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2002/12/20 『拉致家族との6年戦争(扶桑社)』
北朝鮮はなぜ日本人を拉致するのか
西岡力
 一九九一年一月、有本恵子さんらの拉致に関する報道を受けてまとめたのが、この論文だ。現代コリア研究所の資料ファイルをもとに拉致の全体像を書いてみたものだ。今読んでみても、横田めぐみさんと曽我ひとみさんの件以外は、現在問題となっている事件はすべて書かれており、分析もほとんど間違っていなかったと思う。前年の九〇年九月、金丸信氏の訪朝があり、この年から翌年にかけて八回、日朝国交正常化交渉が行われた。しかし、その席で拉致問題はほとんど取り上げられなかった。日本政府はこの時点で拉致に関して確証を持っていなかったのか。そうではない。本書資料1に収録したように、この論文発表の三年前、八八年三月の参議院予算委員会で梶山静六・国家公安委員長が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」という歴史的答弁を行っているのだ。知っていながら、日本政府は被害者を見捨てたのだ。そしてマスコミも共同通信、朝日新聞、毎日新聞、NHKなどが九〇年代金日成との会見を行ったが、国会で日本政府が認めた拉致についてまったく質問しなかった。
 「10年前欧州で蒸発の3日本人、『北朝鮮にいる』と手紙、自分の意思で行ってない?」
(『産経新聞』一九九一年一月七日夕刊)
 「日本人学生3人ヨーロッパで謎の失踪。そして北朝鮮から手紙が」
(『週刊文春』一九九一年一月十七日号)
 正月休みがあけてすぐ、右のような見出しの新聞、週刊誌の記事に接した多くの日本人は、また北朝鮮がらみで気味の悪い事件が起きたぞという感想を持ったのではないか。
 後述するように北朝鮮は、少なくともこの三人を含めて十数人の日本人を拉致し十通近くの日本人のパスポートを偽造している疑いが高い。ではこれら日本人は北朝鮮でどのように使われ、北朝鮮にとってどういう利用価値があったのか、というのがこのレポートのテーマである。
 本題に入る前にまず、このヨーロッパで失踪した三人について、これまで『週刊文春』と新聞各紙が報じたところをまとめてみよう。
●一九八八年九月、北海道のA[石岡亨]さんの家族のもとにポーランド消印のエアメールが着いた。開封すると、八〇年ソ連経由でヨーロッパに観光旅行に行き、同年四月マドリッドからの絵ハガキを最後にプッツリと連絡がなくなったAさんからの、次のような内容を含む手紙だった。
「事情あって、欧州に居た私達はこうして北朝鮮に長期滞在するようになりました。基本的に自活の生活ですが、当国の保護下、生活費も僅かながら月々支給を受けて居ります。ただし苦しい経済事情の当地では長期の生活は苦しいといはざるを得ません。とくに衣服面と教育、教養面での本が極端に少なく、三人とも困って居ります」
●封筒の中には、三人の氏名、住所、パスポートナンバー、そして署名があり、各自のスナップ写真が入っていた。
●Aさんといっしょに暮らしているというB[有本恵子]さんは、神戸出身で、八二年四月からロンドンに語学留学した。八三年六月に「八月九日帰る」と連絡したが急に中止し、帰国予定の二ヵ月後の十月に貿易関係の仕事をしているなどという内容のハガキがコペンハーゲンから送られてきて以来、まったく消息が途絶えている[十月のハガキは偽装用で、恵子さんは六月に拉致されていた]。
●もう一人のC[松木薫]さんは熊本出身で、八〇年三月スペインのマドリッドに語学留学に行き、同年四月にマドリッドから絵ハガキ一枚を送ってきた後、行方不明になっている。
●この三人は日本ではお互いにまったくつながりがない。また、学生時代に北朝鮮や左翼などの活動にもいっさい関係がなかったことが明らかになっている。
●『週刊文春』の取材によると、Bさんは八三年朝鮮労働党連絡部幹部と接触し、ヨーロッパを一緒に旅行していたことが確認されているという。この幹部は同時期に少なくとも六人の日本人女性と接触し北朝鮮に連れて行くなどの活動をしている。
●Aさんのパスポートナンバーと酷似している三通の偽造パスポートを、よど号ハイジャック犯柴田泰弘と日本赤軍コマンド戸平和夫が所持、使用していたことが明らかになっている。
 これだけの証拠があれば、そしてこれまで北朝鮮が起こしてきた同種の事件からして、同国が三人を拉致した疑いはたいへん高いといえるのではないか。
 たしかにそうだとして、犯罪には当然動機がある。北朝鮮がなぜ日本人を拉致するのかだが、これまでの例からして次の三つの動機が考えられる。第一は、自国が展開している非合法工作活動を日本人に目撃され、そのままにしておくとその活動の実態が公にされてしまうと判断した場合だ。第二は、工作員を日本人に仕立て上げるための教師としてである。第三は、日本人のパスポートを奪い、その日本人になりすまして海外旅行をしたり、偽造パスポートを作る材料として使うためである。
 
 
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