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2001/10/10 産経新聞朝刊
「新・世界学講座」「個人崇拝と国家−金正日の政治スタイル」/伊豆見元氏
 
 国際政治の現状を基礎から説き起こす「新・世界学講座」(産経新聞社/関西2001委員会主催)の第1回講義が先月、大阪市内で開かれた。講師の伊豆見元・静岡県立大教授が「個人崇拝と国家−金正日の政治スタイル」というタイトルで、北朝鮮における金正日体制の実態を説いた。教授は「自己満足のためではなく、国家をまとめ、体制を維持するための手段として、個人崇拝という方法をとっている」と分析。「金正日の関心は自らの地位の維持だけであり、国家の生き残りではない」と断じ、今後、金正日が改革によって真剣な国の立て直しに乗り出す可能性を否定した。
 ◆金正日の最大の関心は権力の維持
 ■強要された崇拝
 北朝鮮は世界でも稀な個人崇拝の国だ。金正日が国防委員長と朝鮮労働党の総書記をつとめ、名実ともに北朝鮮のナンバーワンだが、金正日に対する個人崇拝は徹底している。
 北朝鮮で金正日は「わが人民だけではなく、全世界の絶対的な尊敬と称賛をうけられ世界革命の公認された首領、二十一世紀の偉大な太陽であられる」と言われている。神のようにあがめたてまつられているが、一般の人にとっては、崇拝を強要されているといったほうが妥当だ。
 北朝鮮では権威は一切、金正日に集中する。業績をあげれば、それはすべて金正日のもの。彼には失敗も誤りも錯誤もない。問題が生じたときは、ほかのだれかが責任をとる。経済がうまくいかなければ、北朝鮮が悪いのではない−と外に責任をおしつける。どこからも侵食されることのない権威が確立されている。
 「あなたがいなければ祖国もない」という金正日をたたえる歌がある。金正日がいなければ、北朝鮮はこの世の中に存在しないという内容だ。今の北朝鮮での金正日と国民との関係を象徴している。
 こうした個人崇拝は、神格化にも等しいが、この傾向は、(金正日の父親の)金日成の時代からすでにあった。一九四八年九月九日に北朝鮮が建国され、金日成はその時代から北朝鮮を統治してきた。だが、彼の神格化が明確に始まるのは、七〇年代になってからだ。金日成は九四年七月に死去するが、その神格化プロセスで金正日は大きな役割をはたしてきた。金正日は七〇年代前半から後継者と目されていた。二十年以上もその準備を進めてきたが、最も力をいれたことは、父親の神格化、個人崇拝だった。金日成が亡くなった現在、異様としか映らない国家形態が北朝鮮にとってなぜ必要なのか。
 金正日が満足感を得たいがために、個人崇拝、神格化を進めてきたと考えるのは正しくないだろう。金正日は、国民が心の底から自分を崇拝しているというのはうそで、いわば面従腹背だ、とさめた目でみているらしい。そういうことを何度も口にしていると伝えられている。それでもなお、個人崇拝は必要と考えている。絶対的な権威に忠誠をつくさせるという方法をとらなければ、北朝鮮という国はまとまらない、そうしなければ分派ができて国家が瓦解しかねない−と考えているからだろう。
 ■「孝忠」が混然一体
 朝鮮半島の人たちは、個々の能力はあっても、団体で動くのが不得手といわれている。社会主義体制を標榜(ひょうぼう)し、朝鮮半島の人を集団主義に適応させるためにも、絶対的な権威を君臨させて、そこから出られないようにすることが必要なのだ。
 儒教の伝統もあるが、北朝鮮では、国家など多種多様な要素が混じっているものへの国民のロイヤルティーは、親、家族、親せきなど近しい者に対するロイヤルティーには、比較にならないほど及ばないと考えられる。そこには、朝鮮の伝統的な社会意識、思考方式がある。そういう儒教的な観念が北朝鮮には残っている。権力を握ってきた人たちは意図的にそれを利用して国を治めてきた。忠と孝を考えれば、孝が忠に優先する「孝忠」だ。日本の儒教では、忠は孝より上だが。
 「孝忠」を貫くのは近代化プロセス、社会主義体制にとっては難しい問題だ。そこで金日成、金正日がどうしたか。彼らが国家の指導者であり、同時に一種の家父長であり、北朝鮮人民の親であるというある種の疑似家族化をはかることだった。家父長に対する孝、忠誠が混然一体となった一番いい方法だっただろう。それによって、きわめて独裁的な体制ができ、分派、権力闘争の芽がつまれてきた。
 金日成は、北朝鮮で一貫して指導者の立場にあったが、当初は権力層にいろいろな派があり、必ずしも一枚岩ではなかった。金日成へのチャレンジが試みられ、ひやりとさせられたこともあった。金日成は、権威、権力に挑戦するグループを十年ぐらいかけてつぶしていった。そして、七〇年代から神格化がはじまった。それは予防措置だったと言っていい。絶対的な個人崇拝の体制をつくっていかなければ権力に挑戦する者がでてくる−ということを知っていたからだろう。
 金正日も絶対的な個人崇拝で国をまとめあげている。もちろん国民が心の底から金正日を慕っているということではないにせよ、少なくとも今は金正日の権力に挑戦するグループが存在するとは考えられない。それを裏づけるのは七月終わりから八月はじめにかけて、金正日がロシアを列車で訪問したことだ。彼は往復で約三週間、国をあけた。長期間、首都を留守にできるのは、権力基盤が安定し、深刻なチャレンジがないからだ。
 ただ、個人崇拝を徹底し、国民をひとつにまとめあげてしまったから、とりあえず安心、安泰か、といえば、必ずしもそうとはいえない。
 金正日が自らの権力に絶対的な自信をもっているとは考えられない。彼は軍に対して相当な神経を使い、かつ優先的な措置をとっている。軍にいつかひっくり返されるかもしれないと思っているのだろう。そういう兆候があるのかといえば、今のところはないが。金正日は軍を警戒しながらも、同時に依存して、前面に押し出して国を動かそうとしている。矛盾しているようだが、金正日の政治スタイルの重要なポイントだ。
 九四年七月に金日成が亡くなったが、金正日はすぐに後を継がなかった。父親は国家主席、朝鮮労働党総書記で、国家元首であるとともに朝鮮労働党の最高ポストにあった。
 ■先軍・仁徳政治で
 その金日成が亡くなったあと、だれもがすぐ父親のポストを継いでもらいたいと思っていたが、金正日は拒否した。「喪に服す」ということだった。一年間の服喪かと思ったら、三年に延びた。その間、金正日は軍のすべての部隊を回った。金日成は半世紀にわたって北朝鮮を統一してきたが、全部隊をまわったことはない。金正日はそれをした。各部隊の軍人と接し、師団長クラス以上の人事は自ら面通しをしてから行っていった。昇進のバーゲンセールのようなこともしたが、軍に対して優遇措置をとることによって、ようやく本人は達成感を持ったのだろう。そして、九七年にはじめて党の総書記になる。
 いかに軍に気を使っていたかがわかる。自分に刃向かってくるのではという警戒心がある一方で、頼れるのも軍だということだ。命令に従って動く組織は軍しかない。党が、ツルの一声で動くかというとそうではない。実際、金日成の死後、軍は金正日の求めに十分応えてきた。軍をある程度掌握したという自信が生まれたところで彼は自ら総書記に就任した。九八年以降、金正日は先軍政治という言葉を使い始めた。軍優先政治ということだが、金正日の政治の中心のひとつだ。
 もうひとつ、金正日には仁徳政治というのがある。一方に先軍政治があり、他方に仁徳政治があって、それぞれ国を支えている。仁徳政治というのは、国民に恩恵を施す代わりに、国民は絶対的な忠誠を金正日に誓えということだ。何の恩恵があるのか。物を与えることは、経済が悪いのでできない。金正日の恩情、愛情ぐらいだ。愛情を注いでもらった北朝鮮の人たちは金正日に絶対的な忠誠を誓う−。これが北朝鮮あるいは金正日の政治だ。
 権威だけで自分の権力が安泰だと必ずしも金正日は思っていないはずだ。彼の軍に対する姿勢を見ればわかる。だから個人崇拝を進めるためには、権威を高めることも必要になる。そのために、どんなことをしているのか。金正日は外交でいろいろ始めているが、これを自らの権力を高めるために利用している。
 昨年六月、南北首脳会談を行った。金大中(韓国大統領)を呼びつけた形になっているが、金大中との間で首脳会談をやるなら、金正日がさきにソウルへ行くべきだ。金正日のほうが若いのだから。それが逆だったので韓国の立場からは失礼だということになるが、北朝鮮からすると、格が下であれば年上でも向こうからやってきてかまわないということになる。金大中がわざわざ平壌にやってきたということは、金正日のほうが偉いということになり、金正日の権威を高めることになる。
 ロシア訪問について、北朝鮮はどう総括、評価しているか。金正日の権威を明確にし、いかに金正日が絶対的な権威を世界に対してももっているかが明らかになったという位置づけだ。
 三つのことがいわれている。一つは、金正日が「共産主義的道徳義理」、父親に対する道徳的な義理をはたしたということだ。
 金正日がしているのは金日成が生前、行おうとしていたことであり、父親がやり残した問題をすべて実現させ、父親の偉大さを後世に伝えようとしているということだ。
 それを特徴づける話として何があるか。金日成も八四年にロシア、東欧に一カ月の長旅をしたが、そのときは、金正日が国を守っていた。金日成は息子がいたからできたが今回、金正日は留守を守る人がいなかったにもかかわらず、三週間も国をあけた。そこまで権力を安定させておいて、しかも今回、金日成と同じルートを通って父親の足跡を残そうとした。これで父親に対する義理をはたしたと北朝鮮国内ではいわれている。
二つ目は、社会主義運動の首領であることを世界に印象づけたということ。金正日はモスクワでレーニン廟に詣でた。各国の元首、共産党の連中が行くことのないなかで、一人金正日が詣でて、社会主義の正統性を継いでいるという論理だ。
 三番目は、非凡な外交知略をあますところなく示したということ。北朝鮮は、モスクワ訪問を通じ、アメリカを孤立させたと宣伝しているが、その後がすごい。「世界政治を意のままにする大国、北朝鮮こそが国際関係の中心であり、世界中の人々が称賛している」と。実態とはかけ離れた話だが、国内的にこういうことを言って、個人崇拝を深めている。
 ■自らの生き残り法
 北朝鮮の現在の最大関心は何か。体制の生き残りだ。だが、金正日は国家としての北朝鮮の生き残りではなく、自分の権力の維持だけを考えていると言ってよい。
 金正日は、外、つまりアメリカなどからの圧力でつぶされるかもしれないという不安を抱いている。そもそも、格差が開いてしまっているので韓国と国力では勝負にならない。軍事力も韓国のほうが上だ。中国、ソ連はかつて北朝鮮を支えてくれたが、ソ連は崩壊してしまった。最近はロシアとの関係はよくなったが、北朝鮮にモノをくれるわけではない。中国の援助にも限界がある。北朝鮮は中国がソ連の代替をしてくれることを期待していたが、中国が実際にしたことは、むしろ九二年に韓国と国交を正常化したことだった。韓国は強すぎ、ソ連はつぶれるし、中国は冷たい。
 金正日が国家を維持するために必要−という前提で、韓国、アメリカとの話を進めるというのであれば、簡単にアメリカ、日本、韓国と共存関係ができるだろう。金正日体制がもたなくなる可能性はあるが、北朝鮮という国は盤石になる。しかし、金正日はそういうことはやりたくない。自分のことしか考えていないからだ。経済の改革開放をやれば、政権が揺さぶられるかもしれない。だが、それをすれば経済はよくなるし、北朝鮮の人たちが飢餓の危険にさらされることもなくなる。にもかかわらず、金正日はそうはしないだろう。彼の考えているのは、本人の生き残りであり、北朝鮮という国家の生き残りではない。金正日もいろいろやっており、いい方向の変化も見え始めている。しかし、金正日がその政治スタイルを貫く限り、結局は中途半端に終わる可能性が高い。(文中敬称略)
著者プロフィール
伊豆見 元 (いずみ はじめ)
1950年生まれ。
中央大学法学部卒業。上智大学大学院修了。
平和・安全保障研究所主任研究員、静岡県立大学助教授、米ハーバード大学客員研究員等を経て現在、静岡県立大学現代韓国朝鮮研究所センター所長。
 
 
 
 
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