産経新聞朝刊 2002年10月14日
放置された拉致事件 「無法国家」の本質追い続けた取材班
北朝鮮は建国以来、その閉鎖性と思想の特異性からわれわれ日本人には常に「謎の国」だった。とりわけ国際報道の場では、国際社会の「ならず者」という意味が込められた「ローグ・ネーション(無法国家)」という国家群の中でさえ異彩を放ってきた。
初期の北朝鮮取材は、ソ連や中国など共産圏に対する取材同様に国営・公営メディアが流す情報の分析が中心だった。
朝鮮戦争(一九五〇−五三年)を経て六〇−七〇年代に完全に確立された金日成体制は朝鮮半島の武力統一を党是とする「統一戦線路線」を歩んできたが、それを報じるのに北朝鮮からの報道をそのまま記事にするか、その分析や朝鮮問題関係者の話で肉づけするしかなかったからだ。
そうした報道に広がりをつけたのが八五年八月六日付の「北朝鮮、南侵準備で軍事委員会」という記事。「欧州や中東で起きた紛争に米国が手足を縛られたチャンスを想定し、北朝鮮は韓国に向けて侵攻する準備のための軍事委員会をつくった」−というワシントン発の情報だった。
つまりメディア・ウオッチに加えて別ルートを取材することで北朝鮮の本質に迫ろうというわけだ。九〇年代初め、産経新聞が「北朝鮮情報」を紙面に登場させたのもそうしたあらゆるルートの情報を提供することで北朝鮮の現実を読者に伝えるのが目的だった。
一方、北朝鮮は冷戦構造の崩壊で経済上、大打撃を受けた。旧ソ連からの支援を無くした北朝鮮は体制維持のため対米攻勢を仕掛け、核開発疑惑も浮上。平成三年(九一年)に「北朝鮮取材班(のち北朝鮮問題取材班)」が設けられたのは、そうした国際情勢の変化に応じたものだ。
取材班は核開発疑惑の検証をはじめ、軍事力の実態や金日成主席の後を継いだ金正日総書記をめぐる権力構造にも迫ろうとした。九二年夏には「金日成主席の愛人と娘の休日」という記事も生み出している。スウェーデン警察の護衛に見守られながら、母子が家電製品や高級バッグなどを山のように買う様子は、国民が飢餓を経験している北朝鮮の現状を考えれば異様というほかなかった。
こうした一連の報道の結果、北朝鮮は産経新聞に対し「右翼反動新聞」「韓国安企部(韓国の情報機関、旧安全企画部)の手先」などという非難を繰り広げた。
北朝鮮問題取材班は昨年末の工作船事件で朝鮮人民軍と交信していることをつきとめたほか、今夏は元工作員の単独インタビューに成功している。最近ではさまよえる脱北者たちを追ってワシントン、モスクワ、ソウル、北京などにも取材に出掛けている。(外信部 久保田るり子)
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