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産経新聞朝刊 2002年10月14日
放置された拉致事件 「追及し続けた真実…」本紙記者の思い
 
 拉致問題に対してほとんどの新聞、テレビは冷ややかだった。「疑惑に過ぎない」「ためにする話だ」…。そのなかで、産経新聞は拉致問題を追及し続けた。昭和55年に3件のアベック失踪(しっそう)をスクープし、平成9年には横田めぐみさんの拉致を実名で報道した阿部雅美記者(現サンケイスポーツ編集局長)と日朝首脳会談を取材した大阪本社社会部の中村将記者に聞いた。
 ◆世論変わっても実態変わらず
 ■阿部雅美記者
 現在の北朝鮮に対する報道、世論の変化にはとまどいを感じる。実態は何も変わっていない。金正日総書記が拉致を認め、謝った。変わったのはこの一点だけだ。北が認めたことは、産経新聞が報道してきたことで事実に驚きはない。
 現在の洪水のような報道の中には、不確かな情報を書く新聞もあり、違和感を覚える。端緒となったアベック事件では、当初、韓国の暴力団組織ではないか、ということを考えた。現実に被害者をソウルの飲食街で見かけたという話もあった。取材事実を積み重ね、合理的推定から、新聞記事に耐え得ると当時、判断した。
 しかし拉致事件を最初に産経新聞が書いて、それ以降の八年間、拉致問題は世の中に存在しなかった。他社がなぜ追わなかったか、ということを当時、何度も自問自答したが、逆の立場なら追えなかった。
 ただ一面トップを書いたのは入社して初めてだったので、喉(のど)の骨のように常に引っかかっていた。「産経がとんでもない飛ばし記事を書いた」という声も聞こえ、苦しかった。
 一方、アベック事件以降、他社がこの問題を報道しなければならない局面はいくつかあった。原敕晁さんの拉致事件、有本恵子さん…。報道を行わなかったのは、新聞記者として怠慢だ。新聞社でさえ「有り得ない」と先入観を持っていたんだから、一般国民は今、なおさら驚いているのではないか。
 金正日総書記が認めたから、日本政府が認定したから、事実、なのか。しかし事実は、遥(はる)か前から国民の前にたくさん転がっていた。それを拾ってこずに、お上の発表を受け入れた。大きな教訓を報道する側に残した。
 今の洪水のような報道も、ある時点から嘘(うそ)のようにピタリとやむ。「拉致なんてあったのか」などという時代が来ないともかぎらない。調査報道の重要性が言われてきた経緯を考えると、今の事態を悲しいと思う。
 ◆家族の信念と愛情痛感
 ■中村将記者
 北朝鮮の歪(ゆが)んだ革命思想のために犠牲となった被害者らが拉致されてから、四半世紀もの長い時間が過ぎようとしている。「一日千秋の思いなんです」。被害者家族の気持ちを思うとき、家族の一人がぽつりと言った言葉をいつも思いだす。
 「鋭利な刃物で背中をそぎ取られるような、寒々と重苦しく悲しい、そして叫びだしたいほどの不安な時間の流れ」。横田めぐみさんの母、早紀江さん(六六)はわが子を待ちわびる肉親の気持ちをこう表現した。
 「いつ帰ってきてもいいように」と玄関の鍵をかけたことがない家族、失踪直後から部屋をそのままにしている家族…。忽然(こつぜん)と姿を消した息子や娘、兄弟のことを一日たりとも忘れたことはない。
 北朝鮮による日本人拉致“疑惑”。この言葉が使われるようになったのも平成九年からだ。それも、被害者家族が実名を公表し世論に訴えるという重い決断がなければ始まらなかった。
 拉致問題解明と被害者の救出を訴える署名活動。真夏の街頭で額の汗をぬぐいながら必死で頭を下げる父の姿があった。雪がコートにくっつき、白いまだら模様になっても気づかず、通行人に震える手でボールペンを差し出す母もいた。署名の数約百七十五万人分。
 「政府は何もしてくれない」との怒りを胸に米国に赴きブッシュ政権の政策担当スタッフに協力を要請。スイスやフランスで拉致を人権問題としても訴えた。
 どんなに疲れても、「一日も早く解放してあげたい」という強い信念と愛情が家族をそうさせてきた。傍らで取材し続けてそう実感する。
 拉致を認め謝罪し、被害者について、「生存」や「死亡」などと伝えてきた北朝鮮。だが、「死亡者」の墓は洪水で流された。「死因」は交通事故、ガス中毒、自殺…。
 死亡と伝えられた家族が北朝鮮側のつじつま合わせのような説明で安否確認をそのまま受け入れられるわけがない。誠実を装った不誠実な対応に世論が猛反発するのも、家族の姿を目の当たりにすれば当然の反応だ。
 蓮池薫さん(四五)ら生存の五人は十五日、二十四年ぶりに一時帰国する。子供は北朝鮮に残しての帰国になるという。
 北朝鮮で生きてきた時間は日本でのそれを超えた。結婚、子供の誕生、進学…。被害者でありながら複雑な状況を背負い込まされるという悲劇はまだ続く。
 
 
 
 
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