◆現実を見ない朝日・田岡論文
北朝鮮を日本人の常識で測ったのか。それとも別な意図があって書いたのか、水準が低いのか不明であるが、一九九五年十二月十二日付朝日新聞に掲載された同紙田岡俊次編集委員の署名入記事「北朝鮮−在日米軍の存在理由」「“脅威”と実態に落差」は、見過すことのできない重大な内容をもったものである。
このかなり長い記事を要約すれば、次のようになる。米国のペリー国防長官らが、北朝鮮の脅威をしきりに説くのは、旧ソ連が崩壊し、中国には米国の兵器の部品などを輸出しようとしているので、ロシア、中国の脅威を説くのはむつかしい。そこで北朝鮮の脅威を強調、在日米軍が日本に駐留する妥当性を作り出そうとしているが、米軍のいう北朝鮮脅威論は、実態を反映したものではない、というのが田岡編集委員の論旨である。
その「証拠」として、北朝鮮の石油や食糧がいかに逼迫しているかを数字をあげて説明している。次に、南北の軍事力を比較し、駐韓米軍を除外しても空軍では韓国側が優位であるという。予備役(軍)についても韓国側が優位。そのうえ核施設は閉鎖し、中距離ミサイル・ノドンワンの開発も資金・技術問題で停滞していると推定している。
核爆弾一、二発分のプルトニウムを生産している可能性はあるが、起爆装置の技術、ミサイルに搭載可能な原爆小型化の技術も必要と書いているが、それの開発状況がどうなっているのか、もっとも重要な点の言及はみられない。
また、北朝鮮は、スカッドミサイルなどをもっており、化学弾頭を付けソウルに撃ち込むとか、一部航空機が超低空でソウル上空に侵入、爆弾を落すことは可能だ。特殊部隊が韓国軍の制服を着用、韓国の内部攪乱を図ることも可能と書いている。だが、北朝鮮がそれを実行する意思があるのか、ないのかについてはまったく言及がない。
結論として、米国は日本などに北朝鮮の核の脅威を強調、戦域ミサイル(TMD)技術開発の協力を要請。他方では、軽水炉を北朝鮮に提供する経費負担を推定四千億円の四分の一を求めてきている。
TMDを本格的に配備すれば、経費は一兆円に達する。これは、同じ品物に二度金を払う感がある。歴史的にみて朝鮮半島は、日本に突き付けられた「短剣」にたとえられてきたが、旧ソ連は崩壊、ロシアは経済的混乱、日本の脅威とはなりえない。「明治以来はじめて、朝鮮半島は日本にとって防衛上の重要性が薄らいでいる」という分析である。
筆者は、米軍が何を考えて北朝鮮の脅威を主張しているのか専門外のことで米軍の政策意図を論評する知識をほとんど持ち合わせていないので言及できない。だが、米軍とは別にこの田岡編集委員の記事を読んだとき、核兵器や、ミサイルの開発状況など個々の評価は楽観的過ぎるという疑問をもった。しかし、それ以前の問題として、北朝鮮が脅威であるかどうかを測る物差しに北朝鮮の経済と軍事力が使用されている。それは重要なメルクマールになることは疑えない。
だが、この二つだけで田岡編集委員のような結論を出すことができるのだろうか。できないと思う。田岡編集委員の記事のなかには、朝鮮労働党の対南政策も、政権の性格も前述した金正日や同党の独善性についても一言の言及もない。
別ないい方をすれば、戦争するかどうかは、武器が決めるのではない。権力者が判断し決定するものである。従って権力者の能力や資質の検討は欠かせないものである。
われわれは、この典型的な例を一九四一年十二月の太平洋戦争開始時のわが国にみることができる。開戦当時の日米の経済、軍事力の差は大変なものがあった。最近、若槻泰雄氏が、原書房より『日本の戦争責任』(上下)という本を出版した。上巻に、当時の日米間の軍事力をはじめとする国力の差が詳細に紹介されている。
たとえば、一九四一年の鋼鉄の生産高は、アメリカが七五〇〇万トン。イギリスは一二五〇万トン。日本は七〇〇万トン、米国の一〇分の一だったという。同書三〇頁には、日米の鋼材生産の比較が掲載されているが、一九四一年(開戦当時)米国は日本の十八・八倍、一九四五年の敗戦の年は、米国のそれは二五六倍であったのだ。
同書によれば、アメリカ空軍の重爆撃機B29の爆撃効果を調査のため戦後来日した「戦略爆撃調査団」の報告書は、「要するに日本という国は本質的小国で輸入原料に依存する産業構造を持てる貧弱な国であって、あらゆる型の近代的攻撃に対し無防備だった。・・・・・・日本の経済的戦争能力は限定された範囲で短期戦を支えたにすぎなかった。蓄積された武器や石油、船舶を投じて、まだ動員の完了しない敵に対し痛打を浴びせることはできる。ただ一回限り可能だったのである。このユニークな攻撃が平和をもたらさないとき、日本の運命は既に決っていた。その経済は合衆国の半分の強さをもつ敵との長期戦であっても、支えることはできなかったのである」と分析している。
この調査団に参加したアメリカの将校は「日本の戦争能力を一瞥しただけでも、日本がアメリカとの戦争を決意したのは正気の沙汰だったのかという疑問がすぐ浮んでくる」と書いているという。
にもかかわらず日本は戦争をはじめたのだ。この事実から戦争というのは、彼我の経済や軍事力の差だけではなく、戦争を開始する当該政権の性格や意図が相当の比重を占めるということがわかる。一読すればわかるように田岡編集委員は、北朝鮮のそれについて一言の分析も行っていないのである。
田岡編集委員の指摘通り、北朝鮮の航空機が旧式なものであっても、それに化学兵器などを搭載、かつての日本の特攻機のように韓国の軍事基地やその他主要施設に突入するよう北朝鮮の権力者が命令すれば、軍事力の差など一挙に解消してしまうのではないか。
日米間の途方もない国力の差を無視し、日本が戦争に突入したのは、一言でいえば物事を客観視することを許さなかった軍国主義体制にあったのだ。紙数の関係で詳しくふれることができないが、わが国が太平洋戦争に突入していったときと現在の北朝鮮の政治・軍事・社会状況は非常によく似ているのである。
以上は一般論であるが、いま問題になっている北朝鮮の脅威には、具体的な根拠があるのだ。田岡編集委員は、筆者が本誌一月号で紹介した駐韓米軍や韓国国防部が防衛白書のなかでふれている北朝鮮の軍備増強など一切ふれていない。
まず、北朝鮮人民軍が、いまどのような状況に置かれているかだ。田岡編集委員も指摘しているように航空ガソリンの不足からパイロットの訓練が充分にできない状況にある。このままの状態が継続されれば、航空機があっても実戦の役に立たないことになる。これは空軍が戦闘能力を失うということではないか。
田岡編集委員はふれていないが、駐韓米軍その他の分析によれば、朝鮮人民軍の所有する兵器・装備は、旧ソ連製のものが多い。従って、兵器などの部品は、全面的にロシアに依存している。しかし、ロシアは交換可能な貨幣をもっていかないと部品を出さない(別な情報では、ロシアになってから兵器の部品の輸出を禁じているとの説もある)。そのため今年一杯ぐらいで朝鮮人民軍は戦闘能力を喪失するというものだ。
この情報や分析が正しければ、朝鮮人民軍は「座して死ぬか、闘って死ぬか」の深刻な事態に直面しているということではないか。だから戦争の脅威が高まっているのである。脅威が存在する理由は、まさにこの一点にあるのだ。田岡編集委員が、脅威がないというのであれば、南北の経済や軍事力の比較よりも、朝鮮人民軍が必ず座して死を選択することを立証しなければ脅威が存在しないという反証にはなりえないのだ。
それにしても田岡編集委員は、かつてのベトナムと米国との闘い、旧ソ連とアフガニスタンの戦争をどうみているのだろう。経済・軍事ともに比較にならない劣勢の方が勝利しているではないか。
朝鮮半島についても、たとえ米軍がいたとしても、韓国側が勝利する保証など何もない。問題は、韓国軍並びに米軍の士気の問題だ。米軍についていえば、冷戦が終焉した現在、何故、米国の青年が朝鮮半島で血を流さなければならないのか。化学兵器や原爆を使用されたとき、本当にクリントン大統領は、戦争に介入するだろうか。
韓国軍についていえば、紙数の関係で詳論する余裕がないが、現状においては、戦争など考えていないと思う。多くの退役将官たちは、確信をもって「今度戦争が起きたら必ず負ける」と断言している。韓国軍はそれほど危機的な状況にあるのだ。もう一度いうが、武器を操作する戦闘員に戦闘意欲がなければ、どんなすぐれた兵器をもっていても、勝利にはつながらない。ベトナムとアフガニスタンの戦争は、われわれにそのことを教えてくれたのではなかったのか。
以上のことから、田岡編集委員の前記の分析は、控え目にいってきわめて不充分。正直にいえばナンセンスなものである。読者に間違った情報を流した朝日新聞の責任は重いと思う。
さて、これからの北朝鮮はどうなるのだろう。本誌一月号でも筆者が書いたことだが、昨年十月八日をもって、事実上軍が権力を掌握した。特にわれわれの注目を引いたのは、十月十二日の労働新聞の論説であった。「志を同じくした同志の中には背反者が出ることもあるが、銃は背反を知らない。銃は、いつでも射てば主人の意思に従って敵をとらえる」また、「紅葉は最後により赤く燃える美しさを見せるように革命家は生の最後をよくしなければならない」とも書いた。
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