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◆進んでいた金正日の地盤沈下
 これを決定的に裏づけたのが、九三年十二月の党中央委員会総会と最高人民会議での第三次七ヵ年計画に対する総括であった。この会議は、朝鮮労働党が創立以来、はじめて経済計画の失敗を認めた歴史的な会議である。そして、金正日の側近二人の政治局員候補の肩書がなくなるだけではなく「第三次七ヵ年計画で収めたすべての成果は金日成主席とわが党の賢明な指導の結果であり、領袖、党、大衆の一心団結の威力がもたらした貴い結実である」といって、成果は、金日成といいながら金正日の名前は出てこない。逆に、不成果の責任は金正日にあるという文脈になっている。しかもこれは、党の中央委員会総会の総括文書だ。これは金正日の党内での地位が決定的に低下したことを物語る以外のなにものでもない。
 金正日が、いまだ金日成の後継者としてトップに就任できないでいるのは、この九三年十二月の党中央委総会の総括文書に拘束されているからである。
 それはともかく、九三年十二月以降の父子間の権力闘争は相当激烈なものがあった。既述のように金正日支持派は、公式メディアをつかって、金日成語録を逆手に取って金日成の動きを牽制しようとした。それに対し、九四年一月下旬、金英柱は、北京からピョンヤンを訪問した第三世界の外交官と面会、「金正日書記は後継者に決定しているが、主席の生存中は権力の移譲はないだろう」(毎日新聞同年二月二日付)と権力移譲要求キャンペーンを否定する発言を行っている。
 特に目をみはったのは、金正日が、米朝話合路線を追求する金日成指導による外交部(外務省)の動きに公然と攻撃をかけたことである。核開発は、軍が統括している。外交部が米国務省と話合ってきめたことを、最高司令官として査察を拒否したり、国際原子力機関(IAEA)の査察官の立会いなしで使用済み核燃料棒の抜き取りを指示するなどして、第三次米朝高位級会談が開催できないようつぶしにかかった。最後には、IAEAの脱退(一九九四年六月十三日)という全世界を敵に回すという暴挙にでた。
 結果として、金正日は内外で益々孤立化し、金日成・カーター会談で核開発の凍結ということになり、金日成が点数をあげることになってしまった。そして、ようやく第三次米朝高位級会談がジュネーブで開催された、その日に金日成は心臓マヒで死亡したのである。
 金日成死亡直後の七月九日発表された「金日成同志の疾病と死亡原因についての医学的結論書」のなかに「度重なる精神的な過労により、一九九四年七月七日甚だしい心筋梗塞が発生し」と医学結論書としては異常な表現が入っていたことが、当時から関係者の関心を呼んでいた。しかしいまになってようやくその意味が明確になってきたのである。金正日は、父親と争って、父親に「度重なる精神的な過労」を与え「心筋梗塞」を起こさせ死に至らしめた途方もない親不孝者なのである。
 このような金正日の言動を労働党の幹部たちは身近で一部始終みてきたのである。金容淳(書記)のような側近ならともかく、正常な感覚をもつ幹部なら、容易に金正日トップ就任などに同意できるはずがなかろう。
 
 
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