◆政府不信招く拉致問題での弱腰
このような、外務省というより政府不信の声が起きているもう一つの大きな理由は「拉致」に対するわが国政府の態度である。昨年八月の北京での日朝予備交渉で外務省は拉致問題を提起した。北朝鮮は「当方に関係なきこと」として全面否定をした。すると同省は「拉致」を「行方不明者」の「消息確認」として「日朝赤十字連絡協議会」で話し合おうと提案、北朝鮮は黙認したという。しかし翌九月の「連絡協議会」で外務省が「行方不明者」の「消息確認」を求めたのに北朝鮮は相手にもしなかった。
それなのに日本人妻「里帰り」問題は「拉致」問題とは無関係に進行している。トラブルがなければ本誌が発売される頃には第二次の日本人妻の里帰りが終了している筈だ。これはどういうことかといえば、政府は「拉致」問題を棚上げにして日朝の関係改善(里帰り推進、コメ支援、日朝交渉再開)を進めるという態度表明に他ならないのである。
わが国政府は、日本人が北朝鮮に十人拉致されていることを認めている。そのテロ国家北朝鮮とわが国が何故「拉致」問題を棚上げにして関係改善を急がなければならないのか。このことが国会でどのように論議されたのか寡聞にして知らない。外務省関係者の断片的な発言を総合すると、(1)北朝鮮との外交ルートを確立する(これは外務省に特に強い要望があるようだ)(2)米韓を念頭に置いた国際協調の必要性(3)北朝鮮を追い詰めると戦争の危険性が高まり、日本の安全に懸念が生じる、以上三点に要約できそうだ。
当局者は誰も口にしないが、事実の経過を見れば分かるように以上三点の「大義」のために被拉致家族は当分の間我慢してほしいと言外に言っていることになる。これとは別に自民党野中広務幹事長代理や社民党伊藤茂幹事長などは「拉致」に対して「日本はかつて朝鮮を植民地支配した。その時に朝鮮人を強制連行し酷い仕打をした。この事実を念頭に置いて北朝鮮に対処しなければならない」という趣旨の発言をしている。この人たちも言外に強制連行に比較すれば日本人十人ぐらいで騒ぐのはおかしいといっていることになる。なぜなら彼らは被拉致者救出を口にしたことがない。
なぜこんなことになるのか。植民地支配に対する「贖罪意識」を持っているからだ。具体的には「植民地支配は誤りで申し訳ありませんでした。罪の償いとして北朝鮮の希望通り尽くしたいと思います」というものだ。従って、日本人の「拉致」救出よりも北朝鮮幹部の希望を優先することになる。通常このような人物を「売国奴」と呼ぶ。
だが、連立政権で社民党は別にして、自民党内には拉致を重大な主権侵害と人権蹂躙と位置づけている政治家集団がいる。昨年十一月の与党訪朝団は総勢九名。内自民党は五名、その中には拉致議連の幹部三名が含まれていた。この構成に見られるように自民党内で無視できない勢力である。事実、朝鮮労働党との公式会談の場で中山正暉拉致議連会長は「拉致」問題を「側で聞いていてハラハラするほど、また、もう止めればよいと思うほど執拗にやった」(成田空港での森団長の記者会見での発言)という。
考えてみれば当たり前のことなのだが、従来のわが国の北朝鮮外交は謝罪ばかりして、言うべきことを言ったことは一度もない。今度は主張すべきは主張したという点では特筆大書すべきことである。北朝鮮は最終的に「一般行方不明者」として調査を約束した。今日まで外務省、与党、中山会長にも連絡はないが、今まで日本をナメきってきた北朝鮮に対して、日本の与党が「被拉致者」の釈放を正面切って求めた。また、中山議員が“神様”金日成の遺体に頭をさげなかった。この二つが彼らに与えたショックは計り知れないものがあったと推定される。
さて、(1)であるが、省益などを基準にして物事を判断すれば必ず誤りを犯すことになる。このように書くと当事者は否定すると思うが、本当にそうでないというのなら前述のように五〇%近い人たちが氏名の公表を避ける不自然な里帰りをなぜ推進したのか。もっといえば本人、家族双方が望んでいる人たちの「里帰り」をなぜ実現しようとしなかったのか。
それを主張すれば北朝鮮が難色を示すことは火を見るより明らかである。こうしたら実務的手続きのために時間が掛かり、里帰りが何時実現するか分からなくなる。「里帰り」が実現できなければ北当局の目的である日本からの食糧支援や請求権資金の獲得が覚束なくなる。だが、彼らにどんな事情があるにせよ、わが国には日本人妻の「里帰り」を急がなければならない理由は皆無である。それなのになぜ人道に即した主張をせず、北朝鮮の一方的な主張に同調しあのような犯罪的とも言える「合意書」にサインしたのか。それは「外交ルートの断絶」を恐れたからではないのか。
北朝鮮は「里帰り」の合意書ができても一向に名簿を送ってこなかった。期限ぎりぎりの一カ月目の十月九日に、日本政府が国連を通じた北朝鮮へのコメ約七万トン(三十四億円)の援助を閣議決定すると、同日名簿が届いた。ことの推移を素直に見れば、わが国は日本人妻の「里帰り」のレンタル料三十四億円を支払ったことになる。こんな信じがたいことが行われているのもやはり「外交ルートの断絶」を恐れた結果ではないのか。
日本に外交ルート確立という命題があれば、必ず足下を見られる。しかし、外交ルートがなくなって困るのは日本ではなくて北朝鮮なのだ。北朝鮮が昨年三月以降手の平を返したように日本に言い寄ってきたのは日本のコメとカネがほしいからだ。政府は何を勘違いしているのか。
次に(2)の国際的協調であるが、主体性なき「協調」など有害ですらある。わが国は米国と違って北朝鮮に国民を十人以上も「拉致」されている。何はさておき自国民の救出が最優先との主張に、何故米国は理解を示さないのだろう。現に昨年四月橋本首相は米クリントン大統領から北朝鮮への食糧支援要請を受けたが、「拉致」などを理由に拒否した。それで日米関係に何か支障が起きたのだろうか。起きているのなら事実を公表してほしい。
クリントン政権の対北朝鮮政策は、理解不能のことであるが金正日政権を支援することが米国の国益に適うと思っている。北朝鮮に国民を「拉致」されているわが国の国益が米国のそれと同じであるはずがない。あくまでもクリントン政権が食糧支援を要請するのであれば、米国が日本人被拉致者釈放に協力し、釈放が実現したら食糧支援を検討する、と答えるべきだ。この主張は主権国家ならどこの国でも口にすることで、特に立派なことを言っているわけではない。なぜ、それを言わないか。
小渕外務大臣は、国連などの食糧支援に応じないとわが国が国際的に孤立すると言っている。だが、主権侵害されてもそれを問題にもせず「国際協調」を理由に、日本人を「拉致」したテロ国家北朝鮮にコメ支援をする政府は、尊敬はおろか逆に相手からも馬鹿にされるであろう。それは主権を侵害されても怒ることも出来ず、援助を続ける腑抜けの政府ということだ。昨年の八・九月の二回の北京交渉の後、北朝鮮の幹部が船で日本に来て、朝鮮総聯の幹部活動家を船に集め「二回の北京交渉は我が方の全面勝利であった。これで日本からコメとカネを取れる見通しがたった」と説明している。これが「国際協調」の実体である。
(3)は昨年の本誌十二月号で言及したので重複を避けるが、この主張を一言で要約すれば、組織暴力団を追い詰めると地域住民に危害が及ぶ恐れがある。だから暴力団を追い詰めてはならない――というのと同じで本末転倒である。こんな見当外れの主張が政府与党内を大手を振ってまかりとおっているのは自国民が十人以上「拉致」されてもなお「拉致」した北朝鮮をテロ国家と認識できない「思想的去勢」状況に陥っているからだ。コメ支援を主張している「専門家」とても例外ではない。
特に自民党野中広務・社民党伊藤茂両氏に代表される「植民地支配云々」の発言であるが、それと北朝鮮が一九七〇年代後期日本人を「拉致」したこととどういう関係があるのか、ないのか、両氏にお答え願いたい。昨年十一月与党訪朝団の交渉の席で、拉致議連の幹部が拉致問題を取り上げた。すると北朝鮮は野中・伊藤氏とまったく同じように「強制連行」などを持ち出して反論してきた。これは偶然の一致なのだろうか。
また、両氏とも植民地時代に日本の国家権力が朝鮮人を強制連行した、と色々のところで発言しているが、口にするからには根拠があるはずだ。何時どこで誰が、誰をどんな方法で「強制連行」したのかお聞かせ願いたい。そもそも「強制連行」とは具体的に何を指すのか。若し徴用や徴兵を指すのなら当時の日本人の軍人・軍属も強制連行されたことになる。にもかかわらず何ゆえに朝鮮人だけを問題にするのか。以上の問いに両氏は是非とも答えて欲しい。若し、答えることが出来なければフィクションを真実だと偽って政治宣伝をしていることになる。その責任は重大である。
以上を見ればわかるようにわが国の政府は、(1)屈辱的ともいえる里帰り合意書に同意(2)主権侵害・人権蹂躙の拉致を棚上げにし(3)「日本人妻里帰り」レンタル料三十四億円を支払った(4)里帰りの人選は北朝鮮が一方的に行い(5)北朝鮮監視員の随行を認め(6)里帰りという名の金正日「個人崇拝・宣伝隊」を日本の税金で受け入れたが(7)わが国の市井の民は「里帰り」婦人を見て「可愛くないね」と冷たい反応を示している。
これだけ国家の自主性を放棄し、屈辱的条件をのんでわが国の政府は一体何を手にしたのか。外務省益の「外交ルート」を残しただけではないのか。こんなルートなら無い方がよい。
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