美しいボランティアの皆さんなればこそ、ちょっと気をつけてほしいと思いました。
 
 
体制づくりは三国方式で
三国町社会福祉協議会
参与 田畑 克佳(たばた かつよし)
〈プロフィール〉
 現在、社会福祉法人三国町社会福祉協議会みくにボランティアセンター参与
〈ボランティアの立ち上げで思ったこと〉
 私は、三国町のナホトカ号重油災害対策の際、ボランティア体制づくりに深く関わった経験から、特に組織の立ち上げについて述べてみます。
 ナホトカ号災害のように大規模災害の際、まず最初になすべき重要なことは、ボランティア組織の立ち上げを早急に行うことです。このような場合、行政とボランティアは、それぞれ立場も考えも異なるので、それぞれ別々に行動したのでは、対策はうまく進まないものです。
 三国の場合も例外ではありませんでした。行政とボランティアをどのようにして一体化するのか、当初は悩みも多かったものです。そこで考えたのが、両者の仲介役が必要だということでした。考えてみると私の所属する社会福祉協議会は、仲介役として適していると思い、私なりに仲介の努力をしました結果、ナホトカ号の船首部分が漂着して4日目にはボランティア対策本部を一本にして立ち上げることに成功しました。
 こうして出来たボランティア本部がそれぞれの役割分担を決め、その後はすべてがうまく行ったと思います。この体制づくりは、その後三国方式と呼ばれるようになっています。
 また、このような三国方式を短期間で成功させるためには、日ごろから顔の見える付き合いが欠かせないと思います。隣県をも含む防災関係者が日ごろから知り合っていて、いざというときに、名刺の交換から始めるのではなく「頼むよ」の一声で意思疎通が図られる人間関係を構築しておくべきだと思います。
 できれば、防災組織は日ごろから組んでおき、年一回でもその種の会議を開き、顔をつなげておくことが重要です。
 有珠山の火山災害のとき、三国方式が役だったという感謝のお言葉を伊達市の方からいただきました。
 それにしてもナホトカ号の災害で、人間と自然との共生、環境を守り地球を大切にすることをボランティアに参加した若者から学ばせてもらいました。ありがとう
 
 
ボランティアは自分のために
東角建設株式会社
代表取締役 東角 操(ひがしかど みさお)
〈プロフィール〉
 S33年生まれ、S55年福井工業大学建築科卒、東角建設、リファイン丸岡、ヒューマンネット代表取締役兼務、青年会議所福井ブロック協議会会長ほか役員兼務、ボランティア団体Vnetヒューマン代表、国内外の多くのボランティア活動に参加、著書に「日本海からの熱い風」
〈主な活動歴〉
1995年  阪神大震災ボランティア活動
1994年〜 現在までタイのスラム街およびタイ国南部の更正施設でボランテイア活動
1993年〜 ロシア、モンゴル、韓国、カンボジア、中国各国へ数回訪間短期ボランティア活動
1998年  1997年 重油災害ボランティア活動、対馬沖重油災害ボランティア活動
1998年  北関東水害ボランティア活動、北朝鮮へ食料支援ボランティア活動
2000年  有珠山火山噴火ボランティア活動(後方支援)名古屋水害ボランティア活動(中古TV配布等)
〈災害を振り返って〉
 今回、本当に数え切れないほどの人にお世話になりました。重油災害復旧ボランティア活動を通して多くのものを得えました。ボランティアとは、自由であり、自分が出きることを、出きる範囲で、自分の責任で最終的に自分のためにすることです。自分のためとは何か、人によって答えはいろいろでしょう。しかし、その過程において個人個人がベクトルを合わせることによって自分のための一つ前のことがかなうことがあります。今回はベクトルの先は「よみがえれ日本海」でした。
 見事に多くのベクトルが合い、美しい海が、住民の喜びが戻ったのです。ベクトル合わせにはまず、参加者個人個人、各種ボランティア団体、行政そして支援企業とが同じ意識というベースの上にたったパートナーシップが最低限必要であろうと思います。また、21世紀の中心になるべき若者の中に自分の存在意義と足下の地球益を考える人が多くいるということを今回のことで確認したことは、大きい成果でした。
 “この海は三国の人たちだけのものではない。私たち地球に住む人たち全てのものです。”と語った若者の言葉が今も忘れられません。この言葉が多くのボランティアの心の底にあったのだと思います。国の下に県、県の下に市町村、市町村のしたに市民となる主従関係の構図で成り立つ行政システムを変えない限り、地球益を考える21世紀の主人公は生かされないであろうと思います。
 皆さん考えてみてください。上の人の意見、指示を待つ中央集権社会でどれだけのことが進みますか。自分の責任を回避しているに過ぎないのではないでしょうか。主権国家日本の枠の中で考えるだけでは、世界は見えてきません。
 最後に、幾度もの災害によって意識は変わってきましたが、まだまだ、システムの改革が必要です。しかし、市民一人一人がもっともっと意識を変えることにより社会の仕組み(システム)もかわるでしょう。一人ひとりが地球をつくり、地球があるから一人ひとりが存在する。この原点を日本人も今一度考える時期にきたのではないでしょうか。
 今回、私たちは国、自治体にぶら下がることなく、恐れることなく、時代の先駆者として自ら行動しました。それも、自分たちの垣根を越して市民と手を取り市民パワーを開花させたのです。行動が提案でありました。多くの行政に対して、多くの団体にたいして、多くの市民に対して。私たちはそれぞれのまちにおいて行動提案をおこすべき責任を負っているのではないでしょうか。
 がんばれ日本人!
 
 
医療ボランティア所感
医療法人 聖人会 藤井医院
藤井 康広(ふじい やすひろ)
〈プロフイル〉
 ナホトカ号の船首が漂着した三国町で開業医をしています。当時、三国町の医師会代表を務めていました。慈恵医大を昭和54年に卒業し、外科医として長年勤務してきましたが、開業してからは全身を診る総合医として働いています。また、4カ所の老人ホームの理事長を勤める傍ら、朝日新聞・福井版への毎週土曜日「空飛ぶ町医者」のコラム連載や本の執筆、TBSラジオ土曜ワイドへもときどき出演しています。
〈ボランティアとしての具体的活動〉
 救護所がボランティア本部の隣に設置されました。その救護所は地元の坂井郡医師会の医師が交代で医療ボランティアを務めました。当時、三国町の医師会代表が私だったので、その救護所の担当者としての任を果たしました。
 当番医としての勤務のほかボランティア本部、行政、医師会とのパイプ役として働きました。私も開業している身ゆえ、毎日ずっと救護所にいることは出来ませんでしたが、お昼休み、夕方と救護所を訪れていました。ずっと訪れるうちにこの災害のマイナスイメージをプラスに変えられないものかと、地域の有志とともに船の一部を引き揚げ保存する運動を始めました。すぐには実現しませんでしたが、本という形で残り、また現在は地域おこしとして「海と丘のギャラリー・七つの雄島物語」という美術展を開催するまでになっています。
〈救護班責任者として率直に思ったこと〉
(1) 医療関係のボランティアの方も多く、ほとんとんどは連携をとられ行動していただけました。ただ、遠方から応援に来てくれた医師の一人が、マイペースな方で不要な不安を招くことになり、迷惑なことがありました。
(2)
ボランティアにくる前から持病がおありの方がいて、薬を持ってきていないので救護班に薬を出してくれというケースが何件かありました。
 救護所は一般の診療機関ではありませんので、すべての薬はありません。ボランティアをする際には持病の管理をした上で参加してほしいものです。
(3) 健康な方でも念のため、保険証を持参してください。被災地で病気になる場合もありますので。
(4) 車で夜通し乗ってきて、着くなりすぐに重油すくいに参加して気分が悪くなったケースがありました。これなどは、自己責任の不足からで、ボランティアをしにきたのに逆にボランティアされる、という典型です。
(5) もともと狭心症のあった人が、寒い中、重油をすくって亡くなるということがありましたが、健康管理は自分ですべきもので、周囲の風潮に流されることなく、健康状態が優れないときにはボランティアはしないことです。
(6) 総括として、自分たちの身の安全を図りながら、自己責任のもとでボランティア活動に従事してほしいと思いました。
 
 
ナ号事故を「地球を考える」キッカケに
地球フォーラム福井
事務局 三宅小百合(みやけさゆり)
〈プロフィール〉
 元モーターボート選手。パートナーは現役のA級レーサーである三宅爾士選手。
 19歳でデビューし、10年間の選手生活を終え引退。長女の出産を機に人間の野生が失われつつあることを実感し、人間を取り巻く地球環境の悪化を知る。
 現在、子供たちと酪農や農業体験、日本の伝統食作り(梅干、味噌)をとおして環境問題を学んでいます。
〈ボランティアでの活動と思ったこと〉
 全国から駆けつけて下さったボランティアの使用したカッパや長靴が毎日大量に捨てられ焼却場で処分されていることを知り、これらを環境汚染の少ない方法で洗浄できないかを調べ、水の分子を小さくした水で洗浄する「洗浄班」として本部に参加しました。
 できるだけ少ない水を使い何度もろ過して使用し、最後に水と油に分けて処理しました。手間のかかる作業でしたが捨てることなく再使用していただけたと思います。
 しかし、オガクズだけでも大部分の重油を除くことができ、処理も簡単でした。また、海水を沸かして洗浄しても効果は同じでした。
 海の自浄作用にも驚くべきものがあり、この重油事故を通して想像を超える環境汚染の現状と大自然の偉大さを知りました。浜辺を埋め尽くしそうなプラスティックゴミも、元は重油です。
 便利で快適な生活から継続可能な地球を考えるキッカケとして次世代に伝えてゆきたいと思います。
 







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