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1997年12月号 『正論』
金正日帝王で「北」は崩壊する
佐藤勝巳
◆(一)
 今回の金正日「総書記推戴」騒動を見ていて「やっばり」というのが筆者の率直な感想であった。それは金正日が朝鮮労働党の規約とは無関係な非合法的な就任の仕方をしたことだ。就任二日後の十日付労働新聞は「実務的な手続きによってではなく、全党的な一大政治的事業として党の最高指導者を推戴したことは、労働者階級の党建設の歴史にこれまでなかった出来事である」と彼ら自身が党規約に拠らない選出であったことを認めた。
 筆者が本誌紙上などで再三指摘してきたことであるが、金正日には一九九三年四月の最高人民会議を最後に、公式の場で党の肩書が付かなくなっていた。その理由は、金日成に失政の責任を問われ、謹慎処分を受けた結果である。肩書使用を禁止した翌年七月、金日成は死亡してしまった。“神様”金日成の指示は誰も撤回できない。党の肩書を使用できない金正日が、党中央委員会総会に出席できるはずもないし、ましてや総書記に選出されることなどあり得ない。
 そこで金日成死亡後、金正日は、党と国家機関をまったく無視し、軍を背景に自分の気に入った側近たちを集めて政治をやりだした。厳密に言うと金日成死亡直後は姜成山首相(当時。現在は誰が首相か不明)ら政府テクノクラートたちは、金日成の「遺訓」である韓国との経済協力などによって経済の再建を図ろうとした。それを正面切って否定したのが、九四年十一月四日労働新聞に発表された「社会主義は科学である」という長文の金正日論文(これにも党の肩書はない)である。
 この論文の五日後の九日、金正日は「重大放送」で軍の最高司令官の肩書で、まったく管轄外の政務院に対して土木工事の推進を命令した。この二つの「事件」は後継者としての力の誇示であり、これが事実上の権力掌握宣言であった。この事件以後党と国家機関無視の「取り巻き政治」が本格的に始まった。金正日の思いつきによる勝手気ままな「政治」が、今日まで続いて来た。こうした経過から、金正日の総書記就任には非合法的な手段しか残っていなかったのだ。「やっばり」という筆者の感想は以上の事情によるものである。
 筆者は本誌などで九四年十一月以降も経済建設を巡って「北朝鮮権力内部に路線対立がある」と書いてきた。だが、亡命した黄元書記の説明は「側近の書記たちも内心は改革開放が必要だと思っているが、身の安全を考えて誰も口にしない」と言っている。
 だが、路線対立はあったし、今もあると思われる。昨年九月の羅新・先峰経済特区の投資説明会は金正日の承認を得て行ったものだ。三日後起きた潜水艦座礁に伴うゲリラ戦も金正日の許可をえてやったものである。しかし、この二つの行為は相反する政策であるが、金正日はそう思っていない可能性が極めて高い。
 政府テクノクラートが金正日に会って投資説明会をするといえばゴーサインをだす。軍がいって韓国へのゲリラ投入の必要性を説けばゴーサインを出すというトータルな政策を持っていない人物だ。
 皮肉なことに金正日が政治家として能力、適性を欠いていることが路線対立の抑止力となっている。いなくなったら内部対立の顕在化は避けられない。ただ、よく分からないのは黄元書記が、韓国に亡命した後も労働新聞は「社会主義背信者」(裏切りもの)攻撃を続けている。具体的には誰を念頭に置いて攻撃しているのか。この事実が何を意味するのかは今後の研究課題と思っている。
 
 
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