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読売新聞朝刊 2002年12月13日
北朝鮮の核開発 50年代から研究に着手 93年「NPT脱退」で緊張    
 
 韓国国防省などによると、北朝鮮は五〇年代に核関連の研究に着手し、ソ連に技術者を派遣。寧辺で大規模核団地の造成に着手したのも六〇年代だった。
 主にソ連から関連技術を学んだが、六四年、中国が初の原爆実験に成功した時には金日成が毛沢東に書簡を送って協力を求め、丁重に断られたともいわれる。ソ連の要請に従って、八五年に核拡散防止条約(NPT)に参加。国際原子力機関(IAEA)の監視に協力する義務を負ったが、査察について定める保障措置協定を結んだのは九二年だった。
 北朝鮮の核開発は、原子爆弾の製造を目的としている疑惑が濃厚だ。主に研究してきたのは、黒鉛減速炉の使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する方式だったと見られる。
 IAEAは九二年、北朝鮮が提出した報告に不審な点を見つけ、申告量以上のプルトニウムを抽出した疑いを抱いた。北朝鮮は疑惑解明に応じず、九三年三月に、NPTからの脱退の意向を表明、一気に緊張は高まった。米クリントン政権は、北朝鮮の核施設を攻撃する武力行使計画を準備したと言われる。
 米国と北朝鮮は、危機収拾のため交渉して、九四年十月に米朝枠組み合意を結んだ。合意の核心は、北朝鮮のプルトニウム生産のための施設の凍結にある。
 枠組み合意とは朝鮮半島の非核化を大前提に、核凍結と軽水炉のバーターを決めた取引だ。
 IAEAは合意に基づき、寧辺および泰川の黒鉛減速炉三基、再処理施設、燃料棒製造施設の計五か所を凍結。北朝鮮が減速炉から抜き取った八千本の燃料棒も監視下に置いた。それから八年、寧辺にはIAEAの監視要員二人が常駐し、凍結に目を光らせている。(ソウル支局)
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 【北朝鮮の核問題をめぐる主な動き】
1985.12 北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)に加盟
1991.12 韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」
1992. 1 北朝鮮が国際原子力機関(IAEA)と保障措置協定に署名
1993. 3 北朝鮮がNPT脱退の意思を表明
1994. 6 北朝鮮の金日成主席がカーター米元大統領と会談、IAEAによる核施設監視の継続に同意
    . 7 金主席が死去
    .10 米朝が枠組み合意に署名
1995. 3 朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足
1997. 8 琴湖地区でKEDO提供軽水炉の建設着工
    .10 金正日氏が労働党総書記に就任
1998. 8 北朝鮮がテポドン発射
1999. 9 北朝鮮、米朝ベルリン合意でミサイルの試射凍結表明
2000. 6 平壌で初の南北首脳会談
    .10 北朝鮮の趙明禄国防副委員長訪米。オルブライト米国務長官訪朝
2001. 5 金総書記が欧州連合(EU)代表団に2003年までのミサイル実験凍結を表明
2002. 1 ブッシュ大統領が北朝鮮を「悪の枢軸」と非難
    . 8 軽水炉本体の基礎工事着工
    . 9 日朝首脳会談。平壌宣言に署名
    .10 ケリー米国務次官補が訪朝。米、北朝鮮が核兵器開発を認めたと公表
    .11 KEDOが12月以降の重油供給の凍結決定。IAEAが北朝鮮に核計画の放棄要求
    .12 北朝鮮が核施設の稼働再開を発表
 
 
 
 
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