海の災害ボランティア
海の災害といえば、船舶からの流出油による沿岸域の汚濁災害が主流をなす。記憶に新しいものに、三国町をはじめ北陸海岸へのロシア籍タンカー・ナホトカ号船主部分漂着にともなう6,240klもの重油流出による汚濁がある。
このとき、全国から駆けつけたボランティアは、神戸淡路大震災の後だったこともあってか、約4カ月間で実に、延べ数十万人の多きに達した。その約半数は二十歳代を中心とする若者だった。彼らの多くは、「美しい海を守りたい、美しい海を取り戻したい」ために駆けつけたと語っている。最初は戸惑いを見せた地元関係者は、厳寒の北陸の海岸に来て、油まみれになって活躍する若者の気持ちを知ってからは、ただただありがたかったと述懐している。
また、参加した若者の多くが、「いい体験ができた、私の人生に何かを残し、心に満足感を与えてくれた」と寄せ書きに残している。まさに、真のボランティアの何たるかをそこに見た思いがする。
しかし、よかっただけで終わらせてはならない。そこには必ずや反省や今後に向けた課題があったはずだ。関係者の記憶が薄れないうちにそれらを記録し、今後の海の災害に備えたい。
海上災害防止センター 防災部長 佐々木 邦昭(ささき くにあき)
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写真1 |
現場後方支援(事例3)三国町の設置したボランティア受付本部。地元JCが中心に支援体制が出来た |
はじめに
船舶や陸上施設から大量の油が海に流出、ドロドロの状態で海岸に打ち寄せる・・・。
近年、科学技術の進歩を警告するようなこの種災害が、あちこちの海辺で出現しました。
実際にそのような映像を目にすると、日ごろ海に無関心でも、黙しておられずに行動を起こさねばと思う人達がいます。
97年の日本海で発生したタンカー「ナホトカ」流出油事故(以下「ナホトカ」と略称)では、そのような人達の大きな動きがありました。この動きは地元だけでなく全国に拡がり、油を回収するため個人や団体が寒い北陸の海辺に集まりました。
この海に行きたいけれど、叶わない人達もたくさんおり、彼らは、お金や物品等を寄付したり、航空会社、バス会社は無料で人の運搬に参加しました。
これらのほとんどは、対価を求めないボランティアの行動で、前年の阪神大震災の余韻があったようです。
しかし、「何か出来るはず」と取りあえず来ては見たものの、現場で必要な作業用具、食事、宿泊、どこでどのような作業を行うのか等の具体的なことになると、たちまち困惑状態に陥った人は少なからずおりました。このような人々の受け皿として、実状に精通した人による支援とコーディネイトが必要で「ナホトカ」の場合、地元青年会議所(JC)等が中心となって、支援のための組織(対策本部)が各地に設けられました(写真1)。
一方、流出油事故への対応は、国、自治体そして海上災害防止センター(以下センターと略称)等専門の機関が全力を挙げて実施しているのですが、その能力には限界があり、規模が大きく油の漂着海岸も数百キロメートルにもなってしまうような場合、ボランティアの参加はごく自然なことで、これからも続くと思われるため、流出油ボランティアの在り方について事例を振り返って考えてみることとしました。
流出油ボランティアの事例
流出油のボランティアは、過去の流出油ボランティア3例について、その状況は別表に示す通りです。これらには次の共通点があります。
・油種がC重油で、風化している
・流出量が多く、広範囲の海岸に漂着している
・荒天により初期の回収が出来なかった
これらの事例は、何れもセンターは船主からの委託(2号業務)を受け対応しました。当初は、ボランティアの参加は予期していませんでしたが、彼等はセンターの不足の部分を補っていたようにも思えます。
別表 流出油事故とボランティア
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事例1 |
事例2 |
事例3 |
事故発生年月 |
平成2年1月26日 |
平成5年5月31日 |
平成9年1月2日 |
船種 |
貨物船 |
タンカー |
タンカー |
船名 |
マリタイムガーデニア |
T丸 |
ナホトカ |
海域 |
京都府経ケ岬 |
福島県塩屋崎沖 |
島根県隠岐沖 |
油種 |
風化したC重油 |
風化したC重油 |
風化したC重油 |
流出量 |
900KL |
430KL |
6,240KL |
漂着海岸 |
兵庫、京都、福井県の海岸 |
福島県小名浜周辺海岸 |
島根から秋田県までの1府8県の海岸 |
ボランティアの活動海岸 |
丹後、蒲入 |
小名浜海岸 |
丹後、三国、塩屋、輪島、珠洲、上越等 |
ボランティア1 |
期間 |
2日間 |
1日(日曜日) |
約4カ月間 |
人数 |
大学生・のべ6人 |
市民50名 |
延べ数十万人 |
記事 |
野宿しながらビニール袋に回収、センターとして弁当消耗品補填 |
砂浜、テトラポット内に残った油と油泥物の回収、注意事項等情報と消耗品提供 |
全国から個人又は数人単位で集合、その殆どを地方自治体で対応 |
ボランティア2 |
期間 |
1日間 |
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1月中旬〜2月中旬 |
人数 |
宮津水産高校生徒約300人 |
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中・高校生1000〜2000人 |
記事 |
2月15日学校前面の砂浜に漂着した油を回収 |
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石川・福井県教育委員会と校長の承認の下に、授業の一環として実施した |
ボランティア3 |
期間 |
2月17日〜、5日間・延べ約500人 |
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62日間・延べ約4300人 |
人数 |
天理教ひのきしん隊 |
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天理教ひのきしん隊 |
記事 |
2月11日から17日間、伊根町蒲入地区、重作業・支援班に分かれ組織的に参加・民宿宿泊、作業の場所・注意事項等情報提供 |
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石川、福井等の海岸で、11回重作業・支援班に分かれ組織的に参加・民宿宿泊 |
センターの協力の出来た部分 |
ボランティア1と3に対して、作業場所、作業方法、作業上の注意事項等の情報を提供した |
資材の提供及び作業場所、作業方法、作業上の注意事項等の情報を提供した |
強力吸引車により、ボランティアが回収し一杯になったドラム缶内油の抜き取りを優先した。また、求められた時、作業場所情報等を提供した |
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ボランティアに対して、センターではできる限り協力・支援し、事例1と2では、作業上の注意、作業場所、方法についての情報提供と一部資材の提供も行いました。
しかし、事例3では、余りにも多くの人が、広範囲に集まったため、限定されましたが、ボランティアが回収した油を優先的に搬出し、作業が止まらないように配意したり、現場情報等を求めに応じて提供しました(写真2)。
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写真2 |
現場最前線(事例3) ボランティアによる油回収ドラム缶の油は、強力吸引車で抜き取られた(珠洲) |
ボランティアの形態
ボランティアとしての参加がどのような形で行われていたかについては、さまざまな視点がありますが、別表に示した現場に於けるグループと個人そして、現場に直接参加できない人達に分けて考えてみました。
(1)グループの場合
(1)災害が発生した時、全国規模で救援活動を組織的に行えるように、平時から志願者による組織を作り、定期的に想定別の訓練と講習を行っているグループがあります。この組織は、重作業と後方支援(食事・宿泊・医療等)に当たる班から構成され、前者は元気な若者を後者はベテランの婦人等が担当し、理想的な自己完結型になっています。別表に示す二つの流出油事故に大々的に参加しました(「別表のボランティア3」、写真3)。
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写真3 |
現場最前線(事例1) 重作業は、元国体選手等の若者を中心に行われた(伊根町蒲入) |
(2)地元の中学・高校生が授業の一環として数百人単位で、近くの海岸に漂着した油塊の回収を行うもので、事例1では水産高校が、事例3では石川、福井県で公認の授業として大々的に実施されました(「別表のボランティア2」、新聞−1)。
(2)個人の場合
(1)個人、友人、家族が休日を利用して自費、自己責任で現地に行って油の塊を回収するもので、このような形での参加は表面化しておらず実体は不明ですが、「別表ボランティア1」の事例に示す他にも相当数あったようです。
(2)遠方から個人や少人数のグループで参加する場合で、不慣れな地であるため、宿泊、交通等さまざまな支援が必要となります。これらの人達の記録はさまざまな形で残っていて、例えば、上野駅で夜行列車に飛び乗って身一つで三国に来た若者、大阪から自転車で来た学生そして福岡から夜行バスに乗って来た50代の女性等胸を打たれる記録が現地のボランティアノートに残されていました。
彼等は現地で、現場班と後方支援班に分かれての活動となりました。
(3)その他、現地に直接参加できない人達による次のような活動が行われています。
(1)ホテル、民宿による料金の特別割引、風呂の無料化
(2)弁当屋さんによる特別割引
(3)航空会社、鉄道、バス会社による一定枠の無料
(4)現場に来られない人々(個人、企業、JA等)による物品、お金の支援
(5)有名歌手、楽団によるチャリティーコンサート(三国、金沢)
これらの活動には、たくさんの人達による心を込めた支援の動きがありました。
(拡大画面:71KB) |
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ボランティアの仕事と注意事項
(1)現場
(1)作業内容
初期段階では、海浜での油塊の直接回収、回収した油の入った袋等の運搬等の重作業があります。
事例では、ほぼ1カ月間このような作業が続きました(写真3、4)。
その後、岩場や磯場に付着した残油の清掃、砂浜に残った油粒の回収が続きます。海上模様が時化た時には、作業が出来ないことがあり、その様な時は、地元民の指導の中で、島影や内湾等の安全な海浜に移動して回収作業を行うか、作業をあきらめることも必要です。
(2)注意事項
これらの作業は、寒中の汚れ作業で、重量物を扱うことと、現場が滑りやすいため、この危険に対して健康チェック、服装や安全意識面で注意が必要です。
事例3では、ボランティア3人を含む5人が体調を崩して亡くなっており、他にも切り傷、打撲、捻挫、風邪、腰痛等の疾病にかかった人も相当数にのぼっております。
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写真4 |
現場最前線(事例3) 油を柄杓で回収、土嚢袋に入れている。この土嚢は、約100m離れた道路まで手渡しで運ばれた(輪島) |
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写真5 |
現場最前線(事例1) 現場へ弁当と暖かいお茶の配達(伊根町蒲入) |
(2)後方支援
(1)作業内容
後方支援チームは、現地の実状に明るい人、流出油についての知識を持つ人を中心に継続的に構成されて、ボランティアに作業上の注意事項、作業を必要とする場所と時、方法、アコモデーション、注意事項等の情報を直接またはインターネット等を活用して提供します。また、他にも実務的なさまざまな仕事があり、例えば寄付された物品、お金の管理、ボランティアや食事等の現場への運搬、健康管理、医療等があります(写真5)。
(2)注意事項
後方支援チームは、大規模なボランティアの動きがあるとき、司令所のような役割を担い、油回収の場所と時、その是非に関する情報を継続的に公的機関等から入手して人々に伝達する役割が期待されます。
このようなことへの対応能力のある人が継続してチームを支えることが必要ですが、そのような人材の確保、また、前述の3.(2)(2)のような場合、チームのボランティアへの支援は、確たる責任者が不在のまま、指揮系も試行錯誤の中で行われていたようです。事例3では、海上荒天のため作業中止の日が少なくありませんでしたが、遠方から休暇で参加した人達との間で、その決定を巡り揉める場面もありました(新聞−2)。
流出油ボランティアの効果と問題点
現在、さまざまな分野でボランティア活動(注1)が行われていますが、何れにも共通する総論編と固有の各論編があります。
流出油ボランティアという各論の主な部分は、地震などの天災とは違って、原因者が義務として行う有償の回収作業の傍らに、無償のボランティアが存在するということになり、他の分野と異質ですが、次のような効果と問題点があります。
(1)効果
(1)短期の回収により被害範囲を縮小
「ナホトカ」のように大規模で広範囲の海岸に油塊が漂着する場合で、原因者側や公共機関の防災勢力では不足であり、ボランティアがその不足の部分を埋め、円滑な作業を実施することで公共の被害の拡大を抑制できる。
(2)海洋への関心
さまざまな分野の人々が海辺に集まって、お互いに協力し話しあって共同作業を経験することで、海洋汚染、海洋一般のことを理解し、継続的に考えるきっかけとなる。
(3)子供への環境教育
成長期の子供にとって、直接海岸で油粒を拾う体験やそこでの人間関係に教育の意味がある。事例3では、そのような親子連れの姿が晴天の砂浜にあった(写真6)。
(2)問題点
流出油ボランティアには、次のような問題点を考慮する必要がある。
(1)油種が、新しい原油、ケミカル等の場合は、ボランティアは見合わせる。
引火性、有毒性の見地から、専門家が安全で妥当とする油種、状態が対象になる。
(2)後方支援体制の維持
前述のように、大勢のボランティアの安全を守り、善意を実らせることのできる対応能力のある人を中心とする責任のある継続的支援体制をつくる。
(3)初めて参加する人に対して、ボランティアとしての一般事項、流出油回収の基礎的知識等の講習を行う。
あとがき
そもそも流失油の回収作業は、原因者、国家等の公共機関が責任を持って早期に実施すべきことであって、当初からボランティア等を当てにすることではない。
しかし、事故が起きてから数日を経ても、油の回収がなかなか進まず、被害の発生が報じられると、海を愛する人達にとっては、決して他人事と思えるものではない。
海は、日本人の心の中に大切なものとして存在していて、一部の人たちのものでもないという想いがわいてくる。
「ナホトカ」に直接間接に携わったボランティアは延べ百万人を超えている(注2)。
彼らはその後地元に戻り、日常の生活に戻ってはいるものの、その海辺での激しい経験は各人の心に鮮明に残っていて、そこから各人各様のさまざまな芽が社会で膨らんでいることを、本稿作成過程で知ることが出来た(注3)。
「ナホトカ」から5年の歳月が経ち、事故に対する社会的関心が薄らいできているように見えるが、当時のボランティアの多くは、今でも連帯して高いレベルで関心を持ち続けていることも知ることが出来た。
このことは、現代社会がボランティアを必要としているゆえんのようにも思える。
本稿の締切間際4月上旬、日本海兵庫の浜に、海難を起こした貨物船からC重油が漂着した。大勢のボランティアが油粒を拾い集めている新たな映像が、静かに報道されていた。
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写真6 |
現場最前線(事例3) 砂浜で油粒を拾う親子。子供の顔が輝いていたのが印象的。(加賀市塩屋浜) |
(注1)
・ 身障者、老人、子供等、人を対象とした福祉、介護等のボランティア
・ 森林等自然環境対象とした環境、植林等のボランティア
・ 地震・水害等を対象にする災害ボランティア
・ 野鳥等を対象とした野生動物保護ボランティア
(注2)
当時、公的に明らかになったボランティアの人数は、新潟、石川、福井、京都、兵庫の5府県で28万3千人であるが、未登録の人数も多い。
(注3)
・ 経験したボランティアの視点から、改革を訴えて市、町議会議員に立候補し議員になった若者や中年の女性等、人生が大きく変ってしまった人も多い。
参考文献
1. 重油汚染(海洋工学研究所)
2. 日本海からのおくりもの(藤井康広著)
3. 福井・京都新聞
4. 天理教ひのきしん隊
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