◆教科書問題が火をつけた反日キャンペーン
筆者は、アジア全体について語る知識を持ち合わせていないからなんともいえない。しかし日韓関係についていうなら、「反省」とか「謝罪」問題に火を付けたのは、「反日日本人」たちとそれに共鳴している朝日新聞、毎日新聞、NHKに代表される一部マスメディアである。
周知のように、日韓交渉は十四年の歳月を要した。その過程で、交渉の可否をめぐって日韓両国内に賛否両論がうずまき、大きな政治問題になったことは公知のことである。そしてようやく一九六五年日韓基本条約並びに諸協定が調印された。
それ以来、一九八四年韓国の全斗煥大統領(当時)訪日までの約二十年間は、日本側からも韓国側からも日本の植民地支配について「謝罪と償い」をせよなどという発言があったことを寡聞にして知らない。もっと正確にいうならなかったのだ。
問題の発端は、一九八二年のいわゆる「教科書問題」であった。周知のように、日本の新聞が、検定教科書が、中国への「侵略」を「進出・進行」に書き改めたと大誤報をした。この誤報にもとづいて韓国や中国の新聞などが日本攻撃を展開し、外交問題になったことは記憶に新しいことである。
問題は、これに対する日本政府の対応であった。もともと誤報なのであるから韓国側の日本の教科書改訂要求など断固拒否すべきであった。しかるに「(一九六五年の)日韓共同コミュニケを確認し、政府の責任下に是正」といって教科書是正を約束、政治的収拾を図ったのである。
つまり、日本のマスコミが誤報をし、その誤報を韓国のマスコミが更に歪曲(日本の新聞は、侵略を進出に書きかえたのは中国に対してと報道していたのを、韓国の新聞は「中国と韓国への侵略を進出・進攻に書きかえた」と改ざんして報道した)して報道、韓国民の反日感情を煽った。それに押されて日韓両政府が、とりわけ日本政府が教科書の「是正」を約束するなど信じ難い「解決」を行ったのである。
この教科書問題のとき、日本政府糾弾を行ったのは和田春樹東大教授など「日韓連帯運動」という名の韓国政府打倒運動を展開してきたいわゆる市民運動をやってきたグループと日本社会党であった。
この人たちは、冒頭指摘した史的唯物論者(日本共産党系)とは異なる雑誌『世界』や朝日新聞などで発言している「進歩派」と社会民主主義者集団と新左翼諸党派、それに日本共産党(系学者)である。この四つのグループに共通していたのは、自民党政府を攻撃糾弾するという一点だけ、あとは思想的に共通するものはなかった。
ただここで注目すべきことは、この人たちはそれまで日本国内で、朴正煕政権や全斗煥政権を「ファッショ独裁政権」と誹諺中傷し、内政干渉にわたりかねないことをやってきた集団だ。とりようによっては韓国の政治を自分たち(日本人)がかえてやるという大国主義丸出しの「反日反韓」分子だ。ただこのグループが日本政府を糾弾しているというそれだけの理由で韓国を代表する朝鮮日報が、いきなり和田春樹氏らを登場させ、日本政府攻撃をさせたことである。
教科書騒動は、韓国側にどのような「教訓」を与えたかといえば、それがたとえ誤報であり、事実無根であっても、日本政府に対し、騒げばかなりのものが獲れるという「確信」をもたせたことである。
筆者が得た教訓は、韓国のマスメディアは、「反日」なら平気で記事をねつ造するし、目先の目的追求のためには、昨日まで韓国を攻撃してきた日本人とも平気で手を結ぶ原則のなき人たちであることを改めて確認したことであった。
多分、この教科書問題の経験をふまえてのことと思われるが、一九八四年全斗煥大統領の訪日に当って、日韓基本条約や協定のどの部分が不充分だから改正というのではない。植民地支配に対する日本の謝罪が充分でないから、天皇並びに首相は、全斗煥大統領に改めて謝罪しなおせと要求してきた。こんな非常識な要求が世界のどこにあるだろう。
植民地支配の後仕末は、一九六五年の条約と協定によって解決済みのものだ。今更謝罪が不充分など受け入れるわけにはいかない、といって拒否すべきであった。ところが政治家も官僚も摩擦をきらって(保身のため)謝罪をしたのである。
翌年、一九八五年中曽根首相(当時)訪韓に当って、全斗煥大統領へのお土産のつもり(当時はそういわれていた)かどうか知らないが、指紋押捺問題で大幅な譲歩(それまで五年に一回必要な指紋を最初の一回でよいことにした)を行った。
当時民団などを中心に指紋撤廃運動という名の実力で法律を無視(指紋拒否)する運動が全国的に展開されていた。中曽根内閣の譲歩は、ここでも騒げば取れるとの「自信」を与えた。それが、後の一九九一年問題(在日韓国人法的地位三世の在留資格の未定を確定する件)へ大きな影響を与えることになった。つまり在日韓国人の出入国問題で日本人よりも本国韓国人よりも在日韓国人に特権を付与するという不平等を作り出すこととなった。
次に、一九九〇年盧泰愚大統領訪日に当り、再び植民地支配について突込んだ謝罪を要求してきた。この要求に対し、当時、自民党幹事長であった小沢一郎氏が、抗議をしたことで韓国側が騒ぎ出したことがあった。しかし、驚くべきことに天皇と海部首相がまた謝罪した。
謝罪を勝ち取った全斗煥氏も盧泰愚氏も韓国に帰国し、これで過去の問題は終った、今後の日韓関係は未来志向でいくと判で押したように同じことをいった。
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