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2003年8月号 『中央公論』
アングラマネー封じ込めが「ならず者政権」の命脈を絶つ
伊豆見 元(いずみ はじめ)(静岡県立大学教授)
 
 対北朝鮮「国際的包囲網」が一応完成した――ブッシュ政権はいまそうした感慨にとらわれているに違いない。
 過去二ヵ月、米国の狙いは三つあったと考えられる。第一は、北朝鮮に「目に見え、検証可能、かつ不可逆的な形で、いかなる核兵器計画も廃棄する」(「大量破壊兵器の不拡散に関するG8宣言」)ことを求める国際的コンセンサスの形成である。
 第二は、北朝鮮の核問題を、「米朝直接交渉」ではなく「多国間協議」の場で解決する方途を国際社会に認めさせることである。かつてであれば、中国とロシアはこの二点に強い難色を示したであろう。だが今回、中露両国は米国に同調した。コンセンサスは成立したのである。
 そして第三に、ブッシュ政権が目論んだのは、非合法活動を通じて北朝鮮が外貨を獲得する道を閉ざすことであった。ミサイル輸出、麻薬取引、通貨偽造、不正送金などの行為が、その規制の対象となる。
 この方法は、「経済制裁」に比べて数々の利点をもつ。まず、国連を通さないため迅速な措置を採ることが可能となる。しかも、いわば「有志連合」による対処ではあっても、効果が十分に期待できる分野であることが大きい。さらに、新たな法律を作ることも、また現行法を改正することも必要としない。それぞれの国の既存の国内法に依拠して、措置を採ればよいのである。
 六月十三日にホノルルで開かれた「日米韓三国調整グループ(TCOG)」会合では、三ヵ国の代表が、「麻薬取引と通貨偽造を含む北朝鮮関係者による不正行為に関する懸念を表明し、これらの活動を阻止するため、三ヵ国間及びその他の国々や国際機関と協力する手段について議論を行った」(「共同ステートメント」)ばかりである。こうして、北朝鮮の非合法な外貨獲得手段を絞り込む作業は、着実に進みつつある。
国際的同意を得た米国の方針
 最近日本が採った北朝鮮船舶に対する規制強化策や、汎用品の輸出管理強化策などは、もちろん以上の米国主導による国際協力の枠組みのなかに位置づけられる。四〜五月にオーストラリアが北朝鮮船舶から麻薬を押収したことや、六月に韓国で覚醒剤が押収されたことも、また五月にドイツが軍事転用可能なアルミ管の密輸を阻止したこともすべて同様である。米国のイニシアティブのもと、すでに「有志連合」は姿を見せつつある。
 四月二十三日から二十五日にかけて北京で開催された米朝中三ヵ国協議から、すでに二ヵ月の時間が経過した。この間の米国を中心とする国際社会の対北朝鮮アプローチは、「北朝鮮核問題の平和的・外交的解決」という一言に集約されると言ってよい。ブッシュ大統領自身が、「平和的・外交的解決は可能だと信じている」と言明しているほどであり、国際社会はもとより米国もまた、北朝鮮の核兵器開発を平和裡に解決することに強い期待をかけている。
 しかし、その一方で米国は、「すべての選択肢をテーブルの上に置く」と明言して「軍事的手段」に訴える可能性も排除していない。注目すべきは、こうしたブッシュ政権の姿勢にたいして、真正面から異を唱える国が存在しないという事実である。日本はもちろんのこと、北朝鮮の核問題を「必ず対話を通じて解決する」と強調する韓国ですら、「米国は何があっても絶対に軍事力の行使を避ける必要がある」と要求しているわけではない。実際、五月十四日に開催された米韓首脳会談においても、盧武鉉大統領は、ブッシュ大統領にそのような申し入れを公式に行うことはなかった。
 こうして北朝鮮核問題の「平和的・外交的解決」を目指すものの「軍事的オプション」も常に保持しておくという米国のアプローチは、国際社会に基本的に受け入れられたかの観がある。
 一時は、「イラクの次は北朝鮮が軍事攻撃の目標となるのではないか」という観測が米国内にはかなり強く存在していたことを思うと、現在のブッシュ政権の政策は、そうした懸念を杞憂に終わらせたことになる。いまのところ、ワシントンは北朝鮮にたいして早急かつ強硬に対処しようとする意図を有してはいない。ブッシュ政権は、少なくとも現時点において、「経済制裁」の発動に踏み切るつもりはないし、また、寧辺(ヨンピョン)の核施設にたいして「外科手術的な攻撃(surgical strikes)」を行う計画も現実の選択肢として位置づけられているわけではないのである。結局、リチャード・アーミテージ国務副長官が『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』誌(二〇〇三年六月十二日号)のインタビューに答えて述べたように、「われわれは急いではいない。外交が効果を挙げるまで時間をかけたいと考えている」ことになる。「経済制裁」や「外科手術的な攻撃」が真剣に検討されるのは、北朝鮮の孤立化徹底策や不正外貨獲得阻止策が失敗したと判断された後となろう。
 筆者は三月下旬から四月上旬、そして四月下旬から五月初旬の二度にわたりワシントンを訪れ、多くのブッシュ政権の高官・政策実務担当者たちと意見を交わしてきたが、それらを通じて得た印象は、以下のような考慮が働いているがゆえに米国は時間をかけて北朝鮮の核問題に取り組もうとしている、というものであった。
 その第一は、北朝鮮がいずれ一方的に譲歩してくる可能性が十分にあるとする一種の楽観論である。ブッシュ政権のある高官は、いま米国は北朝鮮を「箱のなかに入れているようなものだ」と説明してくれた。もちろん、その箱の一面には「無条件譲歩」という名の「出口」が開けてある。行き場を失った北朝鮮は、いずれこの「出口」から外に出て来ざるをえまいというのが彼らの思惑なのである。
 たしかに、昨年の秋以降の流れを振り返ってみると、ブッシュ政権の揺るぎのない一貫した姿勢が、いわば北朝鮮にたいする「箱」をつくってきたことが分かる。この間、ブッシュ政権は金正日総書記の「核の恫喝」に一切動じるところがなかった。二〇〇二年十月に北朝鮮が「高濃縮ウラン」(HEU)プログラムの存在を認め、米国との「直接交渉を通じた取引」を申し出たさいにも、ブッシュ政権はそれを一顧だにせず、むしろ朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が供給する重油を「一時停止」するという制裁的な措置をもって応えた。
 さらに、昨年の十二月から北朝鮮が寧辺の核施設の「凍結」を解除し、今年の一月には再びNPT(核拡散禁止条約)からの脱退を宣言したときにも、それを冷静に受け止める姿勢をとった。そして、北朝鮮の望む「米朝直接交渉」を頑として否定しつづけ、「多国間協議」の場に北朝鮮を引っ張り出すことに腐心し始めたのである。
 その結果、北朝鮮は、四月には米国の要求を受諾し、北京における米朝中三ヵ国協議に臨むことになった。これで、ブッシュ政権は「箱づくり」の作業にある程度自信を持つにいたったと考えられる。
広がる楽観主義とその根拠
 興味深いことに、筆者の見るところ、ブッシュ政権では「対北朝鮮強硬派」のなかに、以上のような「楽観主義」に立つ人物が多い。北朝鮮への関与政策を標傍する地域専門家が押し並べて悲観的なのとは、際立った対照をなしている。そこには、金正日総書記にたいする評価の変化が影響していよう。かつては、金正日といえば何をしでかすか分からない「予測不能」な指導者だと受け止められる傾向が強かった。それが変化してきているのである。
 二〇〇〇年六月の南北首脳会談を契機に、金正日総書記は外交の表舞台に登場するようになった。その結果、多くの外国人が彼と直接接触する機会が増え、「ある程度合理的な計算のうえに行動している」との評価が広がりつつある。金正日総書記が合理的な判断をなしうるのであれば、「生存」を最大の目的とする彼が「自殺的な行為」に出てくる可能性は小さいという観測が力を得ることにもなる。
 したがって「譲歩の道」さえ開けておけば、北朝鮮は暴発もしなければ冒険主義的な行動も採らず、最終的に一方的譲歩に踏み切って自らの政権延命を図ろうとするのではないか、という期待が生まれてくる。ブッシュ政権がけっして焦らず、じわじわと北朝鮮を追い詰めようとしている背景には、以上のような考慮が働いている。
 もとより、ある種の楽観主義が成立するためには、今後、北朝鮮が「危険ライン」(red line)を越えないことが前提となる。すなわち、第一に兵器級プルトニウムの量産に走らず、第二に弾道ミサイルの発射を行わず、そして第三に核実験に踏み切らないことが必要とされるのである。四月二十三日からの米朝中三ヵ国協議の場で、北朝鮮は核兵器を保有していると認め、また、八○○○本の使用済み核燃料棒の再処理がほぼ完了したと通告したが、米国はそれをもって「危険ライン」を越えたとは見なさなかった。
 このたび北朝鮮が認めたのは、過去一〇年われわれが疑ってきた「一、二発の核兵器保有」についてである。その段階を越えて北朝鮮が核兵器の量産に取り組んでいるとの確たる徴候がない現在、今回の北朝鮮の発言が米国を大きく刺激することにはならない。
 また、寧辺の再処理施設で兵器級プルトニウムが抽出される際には、クリプトンという物質が必ず出てくる。ブッシュ政権は、その点を注意深く観察したが、結局クリプトンは看取されなかった。もちろん、ごく少量であるならば、再処理施設を使わなくとも抽出は可能である。だが、それもまた「危険ライン」を越えたことを意味しない。
 ブッシュ政権が懸念しているのは、かりに二〇キロから三〇キロの兵器級プルトニウムが抽出されると、その一部分が必ず国際的テロリストの手に渡り、米本土への攻撃に(核兵器ではなくとも「汚い爆弾」として)使われるのではないか、という点にある。今回、北朝鮮自らが「爆弾発言」と呼ぶ、核兵器保有と兵器級プルトニウムの生産を誇示する発言は、その実態がきわめて曖昧であるがゆえに米国を驚愕させるには至らず、したがって、ブッシュ政権のタフな反応を招来することもなかった。こうして、ワシントンでは、依然として北朝鮮の譲歩に期待しうる状況が続いていると言ってよい。
 さらに、北朝鮮の核問題に対する中国の変化が、そうした米国の判断に拍車をかけている。昨年の秋以降、中国は明らかにこの問題をめぐって米国寄りのスタンスを採るようになってきた。中国のさらなる協力を得られるのであれば、北朝鮮を譲歩に追い込むのは十分可能だという考え方が増大してくるのは当然のことである。
 いまワシントンでは、「体制変革」(regime change)より「体制変容」(regime transformation)という用語が頻繁に使われるようになっている。金正日政権が一方的な譲歩に踏み出してくるのであればそれもよいが、かりに金正日総書記を排除して「政権交替」が実現したあとに、核兵器開発プログラムを完全放棄解体することになっても構わない、という考え方が頭をもたげてきているのである。
最も効果的なアングラマネー阻止
 北朝鮮の徹底的な孤立化を図り、非合法な外貨獲得手段を厳しく制限するという、いわば北朝鮮の首を「真綿で絞める」ような二つの政策を米国は追求してきたが、その効果を考えると、「真綿」よりむしろ「荒縄」で首を絞めつけているとの印象を与えるものである。われわれにとってみれば、「国際的包囲網の形成」ということになるが、北朝鮮にとっては国際社会での「決定的な孤立」を意味しよう。これほどまで、北朝鮮が国際社会から孤立したことはかつてない。冷戦時代には中国やソ連、あるいは非同盟諸国のなかに必ず北朝鮮に同情的な立場を採る国があったからである。しかし、この二ヵ月のあいだに、そうした構図は完壁に過去のものとなった。
 五月初旬のハワード豪州首相から始まり、韓国の盧武鉉大統領、わが国の小泉総理、ロシアのプーチン大統領、中国の胡錦濤国家主席、そしてG8サミットと、一連の首脳会談を通じてブッシュ大統領は以上の二点にかんする国際的なコンセンサスを形作ることに努めてきた。もちろん各国首脳の対応はさまざまであり、ブッシュ政権の推進する政策に「明示的に賛同」するものもあれば、他方「黙示的な同意」を与えるだけの国もあった。しかし、いずれにせよ、ブッシュ大統領は少なくとも北朝鮮の核問題に関して「基本的なコンセンサス」を形成することに成功したのである。
 そうしたブッシュ政権がいま特に力をいれて推進しようとしているのが、北朝鮮が非合法な手段で獲得している外貨の絞り込みである。それが北朝鮮の大量破壊兵器の開発に歯止めをかけるうえで有効であり、かつ金正日体制にも深刻な衝撃を与えることを、米国はきわめて重視していると言ってよい。六月四日に米下院外交委員会で証言に立ったジョン・ボルトン国務次官(軍備管理および国際安全保障担当)は、北朝鮮の主たる外貨獲得の手段は、(1)大量破壊兵器とりわけミサイル本体・技術・部品の売却、(2)麻薬取引、(3)不正送金の三つであると指摘した。
 米国のインテリジェンス・コミュニティの推計によれば、北朝鮮は、ミサイル売却で約六億ドル、麻薬取引で約五億ドルの収入を年間で得ていると言われる。不正送金については寄せられる情報に隔たりが大きく推計が困難だが、少なくとも日本からの不正送金については一九九五年以降確実に減少しつつあるとの見方をとっている。他方、不正送金の減少と反比例して、日本での覚醒剤取引が増大しているとの判断も有力である。
 昨年の秋から、ブッシュ政権はこうした北朝鮮の外貨獲得手段の絞り込みを真剣に検討し実行に移し始めたと思われる。昨年の十一月に二週間ほどワシントンに滞在した際、ブツシュ政権の面々と意見交換するときに必ずと言ってよいほど話題にのぼったのがこの問題であった。それぞれの国の現行法に依拠して取り締まりを強化した場合、どのくらい効果があがるのか。国際的な協力関係を形作るうえでの課題は何か。非合法な外貨獲得手段を厳しく規制したさいに、北朝鮮に与えるインパクトはどのようなものが予想されるか――そうした問題をめぐり、さんざん議論を重ねたことをよく覚えている。
 ミサイル、麻薬、不正送金のいずれをとっても、それらを規制するために日本が果たしうる役割は非常に大きい。そのなかで、現行法で十分対処できるのは前者二つである。ミサイルについては、まず日本からの汎用品の対北朝鮮輪出を厳格にコントロールすることが緊要となる。また、購入相手の翻意を促すことが必要とされるが、たとえばイランにたいしては、日本は米国以上に影響力を有していると考えられる。すでに、イラクという重要な売却先を失い、パキスタンやイエメンへの輸出もきわめて難しくなっていると見られる現状において、イランが北朝鮮からのミサイル購入を断念するのであれば、それは相当なダメージとなって金正日政権を痛撃するはずである。したがって、イランへの働きかけを、わが国は一段と強化する必要がある。
 麻薬に関しては、その取引の中核を占める覚醒剤の最大のマーケットが日本であると推定されていることから、われわれはまず、日本国民とくに若年層の健康・安全と社会の治安を確保するためにも、大々的な「覚醒剤撲滅運動」を開始しなくてはなるまい。日本国民の身体を蝕み、日本社会の治安を悪化させる代価として得た資金で、北朝鮮は日本を射程におさめる弾道ミサイルのさらなる開発配備に努めるという「悲惨な構図」に、一日も早く完壁な終止符を打つことが求められる。
 そのためには、警察、入管、税関、海上保安庁、国土交通省、さらには海上自衛隊も含めて横の連携を強化し、政府官邸の一元的なコントロールのもとに、有機的に取り締まりができるような体制の構築が必要とされるはずである。すでに、小泉政権は、北朝鮮とのあいだの「ヒト・モノ・カネ」の往来を厳格に監視し、非合法なものについては厳しく規制・防止するために、関係各省庁の横の連携を強化しつつ対応策を練る方向に乗り出し始めた。歓迎される動きである。当面のところ、そうした努力の最大の対象は、覚醒剤の撲滅にこそ向けられるべきであろう。それは、対北朝鮮対策の枠を超えて、われわれが早急に対処せねばならぬ課題だからである。
 これまで、北朝鮮は非合法な手段で得てきた外貨を、経済の再建や国民生活の向上に使用した形跡をまったく残していない。金正日総書記は、そうした外貨を大量破壊兵器の開発に向けるか、あるいはエリート層の「忠誠」を繋ぎ止めておくための彼らへの「特権供与」の手段としてのみ活用してきたものと思われる。そうであればこそ、経済が破綻しようとも、また未曾有の食糧不足に見舞われようとも、金正日政権は命脈を保つことができたと言えるだろう。一般大衆は困窮に喘いでいても、金正日総書記と彼を支える軍幹部などのエリート層の生活が根底から脅かされることはなかったからである。
 だが、その外貨獲得手段を絞り込むことによって、いま国際社会は、非合法な活動を放棄して国際法を遵守し国際的規範を尊重する国家に生まれ変わるしか「生存の道」はないという重い現実を、金正日政権に対して突きつけている。手にする外貨が今後次第に先細ってゆくと、金正日総書記は、「大量破壊兵器」と「エリート層の特権保障」の二つを天秤にかけて、どちらか一方の選択を迫られることになると考えられる。そのさい、金正日総書記が放棄するのは大量破壊兵器のほうではないだろうか。もとより、その可能性はいまのところ決して高くはない。だが、その可能性がごくわずかであれ存在するかぎり、そしてそれを導くうえで非合法な外貨獲得手段を阻止することが有効だと考えられるかぎり、われわれは努力を惜しむべきではないと思われる。
著者プロフィール
伊豆見 元 (いずみ はじめ)
1950年生まれ。
中央大学法学部卒業。上智大学大学院修了。
平和・安全保障研究所主任研究員、静岡県立大学助教授、米ハーバード大学客員研究員等を経て現在、静岡県立大学現代韓国朝鮮研究所センター所長。
 
 
 
 
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